第3話 症例記録C:聴覚の変容
聖明大学 医学部附属病院 耳鼻咽喉科
診療録
患者ID:2025-ENT-0756
初診日:2025年4月25日
記載日:2025年5月2日
担当医:耳鼻咽喉科 部長 鈴木 太郎
患者情報
45歳 男性 公務員(市役所勤務)
主訴
「水の音から声が聞こえる」
現病歴
3日前(4月22日)より、水道水の流れる音、コップに水を注ぐ音、雨音など、水に関連したあらゆる音から人の声が聞こえるようになった。
声の内容は断片的で、古い日本語のような響き。患者が聞き取れた言葉は「カエレ」「ミズウミノソコヘ」「マツ」など。複数の声が重なって聞こえることもあり、男女の区別はつかない。
日常生活に支障を来しており、水を使用する際は耳栓を使用している状態。
既往歴
中耳炎(20歳代、完治)
家族歴
特記事項なし
身体所見
・鼓膜所見:両側正常
・音叉試験:正常
・平衡機能:異常なし
検査所見
1.標準純音聴力検査
・通常周波数帯域(125Hz-8kHz):正常
・超低周波聴力検査
20Hz以下の周波数帯域で異常な感度上昇。特に15Hz付近で健常者の約10倍の感度。
2.聴性脳幹反応(ABR)
・クリック音刺激:正常
・水音刺激時
脳幹レベルでの異常な電位変化。特に下丘での反応潜時の延長と振幅増大。
3.側頭骨CT
・中耳、内耳の構造に明らかな異常なし
・高解像度CTでの詳細観察
蝸牛の基底回転部に微細な骨性隆起を認める。隆起は螺旋状に配列し、通常の蝸牛構造に「追加された」印象。
4.音響心理学的検査
・水音の録音を解析すると、15Hz付近に変調成分を確認
・この周波数成分を除去すると「声」は聞こえなくなる
・複数の被験者(当科の他の患者3名)に同じ録音を聞かせたところ、同様の「声」を聴取
診断
特発性超低周波聴覚過敏
内耳形態異常(軽微)
幻聴の可能性(ただし複数名が同一内容を聴取する点で非典型的)
治療経過
ステロイド投与、ビタミンB12製剤投与するも効果なし。精神科にコンサルトし、抗精神病薬の投与も検討したが、複数の患者が同じ「声」を聞いている事実から、純粋な精神症状とは考えにくく、経過観察中。
考察
単独では幻聴として処理される症例だが、複数の患者が同一の「声」を聴取している点が極めて特異。物理的な音響現象として何らかの情報が水音に含まれている可能性を否定できない。内耳の形態異常との関連も不明。
追記(手書き)
他の2例も含め、全員が「西」という言葉を聞いたと証言。集団心因性反応か?
西方との関連性を調査中。