物語は始まりを告げない
空。雲。手錠。鎖。鉄格子。独房。
この世のあらゆるものには名前がある。
道端に落ちている小石や、その辺に生えている草にでさえ自分を表す名前をもっている。
この私の手首を痛める原因である銀色の鈍く光る大きな忌々しいわっかにも手錠と言う名前があるのに
私には呼んでもらえる名前がない。
いや、昔はあったのかもしれない。
私と言う存在につく名前が。
私はこの暗く、狭い独房に入れられるまでの記憶がない。
自分の名前も、両親も、今まで生きてきた私の歴史すべてが欠損している。
思い出そうとしても頭の中に広がるのは何ものも映しださない真っ白な空間のみ。
まるで初めから何もなかったかのような虚無感が胸の中に広がる。
私は、なぜ、生きている。
私は、生きているのか?
これが、生きるということなのだろうか。
暗い独房に閉じこめられ、手足を手錠で拘束され、毎日、太陽が登る時間帯になると決まって白い服を着た人間がやってきて私を独房から連れだす。
その時は目隠しをされ周りを人に囲まれて歩く。
この後何をされるかわかっていても地に足をつけ歩くその一時の時間が私は好きだ。
それが冷たいコンクリートの床でも、嬉しい。
外にでればきっと太陽の熱をすった温かい地面があるのだろう。
頭では地面がどんなものかぐらいはわかってはいるが熱が、感触が、わからない。
この独房にいれられる前はきっと毎日のように温かい地面を踏みしめていたんだろう。
何も思い出せないことが悲しい。
その時は決まって左胸に埋め込まれた翠色の石が大きく脈を打つ。
まるで生きているみたいに




