09-2
転陣紙は今のところこの世界では手に入る目処がない。
この紙が無いと使えなくなってしまう魔法陣が多々あるのだという。
もう薄くなった転陣紙の束を、リズはペラペラと繰る。
「……そうね。うん、これでやってみる……。」
紙束から一枚、転陣紙を抜き取った。
しばらくじっとそれを見詰め、その後、リズは自分に、うんっ、と気合いを込めた。
俺が机やケーブルを部屋のすみに寄せ、あいた空間にB全サイズのクロッキー帳を広げると、リズはタブレットを起動させ、光るペンで魔法陣をさらさらと描き始める。
クロッキー帳の上を波紋が走るように、次々と光の線が産まれていく。それを眺めつつ、俺は邪魔にならないよう、ベッドに座った。
やがて、魔法陣は強く輝き、呼吸のような明滅を始める。それを満足げに見たリズは俺に向かって手招きをしながら言った。
「ね、ユーキ。ユーキにもどんな『概念』を送るのか、確認して欲しいの。
私が理解した通りにしか『概念』は作れないから、間違ってないかとか……。」
リズは俺を魔法陣の中央にたたせ、タブレットをタップした。
「空を捕らえし雷帝ヒュプスに伝う。吾が知を雷杓の牢で捕らえ彼のものに与えん。」
静かにリズが詠唱を行うと、魔法陣は光を強め、次第に俺の視界を白く奪っていく。
そして白い空間に『概念』が怒濤の勢いで流れ込み、リズの知った科学世界の情報が俺を飲み込んだ。
やがて、白い空間が晴れ、俺は気がつくと元の狭い部屋のクロッキー帳の上に立っている。目の前には手を前で組んだ、まるで採点を待つ生徒みたいなリズがいた。
……ああ、どこから間違いを正せば……。
今日、調子に乗ってリズをからかって遊んだ自分の性だ。ザクリッと良心が痛み思わず胸に手を当てた。
「……えっと、リズ、よく、辻褄合わせたね……。」
リズは褒められたと思ったのだろう、頬を薔薇色にし、安心したかのように、ニッコリと笑いながら言った。
「うん!ユーキに見せてもらった歴史演劇とか、教えてもらった秘密とか、何だか難しかったんだけど……。
私、ユーキの世界を理解しようと思って、すっごく考えたんだよ!」
……ああああああ~。
汚い大人で本当にごめんなさい……。
……俺は間違った『概念』の幾つかの部分は、修正させずに放置してしまう事にした。
うん、俺にとっての決定的な間違えだけ、訂正しよう。
「……修正して欲しいのは、まず、俺の服装がミニスカサンタだってことかな?」
「えー。あれ、可愛いからいいじゃん。それに、直せないよ。私の心に強く刻まれちゃってるから。
実際に見て、心に残ったものしか『概念』には乗らないもの。」
「今の着ている服装で上書きしてよ!!」
「だめー。そんなのは無理。」
……あんな格好しなきゃ良かった……。
「じゃ、次に……これだと高橋さん、ホ●になっちゃうよ。別に、樹里さんと恋敵だったんじゃないから。ただの面倒見のいい上司だからね?」
「……そう?
うーん。じゃ、そこは直しとく。」
「高橋さんの名誉の為にも、よろしく。あとは、そうだな……振られたのは、俺ね?樹里さんじゃなくて。」
「むー。まあ、話の辻褄はそっちのがあうんだけど……。」
「それから……。」
修正を繰り返し出来上がった『概念』は大体こんな感じだ。
※※※
科学世界
その昔、科学世界には、夜の星に暮らす異星人達が共存していた。
しかし、異星人たちと戦争がはじまり、地上にすむ科学世界人はふぉーすと科学の光の力で夜の星々を飲み込んだ。
平和になり、ふぉーすの使用は禁じられ、異形の異星人たちは地上の人間に擬態した姿で暮らすようになった。
しかし、未だ地上の科学世界人たちは夜の星からの攻撃に備え、無数の科学式巨大機械鎧や夜の星を破壊する為のドリルを政治の中心地に配備しており、地下には用途が秘匿された、複雑な巨大迷宮が網を貼っている。
リズを保護した騎士、シノダユーキは、かつての恋人、歌姫を失い、悲嘆に暮れていた。
上司であるタカハシ博士は、シノダユーキを慰めようと、電波の海に新しく小さな異世界を作り、そこに歌姫を模した妖精を閉じ込め、贈った。
シノダユーキは騎士でありながら、呪印使いでもあった。
毎日、歌姫を想いながら、呪印を舞った。そして、歌姫を模した妖精に触れた瞬間、その妖精にそっくりな少女、リズが召喚されたのだった。
※※※
……まったくもってB級SFだ。
こんなんが届けられたら、ヨルドモ王国大混乱だろうな。
「あと、もう一つ……。」
リズがクロッキー帳を捲り、再び光るペンを握る。
やがて、先程のものよりは一回り小さめだが、花弁を想わせる可憐な魔法陣ができあがった。
「ここに込めたのは、うちの親へのメッセージなの。
恥ずかしいし、うちの家族にしか見えないようにもうロックしちゃったから見せてあげられないけど、明日帰ります、とかそういう内容が入れてあるわ。」
なるほど。
親へ送る手紙を、他人に見られたくは無いだろう。前回送った『概念』があっさり国中にバラされてしまった事は、まだ15歳の少女であるリズ的に、相当大きなダメージだったに違いない。
リズは二つの魔法陣を横に並べ、さらに、もう一つの小さな魔法陣を描くと、その上に転陣紙を置いた。
立ち上がってよく細部を確認したあと、タブレットを繰りながら詠唱を始める。
「空を捕らえし雷帝ヒュプスに伝う。吾が二つ並べられし知を雷杓の牢で捕らえこの品に与えん。」
先に描いた二つの魔法陣の白い光が渦を巻きながら小さな魔法陣に吸い込まれていく。
空気が小刻みに震え、小さな魔法陣に乗せられた黒い紙はふんわりと中空に持ち上がった。
最後にリズがタブレットを叩き、黒い紙ーー転陣紙を指差すと、小さな魔法陣から吸い上げるように、金色の光がそれに注ぎ込まれた。
光を吸い付くした転陣紙は一度大きく光った後、はらりっと床に落ちた。
未だうっすらと明滅を続ける転陣紙をつまみ上げ、リズがほっとしたように言った。
「ふふ、成功。後はこれを私の世界に送るだけだね?」
「疲れた?」
「うん、ちょっとね。
でも、まだ魔力十分使えるし、送還魔法陣の起動くらいは頑張れる!」
こくん、と、リズは俺の渡した麦茶を飲んで、口内を潤した。
「がんばれ」
俺が空になったコップを受け取りながら言うと、また気合いを入れ直し、光るペンを持ちかえた。
ベッドの上に戻り、ただボーッとリズの様子を眺める。みるみるうちに出来上がる精密で美しい光の魔法陣は、たとえバウハウスの学長であってもこんなに手際よく描き上げられないだろう。
また、最新の機材を揃えたムービープロダクションであっても、こんなにも静かで美しい光のエフェクトは製作出来ないだろう。
ゴウッと空気が軋む中、リズはゆったりと、白い光を纏いながら詠唱を続ける。魔法陣は光の粉を吹き出しながら転陣紙を空中へと押し上げる。
舞踊るような動きで指をタブレットに這わせると、転陣紙はくるりと方向を変え、強く光りながら魔法陣に吸い込まれた。
転陣紙は再び押し戻される事はなかった。
「……ふわああああ!!出来たー!!」
リズが大きな喜声を上げ、俺の腕に飛び込んできた。
「ユーキ!!聞いて!?
私、今、初めて召喚系統魔法、完全成功したの!!偉大なる召喚魔導師としての第一歩だよ!?」
初めてなのか!?
……そっか、昨日の朝方の魔法は、パンツがバラバラになっちゃったもんな。
リズはベッドに座る俺にしがみついて喜んでいるが、さすがに、少しこの体勢はまずい。
腋に手を回し、持ち上げながら引き剥がし、俺の隣に並んで座らせる。
引き剥がされたのが不満なのか口をとがらせていたので、リズの頭を撫でてやる。
「へへへ。」
リズが嬉しそうに笑う。
……が。
こういう場合、この手は、どんなタイミングで降ろせばいいんだろう……。
お互い無言のまま、撫で続けているとどんどんおかしな雰囲気になってしまっていくようだ。
リズがチラリ、と、こちらを見る。
心なしか耳と目元が紅い。
沈黙に耐えきれず、俺は声を出した。
「あ、あの、さ、そろそろ、寝る?」
「!」
リズがビクッと身を跳ねあがらせ、撫でていた俺の手は頭から外された。
「いや、そうじゃ、なくって、ね?
俺は、酒呑んで床で寝るから!!リズは疲れただろうし、いつでもベッドで寝ていいからね?」
「……あ、うん。」
もう、口走るタイミングが悪すぎるんだ、俺は。熱くなった顔を両手で冷やしながら冷蔵庫にビールを取りに向かった。
床に布団を敷き、ビールのプルタブを引き上げる。こ気味のよい快音を立てながら真っ黒いビールをグラスに注ぎ入れた。
リズはベッドに横になり、相変わらずクロッキー帳をみている。先程のクロッキー帳はすでに見終わったので、過去のクロッキー帳を渡してやった。
時々、リズからくる「これは何?」に答えながら酒を呑み、無駄に昂る気持ちを抑え込みながら眠気がくるのを待つ。
「……ね、ユーキ……これ、いったい、なに?」
さっきまでとは違うドスの効いた声での質問にぎょっとしつつ、リズの方を見る。
リズの指差すページには、俺の描いた薄い本の為の、スキャン前の下書き……水音激しい自作エロ漫画があった。
そのエロ漫画で何かまみれになってしまっている錬金術師の少女の外見は、俺のストライクゾーンにかなり近く、白黒のラフ絵だとリズっぽくも見える。
リズは無言で俺の頬を力一杯叩き、クロッキー帳を放り投げて布団にくるまってしまった。
「やっぱり、男なんて……。」
小さくそう呟く声を聞きながら、なんだか少しだけ、エロ漫画に助けられたような気がしていた。




