01-2
「疲れたー!ただいま!!」
俺は倒れるように玄関をくぐった。
もうね、何が大変だったかって、後ろのこの子!バカ高橋さんに送り込まれた刺客!!
常に挙動不審で、コンビニのATMに張り付いてギャーギャー騒ぎ立てるわ、地下鉄のホームで電車に飛び込みかけるわ、少し目をはなすと知らない兄ちゃんに拐われかけるし、マナーとか関係なしにタブレットPCを起動しようとするし!
言ってること全くわからないから余計疲れるんだよ!
「まだ高橋さん、電話通じないな……。」
電話をかけなおしたが、通じる気配はない。
リモコンで暖房の電源を入れると、その機械音に女の子が跳ねた。
どんたけ未開の国から来たんだ……。高橋さんのネットワーク、半端ないな。
女の子の靴を脱がし、室内に通す。電気を灯すと、女の子が小さく息を飲んだ。
俺の部屋ははっきり言ってカオスだ。
姉ちゃん以外の女子が踏み込んだことはないし、積極的に家に友人を呼ぶこともない。
ゲームのグラフィックデザイナーらしく、二面モニタのPCと巨大なペンタブレットが部屋の正面奥に鎮座し、壁一面の本棚には大量のマンガ、それから画集、図鑑や資料が並んでいる。
また、大型のテレビには各種次世代機が接続され、常に小さなうなり声を発している性で、エアコンをつけなくても実は少し暖かい。
棚には次世代機以外にも歴代ハードが並べられ、旧世代機や8bit機でさえ現役だ。
部屋の中でも特に異質オーラを放っているのは、外付けコントローラの棚だろう。
大好きな音楽ゲームのコントローラはドラム、キーボード、ギター、太鼓、謎のマットからビシバシなボタンまで、ほぼほぼ揃えてある。もちろん、格ゲーのレバー型コントローラも、レースハンドルだってペダル付きで完備だ。
これらの機器の間を縫うように、5.1CHのスピーカーケーブルが引かれている。ゲーマーは当然、音にもこだわるものだ。
まるで秘密基地のような室内を呆然と眺めていた女の子は、入り口近くに固められたある棚の方に走り寄った。
ーー鉄塊 。
もう10年も前に発売された、俺の大好きなロボットゲームだ。実際に外付けの巨大コントローラを使ってロボットの操縦を楽しむ家庭用ゲーム、というよくこれ企画と通ったな、としか思えない歴史に名を残す名作だ。
ちなみにモーションコントローラを利用した続編が出るとの噂もある。
我が家では、コクピットを模した巨大コントローラをスチールラック内に組み上げ、専用のモニタを入れ込み、側面を段ボール壁で覆いつつ、座り心地の良いリクライニングチェアを設置し、足下にペダルを仕込んである。
いわゆる鉄塊ブースだ。
女の子はそのコクピットに乗り込み、レバーを上げ下げしてみている。
それから一際目立つところにある緊急脱出ボタンを連打し、輝くような笑顔でこちらを振り向いた。
「※×―∑§→±∑?A!」
「あー、それ気に入ったの?ごめん、なにいってるかさっぱりわかんない。」
「……∈Ω‡!」
女の子はずっと抱きしめていたタブレットPCを起動させはじめた。
「翻訳ソフトかなんか、とってくるの?」
確かに、俺じゃ女の子が何語を話しているのかすら判らない。本人が翻訳ソフトを探すのが適任だ。
「¶‐‥⇒Ω‡。」
ワンピースのポケットから黒い紙のようなものを取りだし、細く光るペンでタブレット画面に表示された図形を写しとっている。
しばらくすると、写しとり終えたらしく、リクライニングチェアから立ち上がり、真剣な表情でこちらを見つめてきた。
……え?
日本語で言いたいこと書いて見せてくれるんじゃないの?
頬を真っ赤に染め、潤んだ瞳で、しかし俺から目をはなすことなく、一歩一歩、ゆっくりと近づいてくる。
「§→∈Ω‡……。」
小さな、高い可愛らしい声。
「……な、なに?」
思わず後ずさってしまう。
俺の小さな部屋はモノで溢れていて、後ろに倒れこむように床に崩れてしまった。
「×※※‡∈Ω‡……。」
床にぺたりとしゃがみこんだ俺の膝の上に、前のめりに女の子がのしかかってくる。
小さくて柔らかいお尻が俺の太ももを、まるくて華奢な膝頭が俺の手を、動けないように押さえつける。
いや、振り払えば当然、逃れることはできたのだろうけど、なんていうか、本能とかいうやつが、俺を動けないようにさらに押さえつけていた。
「……√∠∈Ω‡、×―∑。」
女の子は、口を大きく開けて舌をだした。白い肌に薄く色づいた唇。露になった濃いピンクのぬらぬらとした舌。
蛍光灯の光の下、逆光の中、見上げた女の子は、怪しい色のコントラストを醸し出していた。
表面がうっすらと光るさっきの黒い紙を舌に押し当てる。
すると、舌の表面に魔方陣のような模様が現れた。
濡れた舌の表面に白く明滅する魔方陣。それは、ゆっくりと俺に近づいてきた。
女の子の腰が浮き上がり、膝頭に力が入る。小さな桜色の指が俺の頬を包み込み、口を薄く開かせる。
口を大きく開いたままの、噛みつくような、これは、キス、と呼んでいいんだろうか。
女の子の瞼がトロンっと閉じていくのに合わせて、何が何だかわからないまま、俺も目を閉じた。
ゆっくり歯列をなぞるように、挿入しようとする圧力に屈し、もったいつけるように歯を開く。
舌先が俺の舌に触れた瞬間、脳に響くような衝撃を感じた。
「……ん……あっ……。」
舌の絡み合う水音にまぎれ、女の子の小さな喘ぎが静かな室内に響く。
ご褒美
あの時高橋さんの言っていた言葉が頭をよこぎり、冷たい水を被ったかのように理性が戻ってくる。
「……って!すごいハニートラップじゃん!!」
「??ハニー…トラップ??」
「あー、もー!高橋さんになに言われて来たんだよ!こんな子供が色仕掛けとかしちゃいけません!!」
もったいない、とか頭を横切ったが、ハニートラップに引っ掛かった後の事が恐ろしい。
「……ハニートラップ?とかじゃないです。」
女の子が流暢な日本語で喋りだした。
「魔方陣を起動させて、言語の一致を行いました。科学世界のお姉さま、リズは、あなたをお慕いしております……。」
……魔方陣?科学世界?お姉さま……?お慕い??
潤んだ瞳と上気した頬をもつ美少女を前に、どこから突っ込んだらいいのか、俺は混乱していた。