プロローグ
「……ふぅっ!これで、いける、かな?」
リズは一人、呟いた。
白鏡に現れた図形と床に描いた二つの図形とを見比べ、再度確認をする。
膝を折り、細部を隈無く調べたため、彼女の腰まで届くサラサラした黒髪が床に触れる。
今回の課題は、「一般召送喚初歩」。
国家魔導師が使う緊急避難魔法「召喚退避」や、よく彼女の読む空想小説くでてくる「異界魔物召送喚」「英雄召喚」魔法の基礎の基礎とされている。
もちろん、「異界魔物召送喚」「英雄召喚」魔法を実際に使える人など、聞いたことは無いのだが、魔導師や学者の間での熱心な研究対象になっており、異世界との召送喚実験は毎日のように実験されている。
右の魔方陣に置いたものを送還し、左の魔方陣から召喚する。
お手本の魔方陣は白鏡に表示されているものを参考にして描き、また白鏡を参考にして結印をなぞればいい。
ただ、それだけの魔法のように聞こえるが、個人の魔力の質や、魔方陣に置いたものにあわせ、図形を多少書き換える必要がある。
リズは白鏡に現れている見本図と、どこをどう書き換えるべきかの説明をまたじっくりと読み、また小さくため息をついた。
「これで、いけるはず、なんだけど……。」
薄暗い室内の隅には、少し前までリズの宝物だったものが並べられている。
召喚系統魔法が成功するためには、対象との関係性が重要なため、この「一般召送喚初歩」の課題ではより大事にしている品を使う。
魔法に失敗すると、対象が変質してしまうため、ある意味、学生泣かせの課題と言える。
一回目の召送喚失敗で、四歳の誕生日に買ってもらったクロネコのぬいぐるみは、臓物のとびだした異形の生物のぬいぐるみになった。
二回目の召送喚失敗で、お気に入りの空想小説はアナグラム的に文字がならびかえられ、読み進めた量だけ頭痛の深まる前衛小説になった。
三回目の召送喚失敗で、学園オークションで競り勝ち手に入れた憧れの先輩を模した肖像画は、夢魔に襲われる先輩のあられもない艶姿に変化した。(飾ってはおけなくなったが新たな宝物になった)
続いて、白いワンピースがセクシーランジェリーに、初等部の時の合唱を記録した音円盤からは何故か厳ついあえぎ声が奏でられ、肌が粟立った。
もう、そろそろ宝物のストックは尽きてきている。
リズは今度の召送喚で、今使っている教科書代わりの白鏡を対象にすることに決めていた。
魔法学園への入学祝いに両親から送られた白鏡。
ノートのような大きさの薄く白いその鏡は、普段は何も写していない。が、極薄く叩き伸ばされた白鏡金に記録の陣を刻んだものを幾重にも重ねて作られた白鏡は、とても軽く、しかし驚くほど様々な種類の魔法陣が記録されている。
学園で使う教科書に乗っていた魔法陣はもちろんのこと、図書館の目についた魔導書、他にも人気吟遊詩詩人の弾き語り集や、友人たちとの念話記録、王国の地図を表示させる魔法陣や、学園規則、目覚まし時計に娯楽系魔導師の作ったお遊び魔法陣なども入れた。
単純な魔法であれば、魔法陣を選択し、その表面をなぞり印を直接描くだけで発動できてしまう、という手軽さで大流行の逸品だ。
実際に魔法陣を描かなくては発動しないような複雑な魔法であっても、教科書や魔導書を持ち運ぶよりも、ずっと手軽に発動させることができる。
召送喚魔法の失敗により変なものになってしまうのはもちろん困るが、今回の課題を仕上げない限り、進級することができない。期日に間に合わず留年なんてしたくない。
失敗しても運が良ければ見た目がおかしなものになるくらいで、使用不能にはならないことも稀に、ある。
「……それに、もうやるって決めたし!」
呟きながら白鏡を右の魔方陣に重ねる。
もう何度も唱えている呪文を口の中で呟きながら白鏡の表面を撫で結印を描き、魔力を少しずつ込めていく。
と、なぞりどころが悪かったのか、吟遊詩人の弾き語り集が自動発動してしまった。
もう決して失敗できない、シリアスな空気の中、一曲目の牧歌的なイントロが雰囲気をぶち壊すかのように流れ出す。
「……っ!?」
焦りながらも気を取り直し、召送喚呪文の詠唱は止めず、印を結び続ける。
ここで召送喚を止めたら、大失敗してしまうことは目に見えている。
が、耳になじんだ歌声に、つい意識を持って行かれそうになる。
吟遊詩人は、科学世界に召還され、で勇者となり科学機械式巨大鎧を操り魔王を倒すという物語を語り始めた。
……ああ、ここから先、泣けるんだよなあ。
そう頭をよぎり、一瞬、集中が途切れたのを自覚する。
「……まずっ!」
右側の送喚の魔法陣が力強く輝き、部屋が白い沈黙に包まれた。
リズの詠唱は沈黙に吸い込まれ、白鏡とともに消えていった。