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東京の西に関する、いわゆる怪異の断章  作者: 藍沢 理
第4章 学術的接近

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第5話 託されたメモ

朝刊第一面


【訃報】武蔵野文理大学准教授、湖畔にて遺体で発見


 死因は溺死も、状況に不可解な点


 5月8日午前7時30分頃、西部山間部の湖畔で、武蔵野文理大学、人文学部の久坂部(くさかべ)遼一(りょういち)准教授(38)が遺体で発見された。第一発見者は、朝の散歩をしていた地元住民の女性(67)。


 警察署の発表によると、死因は溺死。しかし、遺体発見現場は湖から約50メートル離れた雑木林の中で、周囲に水たまりや湿った土の形跡は一切なかった。


 さらに不可解なのは、司法解剖の結果である。肺から検出された水分を分析したところ、塩分濃度が3.5%と、海水に匹敵する数値を示した。最も近い海岸まで100km以上離れた山間部で、なぜ海水で溺死したのか、説明がつかない。


 また、遺体の胃からは、深海魚の一種であるチョウチンアンコウの組織片が検出された。水深200m以下に生息する深海魚が、どのようにして准教授の体内に入ったのか、警察は首を捻っている。


 久坂部准教授は民俗学を専門とし「水神信仰の地域的変容」をテーマに研究を続けていた。5月1日より、科研費による学術調査のため当地に滞在。宿泊先の民宿の女将によると、7日夜9時頃「湖底の調査に行く」と言い残して外出した。彼はそれを最後に消息を絶っていた。


 准教授の所持品からは、防水ケースに入った調査ノートが発見された。最後のページには「石が歌い始めた。封印が解ける」という走り書きが残されていた。


 同僚の証言によると、久坂部准教授は真面目で理性的な研究者として知られ、オカルト的な言説とは無縁の人物だったという。


 警察は、事件、事故の両面から捜査を継続しているが、現時点で事件性を示す証拠は見つかっていない。ただし、遺体発見現場の半径5メートル以内の植物がすべて立ち枯れており、土壌からは通常の1000倍を超える塩分が検出されるなど、説明のつかない現象が確認されている。


 なお、同湖では過去3年間で、原因不明の失踪者が7名を数える。いずれも遺体は発見されていない。




同日夕刊 文化面


【追悼】水神信仰研究の第一人者

 久坂部遼一准教授


 残された研究が示す恐るべき仮説


 本日未明に急逝した久坂部遼一、武蔵野文理大学准教授は、水神信仰研究の若き第一人者として知られていた。


 久坂部准教授の専門は、特に関東地方における水神信仰の変容過程。江戸時代の治水技術と宗教的実践の関係について、画期的な研究成果を発表してきた。


 最後の論文「封印された水神 関東山間部における特異な信仰形態」(『民俗学評論』2025年3月号)では、ある地域の水神信仰が、通常の豊穣祈願ではなく「何かを封じ込める」ことを目的としていた可能性を指摘。学界に衝撃を与えた。


 同論文で久坂部准教授は、江戸時代中期の古文書を分析し「縛地神楽」と呼ばれる特殊な神事の存在を明らかにした。この神事は、地下深くに存在する「何か」を封印するため、49の祠を幾何学的に配置し、定期的に舞踊を奉納することで「結界」を維持するというものだった。


 准教授は論文の結論で「この信仰形態は、現代の我々には理解し難い高度な『技術』でもあった可能性がある」と述べ、さらなる調査の必要性を訴えていた。


 指導教官だった東京大学の蓮見(はすみ)壮介(そうすけ)教授は「彼の研究は、民俗学の枠を超えて、失われた知識体系の復元を目指すものだった。その志半ばでの死は、学問的損失を超えて、もっと大きな時代の損失である」と語った。



 高林泰三は震える手で新聞を机に置いた。


 朝刊を読んだ時点で、すでに動揺していた。久坂部准教授から、3日前にメールが来ていたからだ。


『重大な発見があった。詳細は会って話したい。ただし、この件は慎重に扱う必要がある。下手をすると、私の研究人生が終わるどころでは済まないかもしれない』


 そして今朝、出社すると机の上に分厚い封筒が置かれていた。差出人は久坂部准教授。消印を見ると、死亡推定時刻の前日、5月7日の夕方6時に、湖畔の郵便局から投函されていた。


 手が震える。それを抑えながら封を切る。中には、フィールドワーク日誌の完全なコピー、大量の写真、そして手書きのメモ。



『高林様へ


先日の出版時にはお世話になりました。

前置きはこれくらいにしておきます。


突然ですが、万が一を考え、フィールドワーク日誌のコピーと、資料、写真、もろもろを全て送ります。


添付した資料をご覧ください。信じがたい内容ですが、すべて事実です。

私は今回のフィールドワークを通じ、我々の祖先が必死に封じ込めようとした何かに、近づきすぎてしまったようです。


明日、湖底に沈む封印の石を確認します。水中カメラを持参しますが、おそらく私は戻ってこられないでしょう。なぜなら、石はすでに歌い始めているからです。


もう耳から離れないんです。


同じ資料を、東大の蓮見壮介教授に送っています。彼なら事態の深刻さを理解し、適切な行動を取ってくれるはずです。


最後に、これだけは伝えておきます。


湖底にあるのは、ただの穴ではありません。

それは、我々の理解を超えた深淵への入り口です。

そして、封印の期限まで、あと11年しかありません。

コード731


久坂部遼一』



 高林は日誌を読み進めた。鹿島踊りの真の姿、幾何学的に配置された祠、説明のつかない死の連続、そして湖底の大穴。


 断片が繋がってゆく。それは一つの恐るべき絵を描き出していた。


 デスクの引き出しから名刺入れを取り出し、東京大学の蓮見教授の連絡先を探す。以前、学術書の企画で面識があった。


 受話器を取り上げようとした瞬間、オフィスの照明が一斉に点滅した。一瞬の静寂の後、窓ガラスが微かに震え始めた。


 ギリギリ聞こえる、重く響く低周波音。

 高林は頭を振って再び引き出しの中を探し始めた。


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