表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
東京の西に関する、いわゆる怪異の断章  作者: 藍沢 理
第5章 国家機関の介入

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

28/57

第6話 最悪の報道

 5月12日、午前8時15分。


 蒼玄(そうげん)書房の編集部は、いつものように慌ただしい朝を迎えていた。コーヒーの香りと、プリンターの稼働音。そして、誰かがつけたテレビから流れるニュース番組の音声。


 高林泰三は、自席で企画書の手直しをしていた。久坂部准教授の遺稿をどう出版するか、それが今の最大の懸案事項だった。


「おい、ちょっとボリューム上げてくれ!」


 誰かが叫んだ。


 高林が顔を上げると、同僚たちがテレビの前に集まっていた。画面には「臨時ニュース」のテロップ。


『臨時ニュースです。本日未明、奥多摩町の山中で、陸上自衛隊員53名と民間人1名が遺体となって発見されました』


 アナウンサーの声が、静まり返った編集部に響く。


『警察の発表によりますと、死因は現在調査中ですが、全員が溺死の症状を示しているとのことです。しかし、現場は最も近い水場からも3キロ以上離れた山中で――』


 高林の血の気が引いた。奥多摩町。それは、久坂部准教授が調査していた、あの湖がある場所だ。


『犠牲者の中には、災害派遣で現地入りしていた陸上自衛隊特殊作戦群の隊員のほか、民間人1名が含まれています』


 画面に、犠牲者の氏名が表示され始めた。高林は息を詰めて見つめた。


 そして――


『民間人の犠牲者は、東京大学大学院人文社会系研究科教授、蓮見壮介さん、65歳です』


 手にしていたペンが、音を立てて床に落ちた。


 蓮見教授。久坂部准教授が「この人なら」と最後に名前を挙げた、日本民俗学界の重鎮。その人までもが。


 周囲の喧騒が遠のいていく。目の前が真っ暗になる。高林の意識は、机の引き出しにしまってある一通の封筒に向く。今朝届いたばかりの速達。差出人は蓮見壮介教授。


 震える手で封筒を取り出し、開封する。


 中には、便せんが一枚。


『高林泰三様


突然の連絡、失礼いたします。

久坂部君から、あなたのことは聞いています。


明日、自衛隊と共に現地調査に入ります。

おそらく、これが人生最後の調査になるでしょう。


国も、自衛隊も、学問も、あれには無力です。

もはや、残された手段は一つ。

記録し、後世に伝えること。


あなたがその適任者だと、久坂部君が言っていました。


同封のUSBメモリに、すべてを託します。


蓮見壮介』


 封筒の底に、小さな黒いUSBメモリが入っていた。


 高林は周囲を見回した。同僚たちはまだテレビに釘付けになっている。続報では、現場の異常な状況が報じられていた。真夏のような気温の中、遺体は全員、低体温症の症状を示していた。そして、肺に入っていたのは淡水ではなく、塩分濃度の高い水だった。


 高林はゆっくり席を立ち、誰もいない会議室に入った。ノートパソコンを起動し、USBメモリを差し込む。


 ウイルスチェックの後、フォルダが開いた。


 久坂部准教授の完全な調査記録。蓮見教授の分析ノート。自衛隊の観測データ。そして――。


 一つの動画ファイルがあった。タイムスタンプは昨日の日付。撮影者は蓮見教授らしい。


 高林は再生ボタンを押そうとして、手を止めた。


 今ここで見るべきか。と。

 いや、まずは全体を把握すべきだ。他のファイルも確認してから、慎重に判断しよう。


 高林は、震える手でUSBメモリを抜いた。


 これは、久坂部准教授と蓮見教授が、命と引き換えに残した記録。国家機関の総力を挙げても止められなかった何かの証拠。


 その記録が自分の手にある。


 高林泰三は、深呼吸をした。恐怖で足が震えている。だが、やるべきことは明確だった。


 記録し、後世に伝える。


 それが、死んでいった人々から託された使命だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ