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ブラック・アウト  作者: 巴 香織(ともえ かおる)
8/11

夢Ⅵ

光の洪水に、段々と目が慣れてくる。

辺りは一面真っ白で、何も見えないけれど、どこかで僕を呼ぶ声が聞こえてくる。


「エヴァンズ」


はっきりと聞こえてくれば、その声が一体誰なのかが分かってくる。


「ひいお祖父さま?」


問い返し。

光は段々と強さを落とし、普通に目を開けていられるほどになってくる。けれど、真っ白な空間であることには代わりはないようだ。


「来たな」


 僕の側にひいお祖父さまが立っていた。とても力強い笑みを浮かべて。

 周囲を見回して、何もない空間に不安を覚える。


「ここは、どこですか?」


「最後の場所だ」


「最後の?」


 問いかけに、ひいお祖父さまは一つ頷いただけで、他には何も言わずに、彼方を望んでいる。


「ようく、ここまでいらっしゃいました」


 声が辺りに響いて、風の渦が目前に起これば、いつの間にか人型となって、今まで館の中を案内してくれていた老人に変異した。


「これから先は主人の間です。どうぞ」


 老人はカンテラを下げて、先に立った。

 『主人の間』ということは、この先に、この館の主人がいるのか、と僕は胸がドキドキした。一体、どんな人なんだろう?

 僕らは白い空間を歩いた。その先に、柔らかい色の、木製の大きな両開きの扉が存在した。


「しばしお待ちを」


 言下、老人は扉を二つノックし、懐から出した華奢な鍵を錠に差し込んだ。

 カチ・・・・。

 鍵の開く音がわずかに聞こえる。


「さぁ、どうぞ。主人がお待ちです」


 僕はひいお祖父さまと顔を見合わせた。ひいお祖父さまは頷いて、先にその扉の中へ足を進めた。その後を僕は追い、最後に老人が部屋の内に入り、鍵を掛けた。


「ようこそ」


 彼は言った。

 部屋の中は、書斎のような場所で、本が沢山並べられた棚が列をなしている。茶系の温かみのある木製の棚に並べられた本は、まるで古い時代の図書館のようでもあった。


「この館は私が住まうが、私の思い通りにならぬ。遠回りさせたことを詫びよう」


長い、漆黒の髪がわずかに落ちる。

何か、不思議な感じの人だった。見た目は若いのに、とても長い時を生きているような貫禄と、何かとても奥深いものを感じる。まるで宇宙の闇の中のような感じがする。

 何故だか、とても寒い空気を感じるのは・・・・気のせいか?


「礼なら結構。時に、おぬしは知っているんだろう?」


 ひいお祖父さまの言葉に、彼は一寸口を閉ざす。


「そなたの・・・・孫娘のことだな」


「そうだ」


 ひいお祖父さまの言葉に、わずかに目をそらし、息を吐く。


「分かっているが・・・・」


 言下、彼は呟くように「アルシーナ」と呼んだ。

 ふわり、と白い雪の玉のような光が彼の側により、閃光を放って、人型になる。


「母さま・・・・」


 まるで夢から覚めるように静かに目を開く。昔と変わらぬ、優しい碧の瞳。麗しい金髪。


「エヴァンズ・・・・それにお祖父さままで?」


 目覚めた母は、きょとん、としていた。まるで幼子のような無垢なままで。


「どうして?」


 振り返った母に、彼はとても困った表情浮かべていた。


「言っただろう? いつまでもここに留まってはならぬ、と」


「でも・・・・」


「アルシーナ、話す相手は私ではない」


 奇妙な、雰囲気がよぎっていく。

 母さまは恐る恐る、といった様子でこちらを向いた。


「アルシーナ、エドワードとのことは私が悪かった」


「お祖父さま」


「お前が死んだ後で、私は思い知らされたよ。お前のエドワードへの愛と、エヴァンズへの愛に」


「でも・・・・もう遅いわ。お祖父さまがエヴァンズを引き取って暮らし始めた時も、私は悔しかったわ。エヴァンズはエド

ワードの子よ? どうしてエヴァンズに父親を知らせてくれなかったの? どうして・・・・?」


 碧の瞳から雫がこぼれ落ちる。いくつもいくつも、結晶のように頬から滑り落ちて、割れていく。


「返す言葉もない」


「エヴァンズは父親を知らないまま、父親に対しての感情も持たなくなってしまった。私、お祖父さまに言ったわ。エドワード以外の男の人は、絶対に愛さないって」


「・・・・・・」


「エヴァンズは二人で、幸せにするって」


 ひいお祖父さまは何も返せずに、押し黙ったままだ。


「でも、母さまは・・・・いなくなってしまったでしょう?」


「エヴァンズ・・・・」


「その間、僕はひいお祖父さまと一緒にいられて、幸せでした。それは母さまが思うものとは全然違うかも知れないけれど、僕はひいお祖父さまがいたから、この世を恨まずにいられたんです」

 

 何となく、勝手に感動の再会になるのだと思っていた分、とても悲しい気分になってしまった。母さまがそんな風にひいお祖父さまを責めると思っていなかったから。


「僕は、母さまが亡くなってから、とても悲しくて悲しくて、母さまと一緒に逝くことを強く望んでました。親戚はみな、どこの馬の骨か分からない相手の子供、と・・・・僕を蔑んで、誰一人として本当に僕の存在を受け入れようとはしてくれなかった。お祖父さまだってそうでした。でも、ひいお祖父さまだけが、僕の側にきてくれて、凍えた身体を抱きしめてくれたんです。ひいお祖父さまだけが僕を愛し続けてくれるって・・・・! 嘘でも僕にはそういってくれる人がいるなら、その人のために生きようってその時は・・・・思ったんです」


「・・・・・・」


「ひいお祖父さまや、お祖父さまがしてきたことは、確かに間違いかも知れない。でも、ひいお祖父さまたちだって、母さまに本当に幸せになって欲しかったから、父と離そうとしたのでしょう?」


「あなたには分からないわ、エヴァンズ。私がどれだけエドワードを必要としていたか!」


「母さま、何もかも憎もうとしないで。僕は母さまに幸せになって欲しいんです。死んでしまった世界で、幸せになれるのかは僕には分からないけれど、母さまは・・・・どうしたいのですか?」


「エヴァンズ、私だって全て憎みたいわけじゃない」


「でしたら・・・・」


「でもね、エヴァンズ。心残りが大きすぎて、あなたとエドワードに対する愛が大きすぎて、もう・・・・どうしていいのか分からないのよ」


 母はまるで幼子のように泣き出してしまい、僕はどうしていいのか、何を言ってあげたらいいのか分からなくなってしまった。


「エヴァンズあまり責めてやるな。お前のことを案じて、アルシーナは形而上に長く留まりすぎた。故、悪魔に連れて行かれそうになったほどだ」


「え?」


「ただそんな思いをしても尚、形而上に留まろうとすると聞かぬ故、私が館の箱に閉じこめた。いつかしびれを切らして冥界の神の下へ行くと言い出すだろうと思うていたが・・・・」


 そのままふとため息を吐いて何も言わなくなってしまった彼に、その後の事を察した。

 きっと、母にとってはそれほど自分の死が受け入れがたく、信じられないものだったのかも知れない。そうして、そこまで父や僕のことを・・・・想ってくれていたのだ。


「母さま」


「・・・・・・」


「僕の願いは、母さまやひいお祖父さまが幸せになることなんです」


「だが、わしは幸せというものは望まぬよ。お前と共にいられたことが、なによりの幸せだ。だが、アルシーナには勝手かもしれないが幸せになって欲しい。切に・・・・そう願っておるよ」


 ひいお祖父さまのとても淋しそうな笑顔が、僕の胸を指す。

 僕は母の側により、手で顔を覆って何も話そうとしない母に・・・・ただ笑顔を見せて欲しかった。

 静かに母の手に触れ、僕はあどけない顔で涙を流す母に少し・・・・微笑みかけた。


「エヴァンズ」


 僕の胸中に埋まる母。

 昔は逆だったのに、とわずかに苦笑する。

 人の温かみが伝わってくる。優しい香りが漂う。さらり、と流れる僕の・・・・大好きな金色の髪。


「僕はもう、大丈夫です。だから、もう悲しまないで」


「・・・・・・」


 僕の背に手を回し、胸中で首を振る。


「そんなに頼りないですか? 僕は母さまに、僕で縛られて欲しくないんです。理の道を外してまで、母さまが悲しい思いをするのはもう・・・・たくさんです」


 だから、と言いかけたところで、泣いていた母が顔を上げる。そして微笑を浮かべれば・・・・。


「その甘さが命取りなのよ」


と言った。


「え?」


 身体が言うことをきかなくなっていた。僕はまるで石の像にでもなってしまったかのように、指一本たりとも動かすことはできなくなっていた・・・・。


「言われたでしょう? この世界ではお前の魂など、悪魔を呼び寄せるだけだ。生身の魂である分、お前を狙う輩は多いだろう・・・・ってね?」


 なんで?

 僕は微動だにできない身体で、ただ驚愕するしかなかった。周囲に集まったひいお祖父さまや案内人や主人は、皆違う姿へと変容していく。


「館からうまく扉をつなげられたものだわ。先ほどは案内人に邪魔をされたけれど、あなたに触れたことで、色んな情報を知ることができた。だから、あなたを騙すことはとても簡単だったわ」


「……」


「これでも一時の猶予はあげたのよ。すぐに殺してしまうのは可哀想だからね。おかげで感動の再会もできて、心残りはないでしょう?」


 母の姿をした悪魔が口元に微笑みを浮かべる。

 悔しかった。こんな相手に、本当の母やひいお祖父さまを重ねて信じ込んでいるなんて・・・・!


「うふふ、悔しがっているわね。でも、もう遅いわ。こんなところで、生身の魂のままウロウロしているのが悪いのよ。普通なら捕まえてすぐに喰べてしまうけど、あなたは上玉だから、少しずつ喰べてあげる。どこから喰べてあげようかしらね」


 ふふふ、と楽しげに笑う彼女に、僕はなすすべもなく、どうしようもなく、どうしたらいいのかも分からずに目を閉じる。


「あら、もう観念してしまったの? もう少し骨のある子だと思ったのに・・・・残念」


 伸びた爪先が僕の顎や頬を撫でていく。


「本当はあの時喰べてしまっても良かったけれどね・・・・用心するに超したことはないもの」


 ぺろり、と唇を舐める。


「さぁ、どうしようかしらね・・・・」


 彼女の言葉に、

 僕は一体ここへ何しにきたんだろう? 僕はこのまま彼女に喰われてしまうのだろうか? 喰われたら・・・・一体どうなるんだろう?

 頭の中が真っ白だ。目前の光景さえ、まるで映画のワンシーンでしかないように、言葉が右から左へ流れていく。

 僕はまた夢でも見ているのだろうか? でも、これが夢なのか現実なのか、誰がそれにはっきりと応えてくれるだろう? 誰もがその中で、夢だ、現実だ、と言うけれど、僕の本当の世界は・・・・一体、どこにあるんだろう?


「エヴァンズ!」


不意に女性の叫ぶ声が聞こえる。その声には僕でさえ驚きを隠せなかったけれど、周囲の方がその声に恐れさえ抱いたような雰囲気だった。

 その場に白い光が集まったかと思うと、結晶化して人型になる。その姿は・・・・?


「おのれ、アルシーナ!」


「エヴァンズを・・・・私の息子を離しなさい!」


 現れた女性は、悪魔に短剣を投げつけた。

 「アルシーナ」と呼ばれたと言うことは、やはり母なのだろうか…。

 彼女は僕の前に立ちはだかって、細身の剣を抜いた。先ほどまでひいお祖父さまや案内人の姿をしていた者たちが、飛びかかると、一瞬にして貫かれて、その場に白い灰となって風に舞った。母の姿をした悪魔は、それを見て逆上したように長い爪を備えて母に襲いかかっていく。


「危ない!」


 思わず叫ぶ。

 しかし、到達する前に別の白い閃光に捕らわれて、灰となって消えてしまう・・・・。一体、僕の目の前で何が起きているのだろう?

 書斎は、母の姿をした悪魔が灰となった瞬間、書斎自体も灰のように舞い散り、何もない真っ白な空間を作り出した。


「・・・・・・」


 僕は何も言葉にならなかった。

 この世界の真偽がよくつかめなくて、目前に現れた二人の男女が、僕を助けてくれる人なのか、否か、もう・・・・分からない。


「エヴァンズ」


「・・・・・・」 


 僕は無言だった。

 「アルシーナ」と呼ばれた彼女は、僕が何も返さないと、延ばし掛けた手を引っ込めた。

 信じたい、けれどまた嘘かも知れない。僕はどうしたら、目の前の人を、母と信じられるのだろう?


「エヴァンズ・・・・」


「いえ、いいのよ」


 隣にいる男性が、僕に声を掛けようとして止められる。

少し長い、輝く銀色の髪が印象的だった。


「しかし、ここまで何のために来たんだ? お互いに」


「分かっているわ。でも、あの子の中には不安があふれて止まないの。どれが本当か、どれが嘘なのか・・・・分からないのよ」


「・・・・・・」


 彼は黙って僕の方を振り返った。不思議な金色の目だった。まるで、猫のような・・・・月のような・・・・。


「行きましょう・・・・」


「いいのか?」


 後ろを見せる母の姿に、納得がいかない様子で留める彼を、悲しい瞳が促した。

 二人がそのまま、背後を見せて遠ざかっていってしまうのを、段々とても心が痛くなって、僕は「待って」と言いたくて、言えなくて、その内に涙が溢れてきた。


「待って・・・・待って・・・・!」


行かないで!

 あなたが本当に僕の母なら行かないで!

 そう叫んだところで、どうにかなるものでもなかったのか。

 二人の姿が消えて、ただ一人白い空間に取り残される。母が真実の人なのかどうかも分からないまま・・・・。


「ふ・・・・」


 がくん、と膝が折れる。

 僕はただ笑うしかなかった。気が触れたように、笑って笑って、大声で泣いた。

 何のためにここまで来たのか? 母を捜しに来て、偽物の母に惑わされ、真偽も分からぬ人が来ればどうすればいいのか分からずいて・・・・僕の母への愛とはそんなものだったのか。

 僕はどうしたらいいの? どうしたら良かったの?

 そんなくだらない疑問ばかりが頭を占領して、僕は最後に天を仰いだ。


「ここが、本当に神の居ない世界ならそれでもいい! 母に・・・・僕の本当に母に逢わせて!」


 何も返るはずがないのは承知のことだったか。僕は叫び続けた。


「母が幸せなのなら、この世界にいてもいい。本当の幸せなんて僕には分からないけれど、この世界に居ることが母の幸せならそれでもいい。でも、どうか母に逢わせて一目だけでも、本当の母に・・・・逢わせて」


『どんなに願っても、神の居ない世界で返ってくるものなどあるものか』


 どこかで心の闇の部分が語る。


『ここへ来たのだって、結局自分のエゴではないのか? 自分が後悔したくないから来ただけだろう?』


 そうだ、後悔したくないからここへ来たのに。


『けれど結局悪魔にだまされて、真実を見出せずにいるじゃないか』


 そうかもしれないけど、それならどうすれば良かったって言うんだ!


『さっさと自分の生きている世界に帰る、って言っておけばよかったのさ。こんな神に見離された場所に長く留まっているなんて』


 それじゃ、母さまを放っておけと言うのか?


『死んだ人間は生きている人間と関わらない方がいいに決まっている。何回死にそうな目に遭ってるのか分かっているのか?』


「分からない! 分からないよ!」


 心に負けそうになって、僕は大声で叫んだ。


「誰だって後悔なんてして生きていきたくないよ! だからこそ僕はこの世界に留まることを選んだんじゃないか!」


 それがどんな危険を伴うかも分からなかった。ただ闇か光かを目指していくだけかと思ったのに、そんな単純な事じゃなかった。 

 僕は立ち上がって走り出した。二人が消えた方向を目指して。走って走って、その先に見つからなくても、どこかを目指せばいつかは逢えるはずだから、決して諦めちゃだめだ!


「もし本当に母さまなら、もう一度逢いたいよ!」


 幼い頃の記憶が蘇ってくる。優しい優しい母の記憶が。毎日手作りのお菓子を一緒に焼いたこと、母と一緒に眠ったこと、おいしい料理でいつも幸せだったこと、いつも笑顔で僕を愛しているわ、と言った母の記憶を。


「母さま!」


 叫び、足がもつれてそのまま前に転ぶ。転んで、諦めずに前を睨むと・・・・気のせいか、ぼんやりしたものが見える。


「何?」


 はずむ息を整えて、目をこらす。

 周囲に靄が漂っていたかと思えば、次第に向こう側に神殿のような白い建物が見えてくる。とても神秘的な、まるでアテネの神殿のような・・・・。

 僕はまた導かれているのか? そうなら、その誘いを受けよう。無論、この先に何が起こるかも、どういう結末があるかも知れない。けれど、僕は歩き出した。立ち止まるためにここに来たんじゃない。進むために、僕はここへ来たのだから。

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