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ブラック・アウト  作者: 巴 香織(ともえ かおる)
6/11

現実Ⅱ

光が眩しい・・・・。

 意識の彼方で、誰かが僕の名を呼ぶ。繰り返し繰り返し、歓喜の想いと共に。

 そして気づく。まだ、僕は戻ってきては行けない場所へ、戻ってきてしまったということを・・・・。


「エヴァンズ、あぁエヴァンズ・・・・!」


 お祖母さまが側で顔を覆って泣いていた。その横にはお祖父さまもいる。


「・・・・ここは・・どこ?」


「病院だ。学校から連絡があって・・・・駆けつければ、意識不明の状態で・・・・」


「どうして・・・・?」


「なにがだ?」


 僕はまだこの世界には戻りたくなかった。もちろん、帰ることは望んでいた。でも、今はまだ帰っていい時ではなかったのに・・・・!


「いかな・・きゃ・・・・」


「行く? どこに行くというのだ?」


「ひい・・お祖父さ・・・・の・・・・」


「エヴァンズ?」

 訝しむお祖父さまの言葉に、僕は目を閉じた。

 何故、この世界へ戻ってきたのだろう? 母さまの魂を探しに行かなければならないのに、何故いま?


「エヴァンズ」 


「お祖父さま・・必ず・・・・必ず戻るから・・・・もう一度行かせて。あの、館に。ひいお祖父さまのところに・・・・」


「何を言っているんだ? 夢でも見ていたのか?」


「夢?」


 夢・・・・だったのだろうか?

 館の案内人の老人。

 とうに亡くなったはずのひいお祖父さま。

 不透明な記憶に包まれた館の主人。

 それから・・・・。


「色んなことがあって混乱しているのよね。もう少し休みなさい」


 お祖母さまの手が髪を撫でる。

 分からない。自分は混乱しているのだろうか? 

 でも、あの館の中で、僕は確かに自分の意識で動いていたし、この・・・・現実の世界に戻ってくるために、光の道を目指してもいた。でも、戻れたら戻れたで、また館に行きたいなんて・・・・どうかしているのだろうか? でも、それはまだ母さまを捜している途中であったからで・・・・。

 分からない。本当に混乱してきてしまった。  

 それとも・・・・考えるまでもなく、あれはただの夢だったのだろうか?


「・・・・・・」


 お祖母さまの撫でる手の温もりに、段々と心安らいでいき、次第に意識が薄れていく。


「・・・・・・?」


 幻聴だろうか? 

 小波の音が聞こえる。向こうの方から、潮の満ち引きを繰り返す。ゆったりと不安を消し去るように繰り返す心地よい音に、全身の力が抜けていく。

 途端、海の底に引きずり込まれるように、身体が水と圧力を感じる。

 苦しい・・・・!

 口から空気が漏れていくと、その口を何者かに塞がれた。そのまま海の底の・・・・底のほうへ、引きずられる。


「戻りたいのか? あの館に・・・・?」


「!」


 これは館の主人?


「生きているお前には、あの館は一歩間違えれば死につながる場所。夢であっても夢でない場所。それでもお前は・・・・戻ることを望むか?」


 ふと、身体が軽くなった気がして、きつく瞑っていた目をあける。白い白い世界。ふわふわのやわらかなベッドの上で一人だった。濡れている様子もない。


「これ以上この世界いることを望むのならば、覚悟をすることだ」


「あなたが・・・・主人?」


 不意に現れた存在を振り返り見ると、すぐに鋭い深紅の両目に捕らえられる。次に漆黒の髪と、繊細な顔立ちが僕の目を奪った。

 僕の言葉に、彼は小馬鹿にしたように、くっと笑う。


「どうだろうな。誰が本当か、何が本当か、この館には何の定義もない。お前がお前であることを証明するものもいないし、何もない」


「僕を証明するのは僕だけです。僕が僕であることを信じてさえすれば、それが真実になる」


「ほう?」


 おもしろい事を言う、と目を細めて笑う彼を、ベッドに座ったまま見上げる。彼は腕組みをして言を継ぐ。


「では、いつまでも自分が自分であると、信じられるのだな、お前は?」


「そういうあなたは信じられないのですか?」


「どうだろうな。私の価値観は、私自身ではない」


「・・・・おっしゃる意味が分かりません」


「全てがお前の言うとおりに、分かることだらけではない、ということだろうよ」


 相当根性のねじ曲がった人なのか、それとも元々そういう性格のなのか、今一はっきりしない。


「それでも知りたい。僕がここに連れてこられた意味と、ここでの僕の存在価値を」


「存在価値?」


 彼は思いがけない言葉を聞いたように、一寸驚愕の表情を浮かべた。そして、そのまま気が触れたように大笑いを始め、僕はそのまま訳も分からずに呆然とする。


「存在価値なんて、いったい誰に求めているのかな? 自分を信じていれば、自分である証明はできても、存在価値は他人でないと見出せないのかい?」


「自分の存在価値は自分で見極められないでしょう?」


「では、私の存在価値は?」


「それは・・・・」


「存在価値は他人が見極められるのだろう? だったら私の存在価値とは何なのか、私に教えてくれ。・・・・尤も、この世界での存在価値など、何の意味もないがね・・・・」


「そんなことは・・・・」


「『ない』と言えるのかな、エヴァンズ・エル=カイル?」


 答えられないだろう? そう言いた気な深紅の瞳が、僕を見下ろしている。


「ないと・・・・思う。僕はまだこの世界がよく分からないから、今はまだ分からない・・・・」


「ふぅん?」


 反論してこないのか、という瞳が不意に近づく。


「では、エヴァンズ。そもそも存在価値とは何であるのか、君の意見を聞かせてくれ。存在価値の定義とは?」


「存在価値の定義・・・・」


「それとも、それを知らないで『そうである』と言っているのかな、君は?」


「そんなことは・・・・」


「では、言ってごらん」


 細められた深紅の瞳を見たまま、微動だにできない。まるで蛇に睨まれた蛙のように、そのまま息をするのも忘れてしまうくらい、深紅の瞳に捕らわれた。

 相手が瞬きをし、次の瞬間には白いシーツの上に押し倒される。そのまま相手が、捕ってきたネズミをいたぶる猫のような視線で、首下から左胸の心臓の上まで手を滑らせる。


「存在価値を相手が見極められるのならば、私にとってのお前の存在価値とは、私の玩具になる程度のことだな」


「な・・・・!」


 自分の胸の上で、相手の指先がめり込んだ。気持ち悪い感覚が走る。その内に相手の手が手首まで埋まって、握りしめてくる。それは、これが痛みの最大限のものではないかと思われるほどの、痛烈な衝撃をこの身に感じさせた!


「お前は考えたことがあるかい? 夢の中で『死』を迎えたら、現実にも『死』を迎えられるのか、と。現実の世界で見る夢だったら、ただの『死んだ夢』で終わるだろうけれどね。ここは『夢』の世界の『現実』だ。もしこのまま、私がお前の心臓を潰してしまったら、どうなると思うかな?」


「・・・・!」


 もう、言葉すらも発せない。それ以前に、痛みで意識を保つことができない。


「はな・・放せ・・・・!」


 喘ぐように放った言葉。それが精一杯の叫びだった。


「この世界ではお前の魂など、悪魔を呼び寄せるだけだ。生身の魂である分、お前を狙う輩は多いだろう。そんな状態でこの館に留まるのは、自分を殺せと言っているようなものだぞ。それでもお前はこの世界に留まって、自分の目的を果たしたいか、そうまでして?」


 痛みの感覚が和らいで自分の胸を押さえると、なんの跡形もなかった。段々落ち着いてきて、彼と目が合うと・・・・彼は憐れむように目を細めた。まるで、母が亡くなって引き取り手が決まらない僕を見ている無関係者のような・・・・そんな目だった。


「そんなことを望んでは・・・・いないはずだろう?」


「でも、最初にここへ来たのは・・・・僕の意志じゃない。アナタ・・・・でしょう?」


「さあ、な」


 ふい、と視線を外される。

 あの時、僕をここへ堕としたのはいったい誰なのかは、実際はっきりと覚えているわけではない。ただ、漠然とこの人である気がする、というだけだった。


「本当のことかは・・・・僕には見えていたわけではないから分からないけれど、母さまはずっと僕の側にいてくれたって聞きました。死んでからも、ずっと側にいてくれたって・・・・。母さまがここに迷い込んでいるかも知れないなら、ちゃんと行くべき場所に連れて行ってあげたいんです。でも、それはもしかしたら自己満足かも知れないけれど、でも・・・・」


「もし・・・・この館にいることが、彼女にとっての幸せであったとしたら?」


「・・・・・・」


「お前は自己満足のために彼女を冥界へ送り込むのか?」


「どうして・・・・そんなことを?」


「他人には・・・・誰にも知られない真実があるというもの。他人には解せない、な。もしお前の母が冥界に行くことを望んでいなかったときは・・・・?」


「そのときは・・・・」


 言って、僕はしばらく言葉を失った。

 母さまが本当にこの世界にいることを望んでいて、理の道を行くことを拒んだら・・・・それが母さまにとっての、本当に幸せなのだろうか? 


「冥界に行かないと言うことは、当然魂は浄化されずに、理の道を行くことができない。そうなれば、転生もできずに永久にこの館の中だ。その内に悪魔に魂を喰われたり、闇に紛れることにもなるだろう。それでも・・・・?」


 そんな風に、普通なら言われても分からない世界を説明されても、ただ困るだけだ。けれど、僕は何が本当にいいのか、何が本当の幸せなのかを、考えて・・・・考えた。


「どうしたらいいのか、僕には分かりません。何が最良の方法かなんて・・・・分かるわけないんです。だって、最終的に決めるのは僕じゃない。母さま自身でしょう?」


「その通りだな。だが、人はどうせ色々後悔するだろう? あの時こうしていれば、ああしていればと、つまらぬ事で自分を責め立てる。私には馬鹿げた事に思えるがな」


「そうだとしても、それが人間というものなのではないでしょうか? 例え愚かな結末であっても・・・・」


「そうか。ならば、お前はここに留まるのだな? お前の探し人を見つけるために」


 どうしてそういう流れになったのか分からないけれど、何かが僕の背中を押して、この館での結末を見ることを決定させた。


「・・・・はい」


 答え、何故か震える自分の身体を抱きしめる。

 分からなかった。その意志が自分のモノであったのか彼のモノであったのかは、結局この世界での(恐らく)僕の運命に流されてしまって、最後の時を迎えても、それは明らかになることなどなかった。


「では、ゆくがいい」


「・・・・・・」


「私はお前に何もしない。何が起きても、それはお前の意志であって、ここでのお前の存在価値だろうからな。だが、一つだけお前に言葉をやろう」


「言葉?」


 反復した僕の言葉に、彼は今まで見たことのない慈愛の気をこめて、僕の額に接吻した。


「幸運を・・・・」


 優しく髪を愛撫する彼の手に、僕は無意識に言葉を返した。


「・・・・あなたにも」


 目前が暗転する。目を閉じたように、真っ暗で何もない世界が広がっている。宇宙のように、一体どれだけの広さがあるのか分からない、何の気配もない空間を漂っていく。


『エヴァンズ・・・・』


 優しい母さまの声。

 撫でてくれるぬくもり。

 抱きしめてくれるやわらかさ。

 春の香り。


『エヴァンズ・・・・』


 母さまの本当の幸せって何だろう? 

 この館に留まること?

 冥界へ連れて行かれること?

 僕にとっての幸せってなんだろう?

 母さまと逢えること?

 両親と暮らせること?

 ひいお祖父さまの幸せ・・・・幸せって本当はなんだろう? きっと誰もが幸せを知っていて、幸せが見えていない。自分の幸せで他人を不幸にしてしまうかも知れない。本当の幸せって、いったいなんだろう?

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