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01-1

肘にずっしりとした重みを感じ、顔をあげる。

指盤から手を離し、長時間のプレイでガチガチに固まった肩をグリグリ回した後、両手の親指でこめかみを強く押した。


白い壁にかかる極シンプルな時計はすでに22時近くをさしている。

自分の席付近以外の照明はすべて消灯され、辺りにはもう人の気配はない。


昨日までは、この時間はまだ全員残っていたんだけど。

ガランとしたこの場所は、俺の勤めている職場ーー結構大手のゲーム会社ーーのビルの、家庭用音楽ゲーム製作チームのフロアだ。

今日の定時すぎ、俺の開発していた音楽ゲーム、【scratch beat】は最終版のデータがゲーム機メーカーへと提出された。2月発売なので、結構ギリギリの時期の提出になってしまったが、ほぼバグは取りきった状況のため、ゲーム機メーカーのチェックも通るだろう、と、予想されている。


とうとう長い長い冬休みがはじまったのだ。

ゲームショー対応の性でつい取り損ねた一週間分の夏休みと、一週間分の冬休み。それから10日分の代休。

もちろん、ゲーム機メーカーのチェックで突き返される可能性もあるので、完全に承認が通るまでは自宅待機に近い状態だが、それでも休みは休みだ。

そういえばネットワークのプログラマーの高橋さんはたしか、代休40日ある、とか言ってたな。どうするんだろ。


家庭用ゲームのデータ提出は終わった。

あとはタブレットPC用の連動アプリだが、こちらもすでに製作は終了し、メーカーの承認を待つだけの状態だ。


音楽ゲーム【scratch beat】家庭版は、いわゆるアーケード……ゲームセンターの音楽ゲームの移植だ。

今回のプロジェクトでは家庭用ゲームと、アーケードゲーム間でデータ連動ができ、その成績如何で、タブレットPCの連動アプリでマスコットキャラクターを育成する要素が盛り込まれている。

そのキャラクターのデザインをしたのが、俺だ。


俺は私立の美大を卒業後、このゲーム会社に入社し、家庭用音楽ゲームの部署に配属された、二年目のデザイナー。

前回、今回と、ベテランぞろいのチームに配属され、若手ながらも運良くユーザーインターフェース……画面に表示されるバーやボタンなどの画像のデザインと動作の作成……と連動アプリ版のキャラデザを任された。


大手のゲーム会社で、ある程度内部で作成できるチームで、移植作品とはいえキャラデザをやらせてもらえるなんて、結構な幸運だった。




「篠田くーん」


今日の定時過ぎ、最終データのメーカー提出が無事終わり、開発専用機の電源を落として帰り支度をはじめた俺に、ネットワークプログラマーの高橋さんが満面の笑顔で近づいてきた。


「このアプリね、すごいのしこんどいたから。発売されたら絶対ゲームやりこんでねー。頑張ってたから、みんなからのご褒美。」

そういって、無精髭の伸びた顔を楽しげに歪ませる。


高橋さんは、今はマスター直後のため髭面だが、普段は小ざっぱりした短髪に隙のなさそうな知的眼鏡タイプで、少し性格がキツそうな外見にもみえる。が、仲良くなるとかなり、いや、ものすごく緩い変人だった。


「そういえば篠田くん、最終データでのテストプレイ、相当やりこんでたでしょ。ちょっとプレイデータ見せみて。」

「あ、はい。」


高橋さんに俺の席を譲り、開発機の電源を再びいれる。

ブオーーーンッと、微かな起動音が響いた。

高橋さんはPCから開発のシステム画面をいじり、俺のプレイデータを読みながら、驚いたようにつぶやく。


「……確かに、エクストラハードを通しでやってみておいて、とは言ったけど、普通ここまでやりこまないよね……。」

「……普通に、楽しくて……。」


恥ずかしい。

入社前からシリーズの大ファンだったこともあり、昨日からほぼ休みなく楽しんでしまった。

実はあまりチェックの視点ではやっていない。『通しでやってみて』の言葉に甘え、完全にただのファンとして遊んでいた。


自分のゲームプレイデータをベテランプログラマーさんに見られるのは相当恥ずかしいものがある。


「……惜しいなあ、このデータ消えちゃうんだねえ。」


高橋さんが残念そうに、というより愉しげに言った。

会社の機材でのデバッグの上、発売前のため、当然、データの持ち帰りはできない。


「あと数時間頑張って、アプリ連動させれば、これ、ご褒美出現してたね。これは、2月に発売したらもう一回、エクストラハードモードを出すところからやり直しだね。

……ああ、もしくは今日、会社に残ってあと数時間……。

いやいや、篠田くん、冬休みにさっさと入りたいよねえ。無理して会社に残る必要とかないからね。」

「……。」


なんて、この人はアレな人なんだろう。

俺は肩に担いでいたショルダーバックを机の上に置き直し、無言のままダウンジャケットを脱いだ。


「あれー?篠田くん、帰らないの?じゃあ、お疲れ様!よいお年を!!」




それから4時間。ぶっ続けでエクストラハードをプレイした。


この家庭用音楽ゲームは、曲に合わせもぐら叩きのように表示される譜面を、指盤と呼ばれるA4サイズくらいの板状外付けコントローラの上で、リズミカルに指で擦る、というのが基本だ。

アーケードのチームでは音楽ゲームの歴史的な理由で足譜とよばれているが、家庭用なので区別して指譜と呼んでいる。

指譜の並び方の美しさも大事なポイントなので、指譜はデザイナーが作ることが多く、エクストラハードのパーフェクトクリアを狙う俺は、自分が関わったお気に入りの指譜のみを攻めていた。


壁の時計はもう22時近く。

22時を越えると残業扱いになってしまうため、無闇に残ると人事に怒られてしまう。

……つまり、タイムリミットだ。


ゲームデータを社内のゲームサーバーにアップし、ゲームを終了させる。と、同時に俺用に手配された白いタブレットPCを起動させ、連動アプリを立ち上げた。

なんども聞いたアプリのテーマ曲が流れ、俺のデザインしたマスコットがふよふよと揺れる。


『データの更新中です。しばらくおまちください。』


連動アプリ画面にウィンドウが表示され、更新ゲージが左から右へ、緑色に塗りつぶされていく。


『データが更新されました。』


データの同期が完了した。これでOKのボタンにタッチすると、アプリ画面がホワイトアウトし、いつも通りオープニングに戻るはずだ。


OKボタンにタッチすると、オープニング表示がでるより早く、聞き覚えの無い曲が流れはじめた。

……あ、れ?

散々デバッグしたはずなのに……。企画書も仕様書も、隈無くチェックしたつもりだったのに、なんだ?この曲。


壮大なオペラ調で、何語かわからないボーカルが能天気に歌い上げている……。

サウンドさんに、こんな声の人いたか?俺の知らないゲストなんて、頼んでないよなあ?スタッフロール作ったの俺だし。

……いや、俺、もしかしたら家庭用に夢中だったから、アプリの方はデバッグが不十分だったのかもしれない……。スタッフロールから名前が抜けてる、なんて、完全にAバグ……必ず修正しなくてはならない重大なバグじゃないか!


UI担当の自分の知らない仕様がある……。

Tシャツの下、背筋を冷たい汗が伝うのが、はっきりとわかった。

ユーザーインターフェースの仕事はゲームの全体に関わるため、仕様を知らない、なんてことはあってはならない。


だが同時に、高橋さんが仕込んだ何か、自分の知らないご褒美がここにある、きっとそのせいでこの曲が流れているんだ!問題ないはず!大丈夫、なはず!まさか、高橋さん以外誰も知らない状態で仕込むとか、そんなわけないし!と、いう気持ちも沸き上がる。


……デバッグ抜けが恐ろしい半分、期待半分で画面を再度見つめる。すると、音楽にあわせ、タブレットが力強く点滅をはじめた。


ヤバイ!これは…ポケ○ン現象!!


強い光の点滅を一定時間以上集中して見続けると、頭痛、目眩、吐き気など、身体に悪影響を及ぼす事がある。

うっわーーー!何仕込んじゃったんですか、高橋さん!Aバグとかそれ以前の仕様バグじゃないですかー!?


とっさに光から顔を背け、目を固く閉じながら点滅が収まるのを待つ。


数秒後、点滅の収まったタブレットPCの上に、正確には会社の俺の机の上に、

ほっそりした白い素足……。

整えられた桜の花びらのような小さな爪先……。


視線をあげるとそこには、満面の笑顔を輝かせる愛らしい少女が座っていた。





「○∀△▼§!×Ω‡……?※‰§!」


突然目の前に現れた少女が何やら早口で、やたら嬉しそうに捲し立てる。全く聞き覚えのない言語だ。どこの国の言葉かわからない言葉は、何の引っ掛かりもなく耳の奥を通り抜けていく。


「××÷A℃∂‡……¶§!○△×∃∞??×∈׉!」


中性的、とさえ言ってしまえるほど、ほっそりとした華奢な肩、身体のライン。全体に小さく小さく作りこんだ、精密なドールのようだ。

黒いシンプルなミニ丈ワンピースの裾からは朱に染まった裸足の足が覗いている。


堂々と、俺の席、というかテーブルにおいたタブレットPCの上で、身ぶり手振りも大袈裟に、早口で喋り続ける少女。

もしかしたら、聞き覚えのない言葉だからやたらと早口に聴こえるのかもしれない。

時折空耳のように、わかるようなわからないような単語が通りすぎるが、まあ、空耳なんだろうな、意味は理解できない。


……これは、あれかな。高橋さん、俺を驚かすためだけに、外国人の女の子捕まえて仕込んだな。

そういう意味のわからないギャグをやりかねない人だ、あの人は。

この間だって、「美熟女合コンだー!」とか言ってゲイバーに連れて行かれ、何故か女装したオッサンたちと合コンさせられた。

「すっげー美味いランチにいくぞ!」についていったら、確かに美味いには美味かったけれども、六本木のショーパブの賄い飯だった。

高橋さんは、無駄に顔が広くて行動力高くて、面倒見がいいくせに、人をおちょくることにもやたらエネルギーを注ぎ込む、本物の阿呆なんだ!!


確かに、この子はものすごく可愛い。

零れるような大きな黒い瞳も、サラサラとした長い髪の毛も、パッツンと切り揃えられた前髪も、高過ぎない形のいい鼻も、小さくて色の薄い唇も、俺の理想通り、と言っていいだろう。

こんな状況じゃなければ、高橋さんに土下座で感謝しなければいけないほどのハイレベルだ。


惜しむらくは、彼女はどうみても10代半ばな事。俺はロリコンじゃないからさすがに食指はうごかない!


女の子の事はとりあえず放置して、コートのポケットからスマホを取りだし、高橋さんに電話をかけることにした。

どうせ、ニヤニヤしながら俺からの電話を待ってるんだろうし、この変な手品の種明かしをしてもらって、さっさと女の子を引き取ってもらおう。


「篠田くーん、どう?感動しちゃった?」

電話口で暢気そうな声が響く。


「感動って!そういうんじゃないでしょ!どうなってるんですか!?この子!」

「えー?気に入らなかった?結構すごいことだと思うんだけどな。だって、君の理想を詰め込んであったんでしょ?俺、最初見たときちょっと引いたもん。」

「なんすか、それ!確かに、理想通りですけど!すごーーく犯罪くさいですよ!!?」

「んー、まあ、とにかく、大事に育ててよ、その子。それに、ちゃんとデバッグして問題なかったから大丈夫だよ。よかったね、出現おめでとう。じゃあまた年明けにー。」


一方的に電話を切られた。これ、かけ直しても通じないパターンだな……。


「……育ててよって、なんだよ。普通に犯罪だよ……。」


静かな室内に再び時計の音が響く。見上げると、もう10時まで3分も無かった。


「うわぁ、帰らなきゃ、ほんとに怒られる……。」

下手するとマネージャー、プロデューサーに目をつけられる。


「……えっと、君は、どうするの?わかる?ど、う、す、る、の……た、か、は、し。ば、か、た、か、は、し」

ゆっくり、出来る限りはっきり、判りやすく発音してみる。高橋さんの名前くらいは知ってるだろう。

とりあえずはコミュニケーションだ。


「……タ、カ、ハ、シ?」

女の子がゆっくり呟く。


「!そう、タカハシ!知り合いだろ?」

「……タカハシ!バカタカハシ!バカ!」

うれしそうに連呼する……俺を指差しながら。


「バカ!バカ!バカタカハシ!」

「ちがう!俺はバカタカハシじゃない!」

「バカ!バカシ!バカハシ!」

「……日本語わかっててやってるでしょ。あー。もう……。」


さらにカチッと時計の針の進む音が聞こえた。


「やべ!まあいいや、とにかく会社でるよ!荷物大丈夫!?とりあえず降りるから!」

「Ω‡‐‥×!バカタカハシ!!」


……ショルダーバッグに手近な荷物を詰め込み、女の子の白い手首を握る。


なんとなく、会社の人に会いたくなかったので、エレベーターを避け、薄暗い非常階段をカンカンカンカンッと降りた。

壊れそうなくらい細くて柔らかい手首を握りながら、巨大な鉄巨人に立ち向かうあのゲームの角のある少年のような気分になっていた。


ギリギリ、10時前に退社ゲートをくぐる事ができたようだ。

退社ゲートは地下一階にあり、地下鉄の駅ビルと連結している。数件の居酒屋店舗が並んでいる中、できるだけ目立たない、奥まった部分に女の子を連れて行く。

そうして一息ついてから、もう一度、高橋さんに電話をしてみたが、やはり電話は通じなかった。


「……んだよー、ご褒美の意味がわからん……ん?」

ふと、俺をキラキラした眼で見つめる女の子に気づいた。

まるで憧れのアイドルにでも出会えたかのように、赤らめた頬を緩ませ、何か言いたげにこちらを見つめている。


何故に!そんな目を!!

つい、女の子から目を反らし、その足下に目をやる。


……裸足、か。

会社では頭に血が昇っていて気にとめていなかったが、女の子は12月の夜の10時に屋外に出るにはあんまりな格好をしていた。

長袖だがシンプルで部屋着にしかみえない、黒のミニ丈ワンピース。それから、可愛らしい薄紅色の両耳たぶにのぞくシルバーのピアス。

身に付けているものは、それだけだ。


何故か胸元に、俺が会社においてきたはずの白いタブレットPCを大事そうに抱いている。


「……!って、おい!それ持ってきちゃ駄目だよ!会社の備品だから!返してって、ちょっ!駄目だって!君のじゃないから!」

俺が取り返そうとすると、女の子はタブレットPCを固く抱いてしゃがみこんでしまった。


わずかに通る通行人の視線が痛い。目立つことをすると通報されかねない。


「……わかったよ、とりあえずそれは家にもって帰ろう。君も俺の家に来なよ。高橋さんにはまた後で連絡してみるから。」


ショルダーバッグから会社で室内履きにしていた偽物クロックスを取りだし、女の子に渡すと、合成樹脂の靴を恐る恐る、といった様子で身に付けてくれた。

また、着ていたユニクロの黒いダウンを脱いで、女の子に被せる。一回り大きなダウンは膝上スカートをすっぽりと覆い、真っ白な素足をより目立たせる。


にしても、寒っ!さすが真冬!この子よく我慢してたな!

俺の今の格好は、極普通の黒カーディガンに白Tシャツ。それから履き古したデニムパンツ。地味なスニーカーと、シンプルなマフラー。

充分寒い。


「℃§→‐‥¶∈―∑?÷‥×!」

「なにいってんのかさっぱりわかんね!足、犯罪的に寒そうだからコンビニで靴下買うよ。おいで!」


あまりの寒さに首をすくめながら、女の子の手首を再びをつかんだ。

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