第2話 祖母の手記
「これは、祖母が遺した手記を、私が書き起こしたものです」
少女の説明が始まった。抑揚のない、事務的な口調。
「祖母は、ダムで沈んだ小河内村の出身で……少し、変わった記録を残していて」
小河内村。その地名に、高林の心臓が跳ねた。久坂部准教授の調査記録、失踪者たちの最終目的地、すべての怪異が指し示していた場所。そして今、目の前の少女がその村の関係者だと言う。
震える指で、クリアファイルを開いた。
一枚目の紙が、高林の目に飛び込んできた。地質図。だが、普通の地質図ではない。奥多摩周辺の地形を示しているはずなのに、等高線や地層の境界が異様だった。曲線が有機的に絡み合い、生き物の内臓を連想させる。血管網か、神経系か。見ているだけで、吐き気を催すような不快なパターン。
凡例に目を移す。「第四紀 奥多摩層群」「秩父帯」といった正規の地質用語に混じって、あり得ない名称が並んでいた。
「腐食性粘菌層」
「不明結晶体ノジュール」
「深度不定空洞群」
タイプライターで打たれた文字。インクリボンの掠れ具合から、相当古い時代のものだと分かる。だが問題は、これを作成した人物が、正規の地質学の知識を持ちながら、それを逸脱した何かを記録していることだった。
二枚目は古地図だった。ダムに沈む前の小河内村の詳細な地図。家一軒一軒、小道の一本一本まで丁寧に描かれている。その上に、赤インクで無数の記号が書き込まれていた。円、三角、複雑な幾何学模様。それらを結ぶ直線と曲線。
中央の神社から放射状に伸びる線が、現在の湖の中心部へと収束している。配置図というより、巨大な回路図。あるいは、何かを封じ込めるための結界の設計図か。
三枚目で、高林は完全に理解を超えた。化学式の羅列。ベンゼン環のような六角形、複雑に絡み合う結合の線。しかし、使われている元素記号がおかしい。
「Og」——オガネソン。原子番号118番、人工的にしか存在しない超重元素。
「Lv」——リバモリウム。これも人工元素だ。
なぜ、彼女の祖母の手記にこんなものが。しかも、これらの元素を使った化合物など、現実には存在し得ない。最下部に、震えるような筆跡で書かれた一文。
「模倣神経伝達物質——認識の書き換えを可能にする」
これは、個人の妄想や趣味のレベルではない。異常な知性と、本来なら入手不可能な知識の集合体。そして高林は戦慄した。これまで目にしてきたすべての記録——失踪者のメモ、准教授の調査、自衛隊の動き——すべてが、この手記を中心に回っているような気がしたからだ。




