今の世界の在り方
『ま、その最終日から何年も何年もたって今、ってわけだ。現在、この地球に存在する知性を持つものは、大きく分けて四ついる』
画面の中央に地球だけを残した画が暗転した。変わって黒い画面の真ん中に現れる「4」の数字。
『数が少ない方から説明するな。まずはロボット』
数字が消えた。代わりに先ほど見た戦闘ロボットに始まり、多種多様な形状の機械が現れる。
『人工知能搭載の自律型ロボットなんて、最終日以前から希少だったらしいがな。当然子孫は残せないから、バッテリーが切れたり経年劣化で駄目になったりでどんどんその数は減ってる。稀にその方面の知識がある奴の手に渡って、どうにか命つないでる奴らもいるけど』
画面の右から、スライドしつつ立派な一軒家が現れた。二足歩行型ロボットが足取りも荒く近づいていき、右ストレート一発で粉砕する。
『単純な力こぶで言や、四つの種族?の中で最も強い。だがほら、奴ら機械だし、霊的なもんは一切感知できないな。水晶、次行ってくれ』
画面が変わる。何の変哲もない男と女。
『人間、オレらな。ロボットほどじゃないが、こっちも最終日以前と比べちゃ随分数が少ない。基本的に最終日以前の人間と変わったとこはないが、大きく変わった点は二つ。声による会話ができなくなり、思話っていう一種のテレパシーみたいなもので意思疎通を行うようになったってこと。もうひとつは、ひとりの例外もなく霊的なものを目視可能になったってこと』
『……あの』
説明が始まってから、やっとタケルは言った。テレビ屋の説明が正しいのなら、これは声ではないそうだが、タケルにはまだ、自分がテレパシーで会話しているという感覚がなかった。
『さっきから出てくる“霊的なもの”、って』
『あ、言っとくが、見ることはできても触れるとかの物理的な干渉はできんからな』
『いやそういうことじゃなくて、』
『で、その次。ここと人間の間には数的な意味で越えられない壁が三重くらいはあるぞ』
聞いていない。画面が変わり、今度はブラウン管テレビの中にブラウン管テレビの白いシルエットが映し出された。ぐにゃりと、画面の中のブラウン管テレビの形が変わる。シルエットは一点に集中していき、指先ほどの白い点となったと思えば、点は急速度で広がっていき今度は人の姿を形作った。おそらく着物と思われるものをまとった、髪の長い女性の影だった。
そしてテレビ屋は驚天動地の一言を口にする。
『これが付喪神』
ツ、
硬直したタケルを面白そうに見つめながら、
『最終日以前はいなかったらしいな。最終日からおよそ百年後、道具に魂が宿って生まれたものたちだよ。こいつらはなんとも不思議な生態をしていてな、』
なんでも、本来の物としての姿と人型の二種類の形態を自由に使い分けることができ、物体が変化したものなので実体があり物理的な干渉もできるらしい。だが人型の姿はロボットには感知できない。すべての道具が付喪神化するわけではなく、人の姿を得ることができずにガラクタ化している道具も多い。また己を扱う主人抜きには理性が保てないため、主亡きあとは野良化して人を襲う者もいる、云々。
嘘に決まっていた。
そんな非科学的な存在なんかいるわけがない。科学が発達して、そういうオカルトが我が物顔をしていた時代は終わったのだ。なのに何を言っているんだこの人は。
言葉にならないタケルの非難をテレビ屋は正確に読み取って、にやり、
『信じてないってか。自分もお仲間なのによ』
出し抜けにあの時の光景が脳裏によみがえる。鈴の音、死んだ教室と放送室、積まれた机、椅子、散らばる筒転がる筒、女の子、笑顔、
そして、
『嘘ですよね』
言葉の震えを抑えられない。代わりに頬が引きつれて変な笑い顔のようになる。
『だって、ほら、常識で考えて、ねえ? いるわけないじゃないですか。ほら、そういう、』
テレビ屋は、まるっきり不意打ちで珍獣に遭遇した村人Aのように目を丸くする。
『……っはー。たまげたわこりゃ。ここまで来てまだ認めてないのか?』
『何を!』
むきになって叫ぶタケルに向かって、テレビ屋はつかつかと歩み寄っていく。腕を体の横に、握りしめた拳を真上に向けて。これから行うことなど知れていた。今も、そして世界が終わる前からも変わらない、それが肉体を伴うものであるか否かを確かめる方法。テレビ屋としては遊び気分だろうが、タケルにとっては冗談ではない。後ずさろうとして、しかし自分は絶対違うという意地からか、その行為の先にある結果を心の底では知りたがっていたからか、両足は頑として動かなかった。
テレビ屋の足が止まる。
いたずら決行直前のガキ大将じみた笑みがそこにある。
『見とけよ』
狙うは土手っ腹だった。
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話は飛ぶが、このトンボの塔周辺、つまり旧記念公園は子供の遊び場としてはいささか不向きである。ここではヘリの崩れる危険性や不安定な足場などという、大人としての視点はとりあえず除く。子供の目線――単に遊ぶという点だけで旧記念公園を見ても、ここは魅力的な遊び場とは言い難いのだ。
まず走りづらい。
遊具になりそうなものがこれっぽっちもない。
見通しが良すぎる。
向こう数百メートルはだだっ広い平地だ。隠れることができそうな場所など、トンボの塔と石碑の陰くらい、これでは鬼ごっこも隠れんぼもできやしない。そういうわけで、子供がこの場所に集まるのはほぼテレビ屋のテレビがある時くらいだ。つまりこの時この瞬間まで、そこにいたのはテレビ屋とブラウン管テレビ、タケルのみで、初撃が肉眼では視認不可能な距離から飛来してきたことは確かである。
タケルからすれば背後、テレビ屋からすれば真正面からそれは来て、テレビ屋が飛来物を見つける数瞬前から目まぐるしく事は起こった。
まず、それまでテレビ屋から見て右斜め後方に鎮座していたブラウン管テレビが発光する。その輪郭が溶けるように消え、光の粒子をまき散らして現れた黒い長髪で着物姿の女性が大地を蹴った。光の三原色である赤青緑の横線が細かく入った、白目がない両目を焦燥に歪めて。ゼロコンマ一秒でも早く届くように、両手を引きちぎれんばかりにテレビ屋に向かって伸ばして。
テレビ屋は気づかない。
驚くべきことにタケルは気づいた。遠くで、だけどものすごい速度で距離を詰めてくる何かの風切音。直感が振り向いて確認する間も避ける間もないことを教える。駄目だ自分は間違いなく食らう、でもせめてこの人は。小数点以下の世界の中で、タケルは必死に口を動かして、その尋常ではない何かを伝えようとする。
テレビ屋はまだ気づかない。
ニヒルな笑みはそのままに、腕を、今まさにタケルの下腹部めがけて押し出そうとして、そこでついにそれらを目撃して体を凍り付かせる。
同時に、勢いをそのままに突進した女性の右手がテレビ屋の腰を目一杯押した。同じ方向に倒れるふたり。テレビ屋の足が浮き、体が左前方にかしぐ。そして同じく倒れこむ女性が間一髪頭を下げた瞬間に長く煙を引くロケット弾がタケルの胸板を突き破り、女性の頭上を通過して石碑にぶち当たった。
爆音。
粉微塵に爆散した石くずがトンボの塔とタケルに、地面に転がるテレビ屋と女性に平等に降り注ぐ。しかし当たり前のように石くずはタケルの体をすり抜け、愕然とする彼の腹から今度は巨大な槍の穂先が飛び出してきた。
女性が上、テレビ屋が下。折り重なるように倒れていたふたりだが、次はテレビ屋が動く。女性を抱えたまま左に転がり、頭を狙った戌―漆参式裂空の打ち込みをかわそうとして間に合わず、髪をいくらか犠牲にした。槍の切っ先が白レンガを突き通して地面に刺さって埋もれ、獲物を逃した裂空が地の底から這い上るような低い唸り声を上げる。
全員が絶句した。
鋼鉄の巨人のような人型ロボットだった。
体長は優に成人男性の倍ある。鋼の槍の尻はさらに天に近い位置にある。大砲でもなければ貫通できそうにない、筋肉ダルマといった体の黒金色のボディが弱々しい陽光を鈍く照り返す。目はトンボを思わせる複眼で、顔の半分以上を占めている。脇腹のあたりに、先ほどの弾を収めていたと思われる発射口が開いたままになっている。右肩に銘を刻んだ肩当て型のプレートが溶接されていて、大槍を引き抜こうと荒々しく揺する、大人の腿ほども幅がありそうな腕には、「見敵必殺」の文字が血のような赤で筆書きされていた。
まずいことに、テレビ屋は腰が抜けていた。
馬鹿みたいに尻をついて裂空を見上げるテレビ屋を、傍らの女性が肩に手を当て懸命に揺さぶっている。口元がテレビ屋の名前を呼ぶが声はない。テレビ屋は身震いすら起こせない。あといくらもたたずに裂空が得物を抜き出すというのに。
タケルは、衝撃から立ち直れずにいた。
目の前で確実に命がひとつ散ろうとしているこの状況で、恐怖に震えるでもなく腹に手を当て、自分が幽霊であったことをようやっと自覚して呆然としている。正気など、あのロケット弾に撃ち抜かれて形もなくなったのかもしれない。ああそうか、だから影がないのか。そんなどうでもいい考えが既にない脳内にぽつりと浮かぶ。
裂空がテレビ屋に向き直る。
槍を掴む腕を高々と頭上に上げ、テレビ屋の腹へと狙いを定める。
振り下ろされる、でたらめな腕力にものを言わせた高速の一突きは、誰がどうあがいても回避のしようがない一撃であった。
だから少女は裂空の右を狙った。




