第3話 国の認識
国土交通省本庁舎、2階の喫茶室。店内の装飾、食事、飲み物、すべて一流。平日の午後2時、喫茶室はほぼ貸切状態だった。
蓮見教授の向かいに座る桐野圭吾は、髪こそ白いものが混じっているが、学生時代の面影を残していた。ただし、その表情には長年の激務が刻んだ深い皺がある。名刺には「国土交通省 事務次官」とあった。
「まさか壮介から、この件で連絡が来るとはな」
桐野は、蓮見が渡した久坂部のメールのプリントアウトを読み終えると、深い溜息をついた。
「この件、ということは、すでに知っていたのか」
「知っていたというより……対処していた、と言うべきかな」
桐野は立ち上がり、ドアに鍵をかけた。客はいない。ガラス張りの店内だが、彼らの座る位置だと、外から覗き込んでも何も見えない。桐野が店員へ視線を送ると、彼らは奥へ消えていった。
桐野は二人っきりになったことを確認し、鞄から分厚いファイルを取り出した。表紙には赤いスタンプで『特別管理案件 W-7』と押されていた。
「実は最近、各方面から湖に関する異常報告が相次いでいてね」
ファイルを開く。そこには大量の報告書、写真、データのグラフが綴じられていた。
「3月から始まった。最初は湖水温の異常低下。4月には原因不明の魚の大量死。そして5月に入ってから――」
桐野は一枚の集計表を示した。
「失踪者が急増した。公式発表は32名だが、実際は157名。いずれも最後の目撃地点は湖の周辺だ」
「なぜ公表しない?」
「できるわけがないだろう」
桐野の声に苛立ちが滲んだ。
「失踪者の何人かは、生きたまま内臓が凍結した状態で発見された。別の者は、肺に深海魚の卵が詰まっていた。こんなこと、どう説明する? 原因不明の奇病、なんて発表したら、大炎上するか、大パニックだ。あまりに異常すぎる」
蓮見は写真の一枚を手に取った。そこには、全身が内側から破裂したような遺体が写っていた。
「これは……」
「水圧だ。深海から一気に浮上したような損傷。だが、発見場所は標高800メートルの山中だった」
「久坂部君の死も、その一環か」
「ああ。そして君の教え子が最後というわけでもない。昨日も地質調査に入った技師が2名、消息を絶った」
桐野は資料を閉じた。
「我々は『W-7』というコードネームで、この事象を管理している。Wは『Water』、7は優先度を示す。最高レベルだ」
「どういう見解を持っている?」
「正直なところ、分からない。ただ――」
桐野は声を潜めた。
「ダム建設時の記録を洗い直したところ、奇妙な事実が判明した。当時の建設大臣が、計画を一部変更させている。『湖底中央部には堤体の基礎を作らない』という不可解な指示だ。理由は記されていない」
「そこに触れてはいけない何かがある、それを知っていた。そういうことか」
「その通りだ。そして、最近になってその『何か』が活性化し始めた」
二人の間に、重い沈黙が流れた。




