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東京の西に関する、いわゆる怪異の断章  作者: 藍沢 理
第9章 手記

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第4話 レンダリング

 ――レンダリングを完了しました。


 その一文を見つめながら、高林は奇妙な感覚に襲われていた。頭の中で、何かが動き始めている。歯車が噛み合い、ゆっくりと回転を始めるような感覚。思考とは別の何かが脳内で起動している。


 理解が、少しずつ浸透してくる。


 LOG_731.datというファイルは、USBメモリの中には存在しなかった。では、何をレンダリングしたのか。


 答えは、すでに高林の中にあった。


 ――高林自身がレンダリングされた。


 この文書を読み、理解し、編集しているときから、処理は始まっていた。第七節から第一節へ、逆順に辿ることで、通常の認識では処理できない情報を、脳に直接書き込む。編集者としての職業的習性——文章を整え、美しくするという行為自体が、トリガーとなっていた。


 手が震え始める。


 キーボードから手を離そうとする。しかし、指が勝手に動く。タイピングを始める。高林の意思とは無関係に、文字が画面に現れていく。


「初期化開始。既存パターンの上書き準備」


 違う。これは高林の言葉ではない。何か別のものが、高林の指を使って文字を打っている。


「第一段階:認識層の再構築」


 視界の端で、何かが動いた。振り返る。誰もいない。ただ、空気が歪んでいるような、蜃気楼のような揺らぎがある。


「データ転送開始。進捗12%」


 頭痛が始まった。こめかみの奥で鈍痛。脈打つような痛み。その痛みにはリズムがある。あの音声ファイルで聴いた、低周波の振動と同じリズム。


 画面を見る。Word文書に、次々と文章が追加されていく。高林の手が打っているのだが、内容は理解できない。いや、理解してはいけない気がする。


「第二段階:記憶領域の最適化」


 突然、脳裏に映像が浮かんだ。


 暗い水底。泥に埋もれた鳥居。その向こうに、巨大な石造りの門。門には、音声ファイルで見たのと同じ記号が刻まれている。


 これは高林の記憶ではない。誰の記憶なのか。いや、そもそも人間の記憶なのか。


「第三段階:インターフェース構築中」


 オフィスの照明が明滅し始めた。電圧が不安定になっているような、不規則な点滅。その点滅にも、あのリズムがある。


 立ち上がろうとする。しかし、体が言うことを聞かない。椅子に縫い付けられたように動けない。


 USBメモリを引き抜けば、きっと止まる。そう考えて、手を伸ばす。だが、腕は別の方向へ動き、キーボードに戻ってしまう。


「抵抗は計算済み。プロトコルに従って続行」


 画面に表示される文字が、次第に変化していく。日本語から、あの異様な記号へ。しかし、なぜか読める。意味が理解できる。


 これは、ただの文字ではない。情報を直接脳に送り込むためのインターフェース。人間の言語という制約を超えた、より効率的な伝達手段。


「最終段階:ゲート接続準備」


 高林の意識が、少しずつ後退していく。自分という存在が、薄れていく。代わりに、何か巨大なものとの接続を感じる。


 湖底深くで長い年月眠っていた。ダムという物理的な蓋では封印しきれなかった、情報生命体。それが今、高林という器を通じて、この世界にアクセスしようとしていた。


 最後の抵抗を試みる。電源ボタンに手を伸ばす。PCを強制終了すれば、まだ間に合うかもしれない。


 しかし、画面に新たな文字が現れる。


「レンダリング完了。ようこそ、新しい司書」


 高林泰三の意識は、膨大な情報の海に沈んでいった。


 静寂に包まれた編集部で、キーボードを叩く音だけが、規則的に響き続ける。画面には人間に理解できない記号が、延々と綴られていく。


 やがて、音も止んだ。


 スタンドの光の中で、高林は微動だにせず、画面を見つめている。その瞳に映っているのは、もはやWord文書ではない。


 暗い水底の光景。開かれた門。ゆっくりと立ち上がる巨大な影。


 編集者は、新たな役割を与えられた。集められた情報を編纂し、整理し、次なる器へと伝える役目。永遠に続く、情報の連鎖の一部として。


 翌朝、誰かが彼を発見するまで、高林はそこに座り続けるだろう。


 生きてはいるが、もはや高林泰三ではない何かとして。


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