02-1
「……えっと、どこから正せばいいのかな?君の名前は、リズ、さんでいいんだよね?」
混乱する感情を押さえつつ、できるだけ優しく、小さな子供に相対するように話しかける。
「……そんな、お姉さま……他人行儀です。私のことは、リズ、それかリズちゃんって呼んでください。」
何故かくねくねと、しなをつくりながら言う。語尾に大きなハートマークが見えるようだ。
「他人行儀っていうか、初対面だよね?俺とは。リズさん、日本語しゃべれるのになんで変な言葉喋ってたの?」
顔が、近い。
ちらりと覗いた濃いピンクの舌にさっきのむせかえるようなキスを思い出し、強引に膝から降ろして、床に座らせた。
「むー。お姉さま、いじわるです。リズは、お姉さまから基本的な言語能力のコピーをしたんです。
さっきまで召喚基礎魔法の練習をしていて、気づいたら、目の前にお姉さまがいたんですもの。お姉さまとは運命の出逢いをしちゃったんです。」
「……ちょっと厨ニさんなのかな?電波さんなのかな?あと、俺はお姉さまじゃないから。」
「失礼しました、バカタカハシお姉さま。チュウニはよくわからないですけど、科学世界では、電波の力で世界を導くんですよね?本で読みました!
とにかく、運命なんです。だって、リズの初めての……を捧げちゃったんですから……。」
支離滅裂なことを言いながら、もじもじと顔を伏せ、それでもチラチラこちらの様子を伺ってくる。って!完璧に凶悪なハニートラップじゃないか!!
滅べ!数分前の俺!
高橋さん、恐ろしく濃いキャラ送り込んできたな!何の怨みだ!俺何したんだ!?
「バカタカハシさま?」
リズさんが可愛らしく小首を傾けながらこちらの顔をのぞきこんでくるが、すでに可愛らしくは見えない。
「……うーっ!意義あり!!」
「……?何ですか?……意義?」
「まず、俺は高橋じゃありません!高橋は君をここに送り込んだバカプログラマーです!!
あと、お姉さまって!!俺は篠田裕紀!れっきとした男だ!!!」
「……。」
「……。」
リズさんが真っ直ぐ俺の目を覗きこんでくる。
「……またあ、そんな……。こんなに綺麗なお姉さまが男のわけ、ないじゃないですか。」
いや!まて!確かに、女顔で背も低くて筋肉も薄いことは認めよう!
でも!ちゃんと男だから!第一骨格違うし!胸とかないし!ついてるから!
「……確かに、私よりスレンダーなお胸の女性は、初めてみましたが……。
だからといって自分のことを男だなんて!そんなに卑屈にならないでください、その甲冑の似合いそうな薄い身体も、絵物語の騎士様のようでとても素敵ですから。」
「!そうじゃなくて!事実、本当に性別が男なの!ほらっ!」
カーディガンを脱ぎ捨て、Tシャツをめくりあげる。当たり前だが、乳房とかは無い!
「……。まあ、お姉さま、だいたん」
目をそらしながら、リズさんは頬を染めつぶやく。
「ちょっ!そーじゃないでしょ!現実をみてよ!ほらほらっ!」
「……中にはそういったお胸の女性もいらっしゃるのですね。お風邪をひかれるかもですから、ほら、早く服を着てください。」
こいつ……。
「お前っ!俺が男だってこと、認めないつもりだなっ!
よっし!なんなら※※※※出すぞ!?※※※※見たいのか!?もしや痴女か!?」
勢い余ってデニムパンツのチャックに手をかける。
「!!いやっ!!」
どんっ!ガゴ!
意表を突かれるほどの馬鹿力に突き飛ばされ、背後にあった壁で頭を打った。
衝撃で少し頭が冷える。
うん、いくらなんでも女の子に※※※※見せようとしたら、ダメだよな。
れっきとした男、と自分では言ってはみたものの、実は俺はよく女と間違えられる。
鏡で確認してみても、俺としては普通に男に見えると思うんだが、周囲からはどうやらそうは見られないらしい。
痴漢に会うこと数回。
男から告白されること十数回。
トイレに入ろうとして止められること数十回。
女性にしか渡さないはずの試供品や風俗ティッシュは当たり前のようにもらうし、レディースサービスも当然のように受けられる。
今の会社に入社後も、やはりほとんどの先輩たちに女だと思われていたようで、泊まり込みでの深夜業務は『危険だから』と、認めてもらえなかった。
他にもいろいろと俺の知らない弊害があったらしく、ディレクターさんたちに、もっと男らしくふるまえ、と、どーしようもない説教をされた。
それ以来、話し言葉も「僕」から「俺」に変更し、身体も鍛えている。が、筋肉が細い体質らしく、ほとんど体型の変化はみられていない。
気を使って努力していた矢先に、好みの外見の可愛い女の子にキスされて、お慕い、とか言われて、「俺、少しはイケメンになったのかも~」なんて、調子に乗ってしまっていたのかもしれない。
高いところから急に落とされて、血液が頭に集まってしまったんだろう。
「あ、変なものみせようとして、ごめ……。」
「……ね、お、おとこ、なの?本当に?」
「……うん。」
リズさんから真っ黒なオーラが漂ってくるのを感じる。
圧倒的な恐怖。
これ以上下がれない壁に、身体をぴったりとよせる。
「ふ、ふ、ふ、ふ……。
異世界行ったら目の前に理想の、演劇に出てくる女騎士様、ベランダ様のような、理想通りのお姉さまが……なにこれ、ラッキー過ぎるっと思ってたら……こんな……。
お姉さまの全てを奪っ……じゃなく、私の全てを捧げようと、心に決めた、というのに……。」
「……なんか物騒な単語が聴こえたんだが……。」
「……紙!出来るだけ大きな!紙!!早く!」
「え?あ、ああ、大きな紙ならB1のクロッキー帳が……。」
焦って立ち上がり、ベッドの下からクロッキー帳をとりだす。
奪い取るようにクロッキー帳を受け取ったリズさんは、俺を一瞥すると、再びタブレットPCを起動させはじめた。
「あ、そのタブレット、うちの会社の……。」
「うるさい、気が散るから黙れ!」
この子、怖い。勢いに負け、ベッドの上に移動して体育座りで待つ。
さっきの光るペンをとりだすと、1メートル×0.7メートルの大きさのクロッキー帳の新しいページに何やら図形を描き始めた。
「もー、白い紙って、描きにくい……。」
独り言のように呟きながら幾何学的な図形をまるで、トレースでもするかのようにスラスラと作り上げていく。
それは、とても美しく輝く魔方陣。
円と直線が複雑に絡み合った精緻な光の魔方陣がビデオの早送りのように出来上がっていくのを俺は息を殺して見つめていた。
「……これって、魔方陣?……だよね??」
クロッキー帳の上で恐ろしく細かい、芸術作品のような魔方陣が呼吸をするように明滅を繰り返す。
「はい、ここ、立って」
リズさんは、顎で魔方陣を指し示し、俺をクロッキー帳の上に誘導した。
いつもだったら、こんな子供の失礼な態度に従いはしないし、こんな立派な作品を踏む、なんてことはできないが、光輝く魔方陣の現実離れした迫力に押され、ふらふらとそこに立った。
リズさんがタブレットPCをリズミカルに叩きながら呟く。
「全智なる女神ルイーナに願う。この者に新しき身体を!女たる性を与え……。」
「って!バカ!なんだソレ!」
より激しく輝きだした魔方陣から転がり出るように降りた。
「こわっ!……っお前!冗談でも人の性別を断りなく変えようとすんなよ!」
「どうみても女にしか見えないんだから素直に女になっちゃえばいいじゃない!もったいない!」
「俺は男に満足してるの!」
魔方陣は明滅を止め、表面にうっすらと光る模様が描かれたクロッキー帳の一頁へと戻った。
……今の、もしかすると、魔法だった、のか?さっきも舌に魔方陣が浮かんで、言語の一致、とか……。
そんな、馬鹿な。
頭を大きく左右に降り、おかしな考えを霧散させる。
「とにかく、変な手品で大人をからかうような真似はやめてくれ。
今日はもう遅いから、ここに泊まっていってもいいけど、一度ちゃんとお家の方に連絡しなさい。ちゃんと親には話してあるの?」
「!……お家に連絡……心配、するよね。私、こんな時間まで帰らなかった事ないし、もしかしたら、捜索してるかも……!」
リズさんがさっきまでの怖い雰囲気を一転させ、急に弱気な表情を見せた。アレな子だが、やっぱりまだ子供だ。
「親に言わないでこんなことやってるの?……うん。捜索されてるかもしれないね。ほら、携帯無いの?ないなら俺の貸すから、電話してご両親を安心させてあげなよ?俺も電話出て説明するから。」
「……どうしよう……。どうやってお父さんとお母さんに連絡とればいいんだろ……。」
「?もしかして、家の番号わからないとか?大丈夫だよ、俺が電話番号検索するから、住所教えて?もし、家に電話がない、とかなら最悪近所の警察に連絡するし。」
リズさん、の表情がみるみる青ざめていく。
「……リザベード・ヴェルガー、ヨルドモ王国城下町北地区。」
「……?はぁ?」
「ヨルドモ王国立国家魔導師養成女学院高等部総合学科一年特別クラス。」
「??なにいってんの?」
「ヨルドモ王国は大ロマーリオ帝国の北東にある国で、大ロマーリオはロマーリオ大陸最大の帝国。で、ロマーリオ大陸は地上最大の大陸。他にも2つの大陸と大型の島が4つ。それから無数の……」
「なんの話?ロマーリオ?ブラジル代表の?」
「うちの住所の説明。」
「……君の中でそういう設定ってこと?そうじゃなくて、ちゃんと本当の住所をね。最初外国の子かと思っちゃったけど、ハーフか日本人なんでしょ?」
「違うよ、日本なんて知らない。」
「いやさあ、君くらいの年の子供の中には、そういう風に思っちゃう子もいるってのはわかってるけど、そうじゃなくて!本当の住所をね?……っ」
「違うんだもん。そういうんじゃないよ……信じてくれない?」
「信じるもなにも、嘘ばっかり言うし!」
「本当のことしか、言ってない!召喚魔法に失敗してここに来たって、さっき言ったじゃない!」
「だから、そんな嘘、言うなよ!俺だって未成年者無断で泊めたら犯罪扱いされるかもしれないんだからな!いい迷惑だ!」
リズさんの大きな目が見開かれた。
「……あ、そっか。そだよね……。うん。ご迷惑おかけしてごめんなさい。服とか、貸してくれてありがとう。やっぱり、あなたはベランダ様じゃなかったんだね……。
じゃ、この紙だけもらってくから!!バイバイ!」
リズさんは、スルリ、と靴下を脱ぎ捨て、裸足のまま玄関を飛び出した。
「え、えー??ベランダ様?なにそれ?」
急に静かになった室内を見渡す。うわー。タブレットPC持ってかれちゃったな……会社のなのに……。始末書かな……。
「……後味、すげー悪い……。」
脱ぎ捨てられた靴下ごしに、玄関を眺めながら呟いた。
「……って!ちょっと、まずいだろ、これ。」
ついボーっとしてしまったが、たとえ電波さんだろうと、あんなに可愛くてまだ幼い女の子をこんな時間に一人で外にだすのはまずい。
魔法がどう、とか、ロマーリオやベランダに突っ込みたい、とかはとりあえず置いておこう。
急いで去年着ていたモッズコートをクローゼットの奥から引き摺り出し、ポケットに財布と携帯、それから脱ぎ捨てられた靴下をまとめて突っ込む。
さらに、リズさん用にダウンジャケットを脇に抱え、家を走り出た。
一旦アパートの最上階まで階段を駆け上り、そこからまたかけ降り、アパートの全てのフロアの薄暗い廊下を確認した。
「いないな……。とりあえず、駅かな」
アパートの一階のテナントもちらりと確認し、駅まで走ることにした。
裸足の女の子がそんなに早く移動できるとは思えないが、駅までの薄暗い商店街を走り抜けながら探す。
すでに日付が代わりはじめる時間だ。ポツン、ポツンと街灯が地面を丸く照らし、多くの店はシャッターを降ろしている。
あの年で居酒屋などに一人で入ることはできないだろうから、いるとしたら24時間営業のコンビニや、ファーストフードチェーンの中だろう。
もし、駅にいなかったら居そうな店舗の中をしらみ潰しに探そう。
本当に何か事件が起こっていたら、後味が悪い、なんてもんじゃない。一生後悔することになりかねない。
駅までは走れば3分もかからない。
駅に辿り着くと、上りの電車はすでに終わっており、鼻にかかった構内アナウンスが下り最終電車の到着をつげた。ここは都心部の乗り継ぎ駅のわりに規模が小さく、普段、夜はあまり人影がない。
しかし、今日は金曜日ということもあり、それなりの混雑を見せている。
反射的にIC定期券で改札を抜け、ホームへと走る。が、最終の電車から、わぁっと人が降りて来て、背の低い俺はあっというまに人波に飲まれた。
「すいませんっ!通ります」
人を掻き分け、もつれるように階段を上りきるが、ようやくホームに着いたときにはすでに電車のドアは閉じていた。
ホームを見回し、リズさんの姿を探すが、見当たらない。
「……いや、もし無事に電車に乗れたのなら、むしろ問題ないじゃないか。」
息を整えながら独り言つ。
無事に電車に乗れているなら、家に帰るなり、友達のうちに泊まるなりできるだろう。
電車をみて怯えたり、やたらキョロキョロしていた姿を思い出したが、あれはきっと高橋さん指示の演技なんだろう、と決めつけた。
それよりも危険なのは……
「おねーさん!終電逃しちゃったんですか?よかったら俺らと遊びに行きませんかー?」
……ああ。そう、こういう輩が、リズさんに強引に手を出さない、とはいいきれないよな。まだだいぶ若い女の子だ。うまく対処出来るとは思えない。
「ねー、おねーさん?無視しないで、ほら!いい店知ってるんでー。」
輩が、俺の肩に手を回してきた。腕に力を込め、ぎゅぎゅっと押してくる。正直かなり気持ち悪い。
……リズさん、細かったな。
あんな華奢な女の子、強引に抱えられたら抵抗も出来ないだろう。
「ほらほら、こっち行きましょうよ~?なんならお姫様抱っこで連れてっちゃいますよー。」
……急にぶわっと身体が浮いた。うわっ!こいつ、気持ち悪っ!何やってんだ!?ケツ触んな!!
身体を捻り暴れて逃れようとする。
輩の力は結構強いが、こっちだって見た目はともかく、身体は男だ。
「おい!お姉さんが嫌がってるじゃないか!よせっ」
……あ、助けが入った。
助けの方に輩の意識が向いたのを確認し、腕から抜け出す。
あんな奴らがリズさんに襲いかかったら大変だ。こんな風に助けが入るとは限らない。早く保護しなくちゃ。
「……お姉さん、もう大丈夫。また、ああいう奴が声をかけてこないとも限らないです。もしよかったら連絡先を交換しませんか?」
そうだ、せめてリズさんの連絡先くらいは聞いておけば良かった。
ここでこうしてても仕方ない。駅に来ていない可能性もあるし、とりあえず商店街を探してまわろう。
「あれ?おーい、おねーさんー!?どこ行くんですか??」
「あ、えーと、どーもありがとうございました!」
振り向いてお礼を言い、ホームの階段をかけ降りる。急がないと、もしリズさんに何かあったら責任とれない。
「いえ、それで、連絡先を…って足早いな!おい!?」
目の端に、ぼろぼろな男たちの姿がうつった。
駅前のコーヒーショップ。
それから有名ファーストフード。
何故か三件立ち並ぶコンビニ。
開いている店を一件一件、店内奥まで確認しながら商店街を戻る。
ここもいない。
ここにもいない。
もしかしたらすれ違ったんだろうか?
家に近づくにつれ、焦燥が募る。
建物と建物の隙間に挟まって出られない、なんてこともあるかもしれない。小さな隙間も丁寧に確認する。
いない、いない。
とうとう、自宅アパートまで戻ってきてしまった。もう一度部屋まで戻って商店街を往復しよう。
アパートの門に入ろうとしたその時、行きにすでに確認したはずの一階テナント「拉麺百乱」の中に、裸足のままの女の子の姿を見かけた。
「……リズ……さん!?」
店内に走り入り、俺が声をかけると、ラーメンを不器用に頬張る女の子は、顔を真っ赤に赤らめて言った。
「……なんで、そんなに、泣きそうな顔をしてるの?」
そう言われてようやく、自分が酷い表情をしていた事に気がついた。
「どこか壁の隙間にリズ……さんが挟まったんじゃないかと思って、探してた……。」
「なんでそうなるの!?挟まんないわよ!ねえ、あなたからみると私ってそんなにデブなの!?」
「……良かった。」
俺はリズさん、に近づくと、腰から崩れるように隣の席に座った。