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東京の西に関する、いわゆる怪異の断章  作者: 藍沢 理
第9章 手記

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第3話 指名

「祖母は、これが何なのか、誰にも話してはいけない、と」


 少女の声が、静まり返った応接室に落ちた。外の喧騒がひどく遠い。


「でも、『正しく読める人』にだけ渡しなさい、と言い遺しました」


 少女の瞳が、高林を射抜いた。逃げ場のない、深い井戸のような瞳。


「あなたは、わたしの日記を読んで、ただ面白がるでもなく、むやみに騒ぐでもなく、警察に届けてくれた」


 一語一語が、判決文のように響く。高林は金縛りにあったように動けない。


「だから、あなたなら、と……」


 つまり彼女に選ばれた。


 その事実が、鉛のように重くのしかかる。望んでもいない、求めてもいない役割。この異常な記録を読み解き、何かに仕立て上げる役目。


「もし……この手記の本当の意味が分かるなら、本にしてください。それが、祖母との約束なので」


 少女は深く頭を下げた。完璧な角度で、完璧な時間だけ。顔を上げると、もう高林のことなど眼中にないかのように立ち上がった。スクールバッグを手に取り、規則正しい足取りでドアへと向かう。振り返ることもなく、廊下へと消えていった。


 高林は金縛りが解けても、すぐには動けなかった。応接室のテーブルに残されたクリアファイルとUSBメモリ。それらを見つめながら、理解していた。


 これは単なる持ち込み原稿ではない。久坂部准教授が命を賭けて追い求めたもの、蓮見教授が最期に託そうとしたもの、朝霧雫が犠牲になってまで書こうとしたもの。すべての断片を繋ぐ、最後のピース。


 同時に、これは呪いだ。触れた者を、正常な世界から引き剥がす。編集者としての好奇心が、本能的な恐怖を一瞬だけ上回った。この混沌とした記録を整理し、読み解き、一つの物語として編纂する。それは高林の専門分野だった。


 その瞬間こそが分水嶺。踏み出せば引き返せない。

 手を伸ばし、USBメモリを掴んだ。

 高林泰三の平凡な日常は、音もなく崩壊した。


 窓の外では、いつもと変わらない神楽坂の午後が流れていた。だが、この応接室から出た時、高林が見る世界は、もう二度と同じものではないだろう。


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