第4話 日記 4月15日
体調が悪い。
もう一週間以上、まともに眠れていない。食欲もない。会社では仕事に集中できず、上司から心配されている。
「顔色が悪いなあ。医者には行ったか?」
昨日、内科を受診した。血液検査も、レントゲンも、心電図も、すべて異常なし。医師は「ストレスによる自律神経失調症」と診断し、睡眠薬を処方してくれた。
しかし、これは違う。
耳の奥で響く水音は、日に日に大きくなっている。もはや耳鳴りというレベルではない。誰かが――いや、何かが、深い場所から呼んでいる。名前を呼ばれているような気がする。聞き取れないが、確かに呼ばれている。おかしくなりそう。
*
今日、奇妙なことが起きた。
いつもの電車で居眠りをした。目が覚めると、見知らぬ駅にいた。西へ向かう路線の、かなり郊外の駅だ。なぜこんな所にいるのか分からない。乗り換えた記憶もない。
慌てて引き返したが、帰りの電車の中でまた同じ夢を見た。
暗い水底。古い鳥居が沈んでいる。鳥居の向こうに、巨大な影が横たわっている。それは生きている。脈打っている。そして、何かを待っている。
夢の中で、声が聞こえた。
「もうすぐだ」
誰の声かは分からない。男とも女ともつかない。若くも老いてもいない。ただ、とても懐かしい声だった。
家に帰ると、ポストに奇妙なチラシが入っていた。
『水の記憶 ~忘れられた村の物語~』
どこかの郷土史研究会のチラシらしい。しかし、連絡先も、開催場所も書かれていない。ただ、古い白黒写真が一枚。集落の風景だ。山間の小さな村。そして、その奥に見える川。
写真をじっと見つめる。
見覚えがある。行ったことはないはずなのに、懐かしい。この道を歩いたことがある。この家を知っている。
気のせいだ。
チラシを破り捨てた。
手が震えている。何かがおかしい。自分が自分でなくなっていく感覚。記憶が書き換えられていくような、侵食されていくような恐怖。
今夜も眠れそうにない。
水音が子守唄のように響いている。