リオ
再起動後、流空が初めて見たのは鈍色の空だった。粉雪が舞っていた。
山と積まれた同機の死骸と鉄屑に埋まっていた下半身を引きずり出す。危なっかしい足場に難なく立つと、メモリーに記憶されている強制停止直前に見た景色とはここがあまりにかけ離れていることに気づいた。人間の死体がなく、同機の死体が圧倒的に多い。
数十メートル先に正常値以上の心拍数の人間が複数。進行方向は北北西、こちらに向かってくる素振りはない。感度を上げる、数は十一、三人が男性、二体ロボットを連れている、96.4パーセントの確率で警備用ロボットR-07。残り六人が十代以上二十代以下の男女、各自がジュラルミンを主とした金属部品を五キロ以上所持しているため足が遅い、R-07に全員が確保されるまで残り約十二分三十五秒。
そんな解析と計算を瞬時にやってのける流空であるため、こちらをじっと見つめてくる少女がいることには起動準備をしている時から気づいている。少女は推定年齢八歳で、はだしで、空っぽのリュックサックを背負って、屍山のふもとで何をするでもなく流空を見上げている。
流空も見返す。しなくてもいい解析をする。体温、心拍数共に正常値。
「けーびのロボットさんじゃないの?」
頷くことも首を振ることもしなかった。それを少女は流空の意思表示だと思ったらしく、にぱっと笑い、
「だったら、リュックに鉄いれるの、てつだって!」
ロボットは人間に逆らえないように作られている。しかし流空ら戦闘ロボットは、どの人間の――正確に言えば、どの陣営の――命令に従うべきかを自己判断できねばならない。そのためのAIだった。
今までは、自分の陣営にとって利となるか否かが行動基準だった。
流空は、自分の「指揮官」に当たるらしい人間から言い渡された。貴様らはもう、役目を終えたのだと。
役目を終えた自分は、何を行動基準に動くのか。
「あのね、あまり欲張っちゃだめなんだって。くーちゃんが言ってたんだよ。ちゃんと持っていける分だけをとってくるんだって。だから、あまり大きいのとか、重いのはやめてね! 持ってけないもん」
9.616キロ、重量過多。背後にぽいっと放る。
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口ではそう言いつつも少女は大分欲張った。重さで選ぶ流空と違い、少女の基準はきらきらしているかそうでないかだったからだ。あれこれと目移りして、気に入るものはあらかたリュックに詰め込んだ結果、持ち上がらなかった上に木綿のリュックに穴が三つも空いた。それからさらに吟味してようやく自分で担げる程度の重さまで減らしたが、歩くたびに左右にふらついた。
あらかじめ誰かに指示されている帰り道があるのか、少女は迷う素振りも見せずにスクラップたちの間を縫っていった。少女は何度も何度も振り返りながら、その度に笑顔で、ありがとうとさよならを繰り返して手を振る。どう返せばいいかわからない流空は、少女を見続けることしかできなかった。
日が暮れたのち、さして苦労もせずに流空はスクラップ工場から抜け出す。問題はそのあとだった。これからどこへ行くべきか。
なぜあの少女の心拍数を記録していたのかは自分でもわからなかったが、とにかくもこれのおかげで少女を見つけ出すことができた。
夜で、はらはらと雪は降り続けていたが、流空の起動時に降っていた量より少ない。近くに廃屋があり、ほかの子供たちはその中で暖を取っているのに、少女は外の、廃屋から大分離れたところで、なぜかひっくり返した穴あきの傘を両手で持って座っていた。
「あ、あの時のロボットさん!」
こんばんは、と少女は笑った。鼻先も、手と足の指先も赤く、これ以上雪にさらされていると凍傷になる。それなのに少女は靴も履かず雪の上に座り込み、傘の中にたまった雪を見下ろして「まだかなあ」とつぶやく。流空はその横にひざまずいた。
「あのあとね、途中でリュックの底が破れちゃって、ほとんど持って帰れなかったの。ごめんなさい、てつだってくれたのに」
指で傘の中の雪を突っつきながら、
「わたし以外のゴーダツ?部隊の子は、うまくいったんだって。だけど、囮部隊のヨシにいちゃんが捕まっちゃって、まだ帰ってこないの。くーちゃんがね、あんたのせいよっていうから、ごめんなさいって謝ったら、これを持ってきて言ったんだ。この中に落ちてくる雪をいっぱいになるまで集めて、私のとこにきて全部食べて見せな。そしたらレイジおじちゃんにうまく言って、わたしを仲間から外さないで下さいってお願いしてあげるって。だけど、もうずっと待ってるんだけど、まだいっぱいにならないの」
通らない理屈である。その少年が少女を庇って捕らわれたのならまだしも、聞く限りは少女の収穫量と少年の捕縛は直接の関係がなさそうなのに。戦場にも、取ってつけた理由で部下をいびり倒す人間は少なからずいたが、銃撃音も断末魔も聞こえないこの場所で同じものを見るとは思わなかった。
ほら、と少女が傘の中を見せてくる。満杯まであと五分の二といったところだった。それよりも流空としては、痙攣を起こし始めている少女の掌の方が気になる。
「ね、ね、ロボットさん。お名前教えて。わたしはね、リオっていうんだよ。梨にね、糸偏にね、忍者の者で梨緒。ロボットさんのお名前はなに?」
流空は弱った。名前は個を指す時に使う名称だということは知っていたが、無論彼にはそれがない。首を振ってみせるが、リオには名前がないものがいるという概念がないらしく、なかなか理解してくれない。
「これ? ロボットさん、これがロボットさんのお名前?」
肩のプレートに気づいた。難解な文字が並ぶ流空の銘を見て、「長いお名前なんだね」とリオ。
「あ、最後の二つは読めるよ! 待ってね、ちゃんと学校でお勉強したんだから。ナガれるしょ、次はソラだよね。こういう時は音読みなのかな」
「流空」の二文字を指でなぞりながら、リオは熟考する。うんうん頭を捻る彼女を、流空は物珍しそうに凝視する。
「んと、………………リュー? クー? リュウ、クウ? ……リュウ、クウさん?」
つっかえつっかえだったが読みは合っていたので、とりあえず首肯する。しかし何か不服なのか、少女はむうと口を尖らせ顎に手を当てている。
それから笑った。
「言いにくっ!」
子供らしい率直な感想が、リオの口からこぼれる。子供には発音しづらい銘だということは理解したが、流空にはそれがなぜ笑いにつながるのかがわからない。
「リュウクウさん、おうちはどこなの? 迷子なの?」
再度流空は首を振る。今度は通じたらしかったが、リオはまたも彼にとって理解不能な反応を示す。本当にこの子は難解な子供だ、今度は何がうれしくて笑んでいるのか。不思議で仕方なくて、どうしても彼女の笑顔から目が離せない。
「だったらうちに来ない? あのねあのね、マサトシおじちゃんがね、わたしが入る前はロボットを持ってたらしいの。だけど、わたしが入るちょっと前にいなくなっちゃってね。新しいロボットが欲しい欲しいってずっと言ってたの」
傘の中身がこぼれないよう慎重に地面に置き、リオは立ち上がってもなお流空より低い位置から彼の手を引こうとする。流空には体温を数字で認識する器官はあれど、それをぬくもりや冷たさとして感じ取ることはできない。
だから単純に、柔いと思った。寒さに凍えついていてもなお。
「みんなも残念そうだったよ。だからきっと、リュウクウさんが来てくれたらみんな喜ぶよ。ね、いっしょにお願いしにいこうよ。ひとりぼっちは寂しいもん」
しかし非力で凍えるリオには流空の腕を持ち上げることさえできず、それどころが逆に腕を引っ張られて抱え込まれた。何が何だかわからないうちに、後ろから足を切り飛ばされたレイジおじちゃんのロボットが転がってきて目を丸くする。
リオはわからない。流空が肘の仕込み刀を振るい、背後から突っ込んできたロボットのつなぎ目に合わせて刃を滑らしたことなどつゆ知らない。ただひどい音を立てて倒れ込んだロボットの音と、レイジおじちゃんの怒号に表情を凍りつかせる。
リオは知らない。なぜマサトシおじちゃんのロボットだけがいなくなったのか。戌シリーズであるが故に他勢力から警戒されたから。なぜいなくなったのか。ちょっと前に攻めてきた愚連隊の中にいた戌シリーズと戦闘になったから。
なぜレイジおじちゃんがリュウクウさんもろとも自分を殺そうとしているのか。
流空に守られているリオが、その愚連隊のスパイだと考えたから。そう即決するほどには、愚連隊の襲撃は記憶に新しく、リオを引き入れたのもまた最近だったから。
餓鬼一匹相手でも、油断や躊躇をしていては生きていけない世の中だったから。
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その気になれば二十秒でリオのグループを殲滅できた流空だったが、リオがひたすら逃げてと繰り返すのでとりあえずはその通りにする。リオがいもしないレイジの怒声に怯え続けるものだから、彼女が落ち着きを取り戻すまで走っていたら旧県境を越えていた。
背中を軽く叩いて、リオを地面へ下ろす。どこぞの山のふもとだった。
リオはくったりとうなだれていて、表情が見えない。流空が覗き込もうとした途端に怒りと寂しさと底なしの恐ろしさに真っ赤になった顔を上げたリオは、火のような目つきで彼をにらみつけた。
「……またひとりぼっち」
流空には、リオの言葉の裏に込められた感情を理解できない。その既成事実が何だとしか思考しない。情緒に対する理解力のなさがリオをさらに苛立たせる。
「もうついてこないで! あっち行って!」
言いながらもリオは自分の方から離れていく。足音荒く、地団太を鳴らすように夜の中に消えていくリオを、流空は為す術もなく見送る。距離感覚がおかしい。流空の歩幅であれば数歩で追いつけるリオとの距離がなぜか遠い。何かをしなければとは思っているが、一体何をしろというのか。
らしくない自分の思考回路に戸惑う流空の足に、何かが飛びついてきた。ついさっき触れた手と同じ、柔らかい何かだった。
「……やっぱり、嫌だ」
ついてくるなと言った舌の音が乾かぬ内に取って返してきたリオだった。
「こわいよ。……ひとり、嫌だよ」
見上げる両目はうるんで赤かったが、眉間に力を込めて懸命に落涙をこらえているのがわかる。
そんな顔で、リオは流空を手招きした。訳も分からないまま、リオが指示する通りに目の高さまで体を下げる。
「ひっぱって」
首をかしげるルクに、リオは苛立たしげに、
「もう、早くひっぱって! こうやって、」
お手本を見せるリオ。両手で自分の顔を挟んで、目と口が一直線になるまで思いっきり外側に引っ張る。はんぺんに包丁で切れ込みを入れたような顔を向けられて、今度こそ流空は本格的に困惑する。これがリオ流の涙をこらえる方法だと知るのは、まだまだ先の話である。
いじらしくも、流空はわからないなりにリオの要望に応えようとして、恐る恐る手を差し伸べる。しかし指先がリオの頬に触れるや否や、「ひゃっ」と飛び退かれる。
リオはぽかんとした顔で流空を見つめる。
何なんだこいつと疑り始めてきた流空も同じようにした。
ぷふっ、と、リオが吹き出した。
「ひ、冷やっこーい! リュウクウさんの手、ものすごく冷やっこいよ! わたしの手より冷たい! ほっぺくっついちゃう!」
どこがツボにはまったのか笑い続けるリオを前に、流空は置いてけぼりを食らって固まる。本当に、何なのだこの子は。
しかし、徹頭徹尾理解できないリオの挙動の中で、ただひとつだけわかることがあるとすれば、なぜか自分のすること為すことは、彼女にとっておかしいらしいことだった。
「リュウクウさん、火をつけられる? わたしも手伝うから、いっしょにあったまろうよ」
思い出す。彼女は今凍傷寸前なのだった。
ここで待てと身振りで制して、流空はざくざくと雪を踏みしだいて姿を消す。リオがそわそわしだした頃を見計らったように帰ってきた流空の腕には、まだ乾いている落ち葉とそこらから引き抜いてきた広葉樹が抱えられていた。せめてもの足しにと、ルクは遠慮のない手つきでリオの頭の上から落ち葉をぶっかける。
それだけでリオは大はしゃぎだった。葉っぱがつぶれる感触がおかしいらしく、笑いこけながらごろごろ転がる彼女の横で、流空は手早く焚き木用の薪を作っていく。
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身をうねらせる焚き木の炎の前で、リオは身を横たえてうつらうつらしている。頭上では、流空が残った幹とその辺のもので作った簡易雪よけ屋根が炎とリオを守っていた。
「……リュウクウさん」
妙に切迫した声でリオが呼ぶ。彼女に乞われるがまま、流空は体温を取り戻して柔さを増したその手を握りしめている。
「わたしね、おとうさんも、おかあさんももういないの。レイジおじちゃんのとこにもいられなくなったから、ほんとのほんとにひとりぼっちになっちゃった」
流空は頷いた。
「リュウクウさん。もし、わたしが嫌じゃなかったら、いっしょにいてくれる? おとうさんやおかあさんや、レイジおじちゃんみたいに、離れないでいてくれる?」
流空は頷いた。あまりに早い首肯にリオは驚いていたが、内心流空も驚愕していた。
だからだろう。疑うような視線が、低い位置から流空に突き刺さる。
「ほんとに?」
リオを見返す。その瞳は、またしてもうるんでいた。
確か、こういう時にするんだったか。
流空は両手をリオの頬へ宛がい、皮膚が切れない程度に引っ張った。突然の攻撃に心の準備もできず、「ふぎぎぎぎ」とうめくリオ。ぷるぷる震えて、いくらもしないうちに耐えきれなくなり、流空の手をぱしぱし叩く。
手を離した。リオは痛そうに顔をさすっていたが、手の先にはまぎれもない喜びに緩む頬があった。




