第4話 フィールドワーク日誌(湖畔)
2025年5月7日(水)雨のち曇り 気温19℃
昨日は機材調達のため調査を中断。本日、地元の建設会社OBから、ダム建設当時の内部資料を極秘裏に入手した。茶封筒に入った400ページを超える記録。表紙には「取扱注意」の朱印。
まず目を通したのは、殉職者リストである。公式発表は87名だが、このリストには131名の名前があった。44名の差は何か。
死因を精査して、背筋が凍った。
『1952年7月13日 作業員、齋藤一郎(23)仮設足場から転落、溺死。遺体の回収後、肺に海水性プランクトンを確認』
淡水での溺死者の肺に、なぜ海水性プランクトンが?
『1952年8月25日 測量技師、木村正義(31)資材置き場で獣に襲われ死亡。歯型は直径12cmの円形、歯の配列は放射状。該当する動物なし』
さらに異常な記録が続く。
『1952年9月3日 現場監督、神田壮二郎(45)原因不明の内臓破裂。解剖所見:胃と腸が内側から破裂。胃の内容物から魚の鱗を検出。ただし、淡水魚のものではない』
『1952年10月10日〜17日 坑内作業員7名が連続して失踪。10月20日、排水トンネル内で発見。全員の遺体は完全に脱水状態。ミイラ化までに要する時間と合致せず』
そして、最も不可解な記録。
『1953年3月15日 地質調査主任、山崎ひろし(38)ボーリング調査中に精神錯乱。「穴の底に街がある」「逆さまの塔が見える」と叫び続ける。鎮静剤投与も効果なし。3月17日、病院から失踪。3月20日、工事現場から15km離れた山中で発見。死因は溺死。ただし、肺に満ちていたのは水ではなく、高濃度の塩化ナトリウム溶液』
資料の後半は、墓地移転に関する記録だった。
水没予定地域には、3つの寺院と11の墓地があった。総数3,842の墓石は、すべて高台の新墓地に移転された。ただ一つを除いて。
『旧小河内村 無縁墓地内 石造物一基 移転不可』
添付された写真を見て、身体が硬直した。
それは墓石ではなかった。高さ約3m、直径1.5mの円柱状の石造物。表面には、田村氏の装束と同じ幾何学文様が彫り込まれていた。その下部には古い碑文。
『元文元年七月七日 大穴封印 向後三百年 開くべからず』
元文元年は1736年。それから300年後は……2036年。
あと11年しかない。
資料の最後に、手書きのメモが挟まれていた。
『この石の移転を試みた作業員12名は、全員が奇病にかかった。症状は共通。体温が徐々に低下し、最後は体内の水分が凍結。生きたまま、内側から凍りついた。以後、この石には誰も近づかない。ダム完成後は、水深65mに沈む』
夕刻、追加の情報を得た。
建設会社OBの紹介で、当時の生存者、野村さん(91)に会った。彼は当時19歳、最年少の作業員だった。
「あの時のことは、今でも夢に見ます」
野村さんの手は小刻みに震えていた。
「1953年3月20日の朝でした。いつものように現場に向かうと、あの石の周りに人だかりができていた」
「何があったんです?」
「石が……歌っていたんです」
「歌?」
「いえ、歌というか……振動していました。低い唸り声のような音を発しながら。そして、石の表面の文様が、赤く光っていました」
彼は古い手帳を取り出した。
「その時の音を、音楽の心得があった同僚が楽譜に書き取ったんです」
五線譜に記された音符を見る。それは、西洋音階では表現できない微分音を含む、不協和音の連続だった。しかし、なぜか既視感がある。
宿に戻り、録音データと照合する。
田村老人が唱えた呪文、湖底から聞こえる脈動音、そして石が発した「歌」。基本周波数とリズムパターンが、完全に一致している。
すべては繋がっている。
明日、ついに湖底の石を、この目で確認する。
いま、窓の外で湖が唸っている。今夜は満月。湖面に映る月が、真っ赤に見える。
これを書き終えたら、東大の蓮見教授に速達で資料を送る。万が一を想定し、もう一人にも。




