”理解ある彼女”になれなかった話
『女装=気持ち悪い』という偏見がまだまだある世の中です。
もし自分の彼氏が女装癖を持っていたら、どんな恋愛をするのか想像してみました。
気持ち悪い、とは、何に対しての感情なのか。
普通って何?、自由って何?、そんなことを考えて書いてみました。
彼氏が、私より可愛い服を着ていた。
正直に言うと、その瞬間、ちょっと無理だと思った。
でもそう思った自分の方が、もっと無理だった。
クローゼットの奥に、見覚えのないワンピースがあった。
淡い色。柔らかい生地。細い肩紐。
私のじゃない。サイズも違う。
——じゃあ、誰の?
考えた瞬間、答えが出る。
ここに出入りする女は、私しかいない。
「……見た?」
背後から声がして、心臓が跳ねた。
振り向くと、彼が立っていた。
いつも通りの顔。いつも通りの服。
でも、もう同じには見えなかった。
「これ」
私はワンピースを指さす。
「誰の?」
少しだけ間があってから、彼は言った。
「……俺の」
言い訳はなかった。誤魔化しもしなかった。
ただ、それだけ。
それが余計に、逃げ場をなくした。
最初は、理解しようと思った。
というより、理解しないといけない気がした。
「別に、いいと思うよ」
そう言ったとき、自分でも少し驚いた。
もっと嫌な顔をすると思っていたから。
彼は、ほっとしたみたいに笑った。
「ほんと?」
「うん」
その笑顔が、いつもより少しだけ弱く見えたから。
それで、たぶん、決まってしまった。
私は“理解ある彼女”になることにした。
それから、彼は少しずつ変わった。
最初は、家の中だけだった。
ワンピースを着て、鏡の前に立つ。
メイクをして、髪を整える。
「どう?」
そう聞かれて、私は言う。
「かわいいね」
口に出すたびに、少しだけ何かが削れていく感覚があった。
でも、それを無視した。
彼が嬉しそうだったから。
それでいいと思った。
それからは、一緒に服を買いに行くようになった。
レディースフロアに並んで、同じラックを見る。
彼の方が、迷いがなかった。
「これ、似合いそう」
そう言って手に取る服が、正直、私より似合いそうに見えた。
試着室から出てきた彼を見て、私は一瞬、言葉を失った。
綺麗だった。悔しいくらいに。
「どう?」
同じ質問。
私は少し遅れて、笑う。
「……うん、似合ってる」
その瞬間、胸の奥で何かがひっかかった。
でも、それが何かは、まだ言葉にできなかった。
「外、出てみたい」
ある日、彼が言った。
女の格好のまま。
私は少しだけ迷ってから、頷いた。
「いいよ」
言った瞬間、自分で自分を褒めたくなった。
ちゃんと受け入れてる。ちゃんと優しくできてる。
そう思いたかった。
街を歩く。
並んで歩く。
ショーウィンドウに映る私たち。
最初は、ただ少しだけ変なだけだと思っていた。
でも。
「ねえ、あの子かわいくない?」
通りすがりの声が、耳に入る。
反射的に振り向く。
視線の先にいるのは、彼だった。
「え、たしかに。めっちゃかわいい」
小さく笑い声が重なる。
私は、その隣にいるのに。
何も言われない。
見られているのは、彼だけだった。
その日、帰り道はほとんど会話がなかった。
彼は少し楽しそうで。
私は少し疲れていた。
理由は分かっていたけど、認めたくなかった。
次の日も、彼はワンピースを着ていた。
前よりも、ずっと自然で。
違和感を探そうとしないと、見つからないくらいに。
「今日、ちょっといい?」
そう言って近づいてくる。
距離が、少し近い。
その“近さ”が、前と同じじゃない気がする。
「そのままでも、いい?」
一瞬、意味が分からなかった。
「そのままって」
「この格好のまま」
言葉にされた瞬間、逃げ場が消える。
少しだけ、間が空く。
その間に、いろんな感情が通り過ぎる。
でも。
「……いいよ」
そう言ってしまう。
言ったあとで、もう戻れない気がした。
触れられる。そのはずなのに。
最初に意識したのは、体温じゃなかった。
布だった。柔らかい。軽い。
肌じゃないものが、先に触れてくる。
一枚、何かを挟んでいるだけで。
距離が、微妙に違う。視線を上げる。
そこにいるのは、彼のはずなのに。
“彼女”みたいな顔をしている。
目線が合う。優しい。
いつもと同じ、優しさ。
でも、その優しさが、どこから来てるのか分からなくなる。
「大丈夫?」
小さく聞かれる。
その声だけが、ちゃんと“彼”だった。
「……うん」
反射で答える。
少しだけ、遅れて。近づく。
距離がなくなる。
でも、どこかでずっと距離がある。
埋まらないままの何か。
「ねえ」
思わず、口が動く。
「なに?」
「……今」
言葉が続かない。
でも、聞かないといけない気がした。
「今、どっちなの?」
少しだけ、空気が止まる。
彼の目が、ほんの少し揺れる。
「どっちって?」
分かってるくせに。
「……私の彼氏?」
それとも。
言葉の先が、出てこない。
少しだけ、沈黙が残る。
彼は、ほんの少しだけ困った顔をしてから言う。
「俺は、ずっと同じだよ」
その一言で。余計に分からなくなる。
触れられて。受け入れて。
ちゃんと応えようとする。
でも。どこかで、ずっと考えてる。
今、私は。
誰に触れられてるんだろう。
同じはずなのに。同じじゃない。
頭では分かってるのに、体が納得しない。
ふとした瞬間。
彼の仕草が、少しだけ綺麗に見える。
自分よりも。一瞬だけ。
本当に一瞬だけ。
そう思ってしまう。
その感覚に、ぞっとする。
途中で、気づく。
力が抜けない。
でも、拒否もしていない。
その中途半端さが、一番おかしい。
終わる。
少しだけ、息が整う。
彼が、安心したみたいに笑う。
「大丈夫だった?」
その言葉に、少しだけ間ができる。
「……うん」
また、嘘をつく。
横に並ぶ。
距離は近いのに、さっきより遠い。
彼を見る。
メイクが少しだけ崩れていて。
それが逆に、現実っぽくて。
でも。
“彼”にも、“彼女”にも、完全には戻っていない。
その中途半端な状態が、目の前にある。
そのとき、はっきり分かる。
私は、この人を好きなはずなのに。
今、ここにいるこの存在を、ちゃんと好きだと言えない。
さっき触れられたことを、思い出したくないと思っている。
でも、同時に。
あの姿のまま近づいてきた瞬間を、
少しだけ綺麗だと思ってしまった自分もいる。
その矛盾が、
一番、気持ち悪かった。
毎週、買い物に行った。
女の子の服装の彼と。
部屋に戻って、靴を脱ぐ。
沈黙が落ちる。
彼が、何か言おうとしている気配がする。
その前に、口が動いた。
「ねえ」
自分でも驚くくらい、声が低かった。
彼が振り向く。
「……なに?」
その顔が、少しだけ女のままだった。
それが、余計に苛立った。
「それ」
指で、彼のワンピースを指す。
「やめて」
一瞬、空気が止まる。
「……何を?」
分かってるくせに。
「それ」
言葉がうまく出てこない。
でも、もう止まらなかった。
「私より似合ってるの、やめて」
沈黙。
彼の表情が、わずかに揺れる。
「……どういう意味?」
その声が、少しだけ震えていた。
それでも。
それでも、止められなかった。
「気持ち悪いの」
言った瞬間、取り返しがつかないことだけは分かった。
でも、少しだけ楽になった自分もいた。
彼は、しばらく何も言わなかった。
ただ、立ったまま、私を見ていた。
「……そっか」
やっと出てきた言葉は、それだけだった。
責めるでもなく、怒るでもなく。
ただ、静かに。
それが、一番きつかった。
別れるのは、あっさりだった。
「ごめんね」
彼が言う。
「ううん」
私も言う。
「ありがとう」
「うん」
それで終わり。
驚くくらい、普通だった。
帰り道、一人で歩きながら思う。
私は、間違っていたんだろうか。
もっと優しくできたんじゃないか。
もっと理解できたんじゃないか。
“理解ある彼女”になれたんじゃないか。
考えて、考えて。
それでも、ひとつだけ、消えない感情が残る。
正直に言うと。
最後まで、どうしても無理だった。
でも、正直に言うと。
あの服を着ていない彼に、
少しだけ、がっかりしている自分もいた。
ただ、身体だけが、あの時間を覚えている。
それが、どうしても消えなかった。
しばらくして、ようやく分かる。
私は、“理解ある彼女”になれなかったんじゃない。
なりたくなかっただけだ。
少しでも女装への偏見がなくなりますように……




