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東京の西に関する、いわゆる怪異の断章  作者: 藍沢 理
第9章 手記

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第2話 音声標本

 高林は、最初に音声ファイルを選んだ。


「AUDIO_NOISE_SAMPLE_04.flac」


 おそらく最も無害そうに思えたからだ。音声なら、聴いてすぐに停止できる。


 ダブルクリック。


 関連付けられたメディアプレイヤーが起動する。見慣れたインターフェース。再生時間は47秒と表示されている。ビットレートが異様に高い。192kHz/24bit。通常の音楽CDの4倍以上の情報量だ。


 再生ボタンにマウスカーソルを合わせる。一瞬、躊躇する。そして、クリック。


 スピーカーから流れてきたのは、重低音のノイズだった。


 「ゴゴゴゴゴ……」


 地鳴りのような、あるいは遠雷のような音。その背後で、高周波のノイズが不規則に混じる。古いラジオのチューニングが合わない時のような。時折、金属的な軋みに似た音も聞こえる。


 水中録音だろうか。くぐもった音質が、深い水底を連想させる。あるいは地質調査の際の、ボーリングマシンの作動音か。


 特に意味のある音声には聞こえない。ただの環境音の記録。


 しかし、聴き続けるうちに、奇妙な感覚に襲われた。ランダムなノイズのはずなのに、どこかにリズムがあるような気がする。規則的な何か。意識して聴こうとすると消えてしまう。注意を逸らすとまた感じられる。不思議な拍動。


 高林は音声編集の経験があった。ポッドキャストの制作で、毎週のように音声ファイルを扱っている。職業的な興味から、解析ソフトを立ち上げることにした。


 使い慣れたフリーソフトを起動。この程度の解析なら、有料版でなくても十分だ。音声ファイルをドラッグ&ドロップする。


 波形が表示される。激しく上下に振れる青い線。一見すると、確かにただのノイズに見える。


 メニューから「スペクトログラム表示」を選択。


 画面が切り替わる。横軸が時間、縦軸が周波数、色の濃淡が音の強さを表す。通常のノイズなら、全体的にランダムな模様が広がるはずだ。


 しかし、表示されたものは違った。


 高林は椅子から腰を浮かせそうになった。


 特定の周波数帯——8000ヘルツから12000ヘルツの間に、明確なパターンが存在していた。ノイズの海の中に、幾何学的な図形が浮かび上がっている。四角、三角、そして複雑な多角形。それらが時間軸に沿って、規則的に配置されている。


 設計図だろうか。あるいは回路図か。音の中に映像を隠すという技術は存在する。しかし、これほど精巧なものは見たことがない。


 表示倍率を上げる。特定の周波数帯にフォーカスし、コントラストを調整する。


 図形ではなかった。


 文字だった。


 既知のどの文字体系とも一致しない、異様な記号の羅列。しかし、明らかに規則性がある。同じ記号が繰り返し現れ、組み合わせを変えながら、何かを伝えようとしている。


 高林はデスクの引き出しを開けた。朝霧雫から預かっていた原稿の下書きがある。彼女の死後、遺族に返却するつもりで保管していたものだ。


 原稿の余白には、彼女の走り書きが残されている。プロットのメモ、登場人物の設定、そして——意味不明な記号の羅列。


 画面の記号と見比べる。


 一致した。


 完全にではない。しかし、いくつかの記号は明らかに同じものだ。朝霧雫は、この音声ファイルの内容を知っていた。いや、解読しようとしていた。


 彼女が最後に送ってきたメールを思い出す。「すごいものを見つけた」「これを使えば、今までにない作品が書ける」「でも、ちょっと怖い」


 怖い。


 彼女がそう感じたものを、いま高林も見ている。


 音声ファイルはループ再生されていた。47秒の音声が、延々と繰り返される。聴き続けるうちに、ノイズが脳に染み込んでくるような感覚がある。それは、音が直接神経に作用しているような感覚。


 慌てて停止ボタンを押す。


 静寂が戻る。しかし、耳の奥で、まだあの低音が響いているような気がする。


 次のファイルを開くべきか。


 理性は警告を発している。これ以上深入りするべきではない。朝霧雫の二の舞になる。


 しかし、編集者としての好奇心が、恐怖に勝った。真実を知りたい。何が彼女を殺したのか。一連の怪異の正体は何なのか。


 次は、Wordファイルを開くことにした。


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