悪酔強酒
望んでいることと、実行することが相反すること。【goo辞書より】
「わかんないなあ」
あれだけのものを見て、リトル・ミスが発した声に動揺は一切なかった。
「自分が殺したひとに成り代わってまで、いったい、何が許せなかったのかな」
「俺はわかる気がします」
暗闇に目を慣らしておかなければ一寸先も見えない、色彩の失せた教室の壁に寄りかかりながら、紅暁は嘆息する。リトル・ミスは黒板の青い鳥をじっと見つめて動かない。
「なるほど。機械の生き霊なんて聞いたことありませんが、どうりで俺たちが見えていないし、聞こえていなかったわけだ。……そうとわかればお嬢、こんなめんどいことにかかずらう義理はありませんよ。さっさと次を当たりましょう」
リトル・ミスは唇だけを動かして、
「どうして」
「人間じゃないんですよ奴は。生きるも死ぬもないロボットに、成仏もへったくれもないでしょうが」
「そうかな」
反魂鈴を鳴らす。この響きはただの意識体には聞こえない。幽霊にのみ、この世に強い未練を残して逝ったものにのみ、この音は届く。人は生まれて死ぬという類の真理と同じくらい、揺らぐことのない事実だ。
だとしたら。
「人のそれとは違う形だったとしても、彼は一度死んだんだよ。きっと」
だから行くよ、とリトル・ミスが言う。えー、と文句を垂れつつも、差しのべられた手を紅暁は躊躇なく握りしめる。
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それでも虚空は最後の足掻きを見せる。上顎と下顎を接ぐ金属が砕ける音と共に口腔が開き、吠え声を上げ爬虫類じみた動きで地面を這いながら流空の足に食らいつこうとした。
流空は一瞥をくれることもなく大槍を逆手に構え、虚空の後頭部と背中の接合部分を貫く。まもなくして虚空の目から完全に光が消えたのち、無造作に引き抜かれた槍の切っ先は血の海で痙攣を繰り返す少年を通り越し、次に流空に近い場所にいたゼンじぃへと照準を定める。
止めるものなど誰もいない。逃げ出す者すらそこにはいない。目の前で確実に命がひとつ散ろうとしているこの状況で、我が身を自由に動かせるものは皆無だった。
琥珀色の液体に濡れる槍を掴む腕を高々と頭上に上げ、流空はゼンじぃの頭頂部へと狙いを定める。
振り下ろされる、でたらめな腕力にものを言わせた高速の一突きは実のところフェイクで、誰がどうあがいても回避のしようがない一撃は下向きの弧を描いて背後へと向かい、空からの落下速度を加算しつつ振り下ろされるリトル・ミスの刃を柄の部分で受け止めた。
目もくらむような火花が、降りしきる雨を暗闇に浮かび上がらせる。
流空は己の得物を断ち切らせる時間を与えない。腕を横に開いて刃を弾きながら上体を捻ってリトル・ミスに向き直り、未だ空中にいる彼女の胴を狙う。
リトル・ミスは紅暁を掴む手を開いた。
襲い来る穂先を前に両膝を抱えて丸まり、紙一重で刺突を交わす。ローファーのつま先が槍に触れる。体を伸ばすようにして跳躍。一秒前に手放した紅暁を再び掴んだ。
そのまま落下する。落ちながらごり押しで流空に向き直ったリトル・ミスは、縦に構えた紅暁の峰に手を当て、横なぎに振るわれる槍の一撃を受けようとした。しかし足場のない空中、火を見るより明らかな結末は弾け飛ぶリトル・ミスの体と激突音、一直線に地面を滑る土煙となり、巻き添えを食らった墓標数本が土屑と共に宙を舞う。
繰り広げられる殺陣を前に唖然としながらも、それこそすがるような目つきで広瀬はリトル・ミスを探す。豪雨の只中にあっても立ち込める黄土色の煙。その中にいるはずの彼女が目視できない。死。頭に浮かぶたった一つの単語。失禁するかと思うほどの絶望感。
広瀬が視線を泳がせる中、流空は煙の軌跡を追って突撃する。クソ長いリーチをずるいくらい利用した突きが、流空にとってはないも同然である煙の隠れ蓑にくるまったリトル・ミスを正確無比に狙い撃つ。
しかしリトル・ミスはかわした。頭から流空に向かって突っ込み、刃が左肩をかするも速度を緩めず、球状の雨水を散らしながら流空の脇を潜り抜ける。体を地面すれすれまで沈めての走法はまるで影のようだった。
呆けていた広瀬だったが、リトル・ミスがこちらへ走っていると気づいた時には一気に肝が冷えた。うわあぁあこっちくんなバカ、言い出す前にリトル・ミスはブレーキをかけながら体を反転させ、足を広げきった極端に低い体勢で流空に向き直った。
裂けた肩口から見える、雨水と混じってなおぞっとするほど赤い、リトル・ミスの血。
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「状況説明」
額からも垂れる血をぬぐいながらリトル・ミス。冷静な声に広瀬も衝撃から立ち直り、
『わ、わかんねえ! 突然襲ってきたんだ。だけど気をつけろよ! あのロボット、前の裂空みたく殲滅プログラムが作動してるぞ!』
「殲滅プログラム」
『こまんど?されるか、自分が壊されるって判断した時発動する基礎的なプログラムだってよ! 目が赤いだろ!』
地面に刺さった槍を抜き、リトル・ミスらをじっと見やる、くぼんだ眼窩の奥で底光りする双眸。
『だけどわからん! オレたち、あいつに向かってなんもしてねえんだ! じいさん、原因分かるか? おいじいさん!』
ゼンじぃは放心状態だった。地面に座り込み、言葉にならない念波が広瀬に伝わってくる。殺されかけたからか、それとも夢にまで見た戌シリーズを二体見た感動でついに気が触れたか。広瀬がそう結論付けようとしかけた時、
『――――ぜじゃ』
かすれた声が、
『なぜじゃ。流空が、なぜ動いておる。あの場所におったはずじゃ。間違いなく死んでおったはずじゃ。これから彼らと共に弔ってやるはずじゃった流空が、なぜ、なぜ……』
ふたりが一時に口を開く。
「じぃやんそれ、窓がいっぱいあって、落書きだらけの建物のこと?」
『はぁ!? じいさんが言ってた運んでほしいロボットってあれかよ!?』
ゼンじぃはこくりと頷いた。
流空が動き始めていた。腰を落とした半身の構えで槍を地面と水平に持ち、先端を完全にリトル・ミスに向けている。鷹の目つきで流空を見返すリトル・ミスは、手に入れた情報を頭の中で念入りに吟味する。
殲滅プログラムで暴走状態にある流空。
殲滅プログラムが発動する時の条件。そうコマンドされた場合と、自身が破壊される恐れがあると判断した場合。
自身が破壊される恐れがあると判断した場合。
『どうすんだリトル・ミス! 倒す策はあんのか!?』
ほんの少しだけ、リトル・ミスは広瀬を見た。
血塗れの、触れれば斬れそうなほど研がれたその表情に戦慄する広瀬をじぃっと見て、彼女は全く唐突にあけっぴろげな笑みを作った。
「とりあえず、話しあってくるね」
は。
流空が大地を蹴る。リトル・ミスが走る。直進する彼女に合わせて打ち出された槍の穂先をリトル・ミスは直上に跳んで回避し、柄の上に降り立つやいなや閃くような速度で流空の肩まで駆け上がった。肩甲骨の突起に足をついて蹴る。嘘みたいな距離を跳ぶ。着地する刹那の油断を突く流空の穂先。すんでのところでかわして反対方向に激走する。
流空は刺さった槍を抜く手間を省いた。柄を握り直し、切っ先を土中にうずめたまま大加速で走る。墓所の大地に轍にも似た跡を刻みながら振り抜かれた穂先は、虚空と少年の血液を拭き取られむしろ切れ味が増したようにも見えた。切っ先を下に、体の前で斜めに構え、流空は凶悪な脚力と歩幅でリトル・ミスの三歩が稼いだ距離を半歩で詰めていく。同族が数多眠る大地を疾駆しながら、空中に糸を引く深紅の眼光が暴風のようにリトル・ミスを追う。
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こっちが巻き込まれないよう遠ざかってくれたのだ。そう気づいた時、広瀬の頭上に忘れかけていた凶事が岩のように落ちてきた。泥水を蹴飛ばし転がるようにして血みどろの少年に駆け寄る。
『しっかりしろガキすけ! 気をしっかり持てよ!!』
既に水晶が応急処置を始めていた。広瀬が来てくれたことで少年の患部を抑えていた手を離し、引きちぎった着物の膝から下の布で包帯を作ろうとする。しかし震える手でそれ以上はできそうもなく、広瀬はひったくるように水晶から布を取り上げ、二つ三つに折りたたんでそのまま傷口に押し当てた。何としても命が流れるのを抑えなければ。
気を失わせたら終わりだと本能でわかる。とにかく一心不乱に声をかけ続ける。水晶も半泣き状態で、少年を抱きしめ負担にならないように小さく少年の体を揺する。
リュックの中。ようやく思い当ったところを鑑みるに、広瀬も水晶と同じくらい動揺しているようだった。思い出したようにのしかかってくる背負った荷物の重量に背中が反り返る。下ろすもそこそこに中身をぶちまけて、何か役立つ道具がないか震える両手で手探りする。
斬られた時の表情のまま、誰にも理解してもらえない言葉を延々とつぶやく少年の思念は豪雨の音にかき消され、誰の脳にも届かない。
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槍の特徴から接近戦には弱いと見たリトル・ミスは、流空の突きを受け流して懐に潜り込もうとした。それを読んでいた流空は槍を打つと見せかけ勢いはそのままに投げ飛ばす。風を切り裂き弾丸以上の速度で飛ぶ得物をリトル・ミスが左に弾いたと同時に自ら彼女の一足一刀の間合いに入り、がら空きの右脇めがけて強烈な右フックをかける。
刀の輪郭が溶けて消え、人型に姿を変えた紅暁が体の前で腕を交叉させる。そこを狙い澄ましたかのように流空の拳が打ち込まれた。
内臓のことごとくを揺さぶる衝撃。
折り重なるようにしてありえない距離を飛ぶ。ふたりの耳元で鳴る風を切る音。常識外れの滞空時間に紅暁は風圧を押しのけ、リトル・ミスを来たる衝撃から守ろうと抱きかかえる。
その様子をテレビ屋ふたりが見ていた。絶叫を表情に変えたみたいな水晶の細面。消毒用アルコールの小瓶を握る広瀬の五指がすべて開く。
頭から、リトル・ミスと紅暁は屍山に激突した。
この世の終わりのような音を響かせて、ぎりぎりのところで保たれていた屍山の均衡が木っ端に崩れる。錯覚ではない本物の地響きが、割れて粉々になった小瓶の残骸を揺らしている。
あっという間だった。広瀬たちの視界から屍山が消えた。ガラクタたちがぶつかり会う総毛立つような音だけが広瀬たちの耳を打つ。音がフェードアウトして消え去るまでに数分かかった。
広瀬たちの位置から数メートル下で、目を疑うような色をしたきのこが生えた、久方ぶりの外気に触れるロボットたちが、また重なって新たな小山を作っている。
出来上がって間もないその小山が内側から爆発する。吹き飛ぶロボットたちはどこかしらが鋭利に切り裂かれており、リトル・ミスと紅暁を避けるようにして地面に転がる。
「お嬢、お怪我は」
紅暁が、頭上から落下してくる流空を見据えながら背後に問う。血が伝うその右手をリトル・ミスが握りしめる。
「今からしそう」
隕石の衝突を受け止められる腕力持ちの人間などいやしない。再び紅暁は刀に姿を変え、リトル・ミスは横っ飛びに流空をよけようとする。しかしその動きは流空に百秒前に予測されていて、落下しながら肩甲骨の突起へと片手を伸ばしていた流空は着地と同時にそれを引き抜いた。
突起はコンバットナイフの柄で、その切っ先が計算されたリトル・ミスの予測位置に向けて投げつけられる。殺傷ではなく動きを封じることに重点を置いた一撃は回避しづらい足狙い、予測より0.17ミリずれて右の脛に突き刺さるはずだったナイフは魔法のように動いた紅暁に砕かれた。リトル・ミスは受け身をとれず体の側面から落ちたが二秒で立ち上がり、獣じみた身のこなしで流空から間合いを切る。
足場が悪い。
地肌があたりを埋め尽くすスクラップたちで全く見えない。
「やっぱ竹光だね、バカ竹光。どうしてナイフは斬れて、槍は斬れないの」
数秒前にナイフの投擲から庇ってもらった上でこのいい草である。見れば、槍には一応リトル・ミスが打ち込んだ分の切れ込みは入っているが、どれも両断するには至っていない。
「紅暁です」と前置きしてから、
「俺が斬り通す前に、あいつが槍を引くからです。今までの攻撃もなるべく俺に接触しないように仕掛けてきてますし。分が悪いですよお嬢」
それを聞いて、むしろリトル・ミスは安堵したように吐息をこぼした。
「――――そっか」
かすかな笑みがにじむ。リトル・ミスの体から唐突に緊張が抜け落ちていく。驚く紅暁の切っ先が流空を指すが、この動作は「お前に向かって話しているぞ」という意思表示的な意味合いしか含んでいない。
「やっぱりあなたは、わたしたちのこと、覚えているんだね」
ようやく旧スクラップ工場に雨音が帰ってくる。




