第3話 フィールドワーク日誌(湖畔)
2025年5月5日(月)晴れ 気温24℃ 湖面水温8.3℃
早朝5時より湖畔で計測開始。持参した機材は以下の通り:
・多項目水質計(水温、pH、溶存酸素、導電率)
・磁気センサー(3軸フラックスゲート型)
・水中マイク(〜100kHz)
・赤外線サーモグラフィ
・ポータブル・エコーサウンダー(魚群探知機)
まず水質データが異常だ。表層水温8.3℃は、この時期としては異常に低い。しかも水深による温度勾配がおかしい。通常、深くなるほど水温は下がるが、ここでは15m付近で一度上昇し、その後急激に低下する。まるで、深部に冷熱源があるかのようだ。
導電率も異常値を示す。淡水湖の平均値の3倍。何らかの鉱物が大量に溶解している。
磁気センサーは、予想通り異常を検知。磁北から西に37度もずれている。しかも、その偏角が周期的に変動する。周期は約7分。
最も不可解なのは音響データである。水中マイクを深度30mまで降ろしたところで、奇妙な音を拾った。
ドン……ドン……ドン……
約2秒間隔の重低音。巨大な心臓の鼓動にも聞こえる。周波数解析すると、基本周波数は16.7Hz。人間の可聴域の下限付近。これが「太鼓の音」として聞こえているのだろう。
音源を特定すべく、複数地点で録音し三角測量を試みた。結果、音源は湖底中央部、深度70〜80m付近と推定される。小河内家の地図にあった「大穴」の位置と一致した。
午後、地元の釣り人、吉村勝男氏(52歳)から詳細な聞き取りを行った。
「3年前までは、ここはヤマメの名所だったんです。それが去年あたりから、魚が奇形になりましてね」
氏が見せてくれた写真に絶句した。背骨が螺旋状にねじれたヤマメ。眼球が3つあるウグイ。そして、既知の淡水魚とは思えない、細長い銀色の魚。
「こいつは去年釣れたんですが、図鑑にも載ってない。大学の先生に見せたら、深海魚に似てるって」
「深海魚が、なぜ淡水湖に?」
「さあ……でも、釣り上げた時、こいつの胃から出てきたんです」
吉村氏が取り出したのは、小さなガラス瓶。中には黒い粒状のものが入っている。
「砂鉄かと思ったんですが、磁石にもつかない。それに、顕微鏡で見ると……」
持参した実体顕微鏡で観察する。粒子の一つ一つが、完全な正八面体をしている。自然界でこのような結晶構造を持つ鉱物は限られる。しかし、どれとも一致しない。
「夜中の赤い光の件は?」
「あれは……信じてもらえないかもしれませんが」
吉村氏は声を潜めた。
「去年の8月15日、ちょうど旧盆の晩でした。夜釣りをしていたら、湖の中央部の水中で、赤い光が点滅し始めたんです。最初は誰かが違法に潜ってるのかと。でも、光は潜水できる深さじゃなかった」
「どのくらいの深さ?」
「魚探の反応から推定すると、80m以下。そんな深さ、素潜りはおろか、スキューバでも無理です」
「光のパターンは?」
「規則的でした。長い光、短い光の組み合わせ。モールス信号みたいでした」
録音機を止めた後、吉村氏が付け加えた。
「それ以来、この湖で釣りをする人は激減しました。みんな、何となく怖いんです。理由は説明できないけど」
夕刻、エコーサウンダーのデータを解析。湖底地形は公式の測量図とおおむね一致するが、中央部に異常がある。深度75m地点に、直径約15mの円形の反応。その下は、音波が乱反射して測定不能。
湖底に巨大な鏡があるのではないか。いや、鏡ではない。音波を乱反射させる何か別の……。
深夜追記
先ほど、宿の窓から湖を見ていたら、吉村氏の言った「赤い光」を目撃した。
23時17分、湖の中央部の水中で、赤い光が点滅し始めた。双眼鏡で観察し、パターンを記録。
単音三回、長音三回、単音三回。
これは国際救難信号のSOSだ。
誰が、何のために? それとも「何か」が、人間の信号を模倣しているのか。
明日、潜水機材を手配する。直接確認する必要がある。




