10-2
12月26日午前11時00分
そろそろ、渋谷の店が開く時間だ。
描いているデッサンも切りよく描きあがったので、リズに声をかける。
リズは椅子から降り、ダウンを着こみながら言った。
「ね、その絵、少しの間だけ、貰っててもいいかな?帰るときに返さなきゃいけないけど……。なんとなく、持っていたいの」
「この絵でいいなら、どうぞ?」
俺は、一番上手に描けたと思うリズのデッサン、頬杖を突きながら、窓から外を眺める可愛らしい少女の鉛筆画、を、渡した。
「じゃ、いこうか。」
俺がお手拭で汚れた手を拭っていると、いつの間にかリズは俺の描いた絵をしまったようだった。
そして、何故か突然、滝のように泣き始めた。
「あああー!ユ、ユ、ユーキ……ご、ごめっっ!
ありが、と……●●●●●●●。●●●、●●●●、良かっ……た……っ」
あ、あれ?
リズが喋った言葉が、一部認識できない。確かに、俺にわかるはずの言葉で喋っているのに、脳までその言葉が届かない。その言葉だけ何かに妨受されているかのように。
「●●●●、●●●ー!!ユーキ!
●●●●●●、●●●●●、●●●!!」
今朝の、言葉が通じないのとは全く違う、言葉が聞こえない事実に唖然とする。
そのまま、リズは、謝罪と、御礼と、俺の名前とを連呼しながら、虫食い状態で泣き叫び続けた。
12月26日午前11時45分
俺の腕の中、幼児のように小さくなって泣き叫んでいたリズの嗚咽がようやく止み、軽いしゃっくりを始めた。
何故泣いていたのか、理由を聴いても、喋って貰えない……ではなく、リズは理由を必死に話しているのに、それは俺の脳には全く聞こえない。
どうにか落ち着いてきたリズは、待ち合わせが気になるのか、チラチラと窓からハチ公前交差点を見ている。
「リズ、そろそろ、待ち合わせだけど……行けそう?」
「ダメ!行っちゃ、ダメ!ユーキ、●●●●!!」
リズがまた、錯乱状態になりかける。
仕方ない。
俺はスマホを取りだし、高橋さんと樹里さんにメールを送った。
タイトル【遅れます】
本文【ちょっと遅刻します。レコーディングスタジオに先に行っていて下さい。】
送信。
そうすると、すぐ、高橋さんから返信が来た。
タイトル【了解】
本文【スタジオここね。】
URLリンク有り
「……リズ、高橋さんと樹里さんに遅刻するって連絡をしたから。少しだけ、ゆっくりして、直接レコーディングスタジオまで行こうね。」
そう言って背中をポンポンと叩くと、リズはようやく、安堵の表情を浮かべた。そして、また、窓から何かを探すように、身を乗り出して交差点を眺めた。
「……良かった……ありがとう。」
「なんだかよくわかんないんだけど、多分、もう大丈夫だよ?」
「……ね、ユーキ。最初に待ち合わせしていた時間まで、後どのくらい?」
……なんだ?
「ん?もう、過ぎてるけど?」
俺がそう答えると、驚いたような表情になった。視線はずっと、交差点を凝視したままだ。
「どうしたの?何かあった?」
「……何も、無い……!!なんで!?」
12月26日午前12時15分
スタジオに着くのがあまり遅くなっても困るので、高橋さんから送られてきたURLを便りに直接向かうことにした。
コーヒーショップから出たリズは、俺にピッタリとくっつき、キョロキョロと辺りの様子に神経を尖らせているようだった。
ここまでピッタリとくっつかれると正直、照れ臭い。
「リズ、流石にちょっと、照れるから、普通に歩かない?」
「……ダメ。」
リズは、離れる気は無いようだ。
地図を見ながら、渋谷の西口の南側、つまり、代官山のある方向を目指して歩き始めた。
西口ロータリーを南下し、歩道橋を越えると、車通りの多い細い道に辿り着く。
その細い道を山手線沿いに歩く。
と、リズが突然、しゃがみこんだ。
「どしたの?」
「……今、黒い車が……。」
そういえば確かに黒いバンが俺たちの脇を抜けて走って行ったけれど……。
「あんな普通の車、いっぱい走ってるよ?どうしたの?」
腰が抜けたようにしゃがんでしまっているリズを立たせ、腰を支えた。
身体が密着し、リズの震えがハッキリと伝わってきた。
「リズ、大丈夫?なんだか調子悪いね、ずっと。
もうすぐそこだし、なんだったら、俺、ちょっと顔だけ出して戻ってくるから、そこのコンビニで待ってて?」
俺がコンビニを指差しながら言うと、リズは、真っ青な顔になって言った。
「……ダメ、それは、絶対ダメ……。
だって、●●●●●●●、ユーキだもん…」
その時、俺たちの向かっているレコーディングスタジオの方向に曲がる黒い車が目の端に入った。が、リズがまたパニックになりそうだったので、黙っていることにした。
12月26日午前12時45分
車がすれ違う事の出来ない、細い住宅街の路地をぐねぐねと進む。
白く小さなマンションビル、白い鉄の玄関扉に赤い金属プレートでレコーディングスタジオの名前が掲げてあった。
路地に面した薄黒いガラス張りの壁の内側で、ロビーがあるのだろう、何人か談笑しているようなシルエットが見えた。
玄関脇にあるシルバーのインターフォンを押すために、一歩前に出ると、木立で囲まれた小さな駐車スペースがあるのがわかった。路面からはわかりにくかったのだが、そこには、黒いバンが停まっていた。
「っーーーー!」
リズが声にならない悲鳴をあげる。
「ユーキ!に、逃げよう!すぐ!●●●●●!!」
「え?リズ、なにいってるの?ちょっと……。」
俺の腰に抱きつき、ぐいぐいと全身で押し戻そうとする。
「は、早く、しないと!!」
カチャッ
「お前ら、なにしてんの?さっさと入りなよ。」
重い鉄の扉が内側から開き、高橋さんが顔を覗かせた。
「高橋さん、リズの様子がおかしくて……。」
「リズちゃん?なんかあったの??
そいや、篠田くんから来たメール、あれ、いったい誰に送ってんの??」
「え?高橋さんと、樹里さんにメールしたつもりなんですが……」
「ユウキから私にメールが来たことなんて、今まで一度もないわよ?冷たいわよね。」
高橋さんの後ろから樹里さんが顔を出し、言った。
「ユウキ、久しぶり。その女の子が、リズちゃん ね?」
……あれ?メールが一度も樹里さんに届いていない?
俺はいったい、誰とメールをしていたんだ?
「だめ!!みんな、すぐ隠れて!!危ないっっ!!」
そうリズが叫んだその瞬間、それは起こった。
ツッーーーーーーーーーッッッ!!!!
世界が突然姿を変え、風景が消え去った。許容量 を超えた爆音に、俺の耳はその働きを放棄し、目の前にあった白く固い鉄の扉がリズに襲いかかるのがみえた。
っ危ないっ!!!!
思わず、リズと扉の間に身体を滑り込ませる。そして、ほぼ反射的に身を伏せた。いや、鉄の扉の勢いに負け、押し潰された、と言った方が正しいかもしれない。
ガンガンッと幾度となく、鉄の扉越しの背中に何か重たい物が、ぶち当てられた。あまりの衝撃に意識が持っていかれそうになる。
腕の中にリズを包み込みながら、できる限りリズに衝撃がいかないよう、肘に力を込めた。
ぐしゃり
扉が大きく歪み、俺の骨にヒビが入る音がした。
口の中に鉄の味が広がる。
呼吸は行っているのに、息ができなくなってきた。意識が薄れていくのを感じる。
ーーこのままでは、リズが潰れてしまう。
そう思い、力任せに自分の下からリズを引き抜いた。
肘から力が抜ける。
目の前が白くなり、意識がぼんやりと薄れていく。
全身が圧迫され、痺れ、呻き声をあげることすら叶わない。そして、全身の痺れは全ての感覚の痺れへと少しずつ形を変えていく。
痺れて、消えていく感覚の中、リズの歌うような詠唱が聴こえた。
俺は、リズが生きているという事実に安堵し、歌に身を任せながら、全ての感覚を放棄した。
ささやきーいのりーえいしょうーねんじろ!
解決編までいれるつもりでしたが、案外解決編が長くなりそうだったので。
短いですがあげちゃいます。




