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東京の西に関する、いわゆる怪異の断章  作者: 藍沢 理
第4章 学術的接近

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第2話 フィールドワーク日誌(山間部)

2025年5月3日(土)曇り時々雨 気温18℃


 小河内(おごうち)家は、天正(てんしょう)、つまり安土桃山時代から続く旧家である。当主の小河内正彦氏(68歳)は元町役場職員で、ダム建設時の資料にも通じていた。


 蔵は江戸中期の建築。内部は適切に管理され、虫害もない。特筆すべきは、蔵の四隅に埋め込まれた黒い石である。黒曜石かと思ったが、持参した鉱物鑑定器で測定すると、既知のいかなる鉱物とも一致しない。放射線測定器が微弱な反応を示す。


「その石には触れんでください」


 小河内氏が制した。


「代々の言い伝えです。その石が、蔵の中のものを『安全』に保つのだと」


 問題の資料は、桐箱に収められていた。鹿島踊り、いや『縛地神楽』の詳細な記録である。


 まず目を引いたのは、明治17年の日付がある巻物だ。踊りの振付が、人体解剖図のような精密さで描かれている。各動作に付された説明を読み、戦慄した。


『第一節:地龍の背骨を断つ型』

『第二節:水脈の乱れを鎮める型』

『第三節:獣道を塞ぐ型』


 これは舞踊ではない。大地に対する外科手術の手順書だ。


 さらに驚愕したのは、同じ箱から出てきた地図である。


 測量技術から見て江戸後期のものだが、精度は現代の地形図に匹敵する。しかも、通常の地図では表現されない情報が大量に書き込まれていた。


 地下水脈が青い線で、断層が赤い線で記されている。そして、現在の湖底中央部に巨大な円。直径は約300メートル。そこから放射状に伸びる7本の線は、それぞれ7つの祠を結んでいる。合計49の祠が、複雑な幾何学模様を描いている。


 注目すべきは、円の中心に書かれた文字だ。


 『大穴 深さ七十七間 元文元年封印』


 元文元年は1736年。その頃、何があったのか。


「この穴は、実在するのですか」

「ダム建設の時、ボーリング調査で見つかりました。でも、すぐに調査は中止になった」

「なぜです?」

「調査員が、次々と発狂したからです」


 小河内氏は、別の書類を取り出した。昭和30年の日付。手書きのレポート。


『深度70メートルで空洞に到達。直径約10メートルの縦穴が、さらに深部へと続いている。穴の壁面は異常に滑らかで、人工物の可能性あり。水温0.5℃。強い硫黄臭。音響測定により、深度200メートル以下に、さらに巨大な空洞の存在を確認。調査員の坂田、幻覚症状を訴える。「穴の底から何かが昇ってくる」と繰り返す。調査中止を進言する』


「その後、ダム計画が変更されました。この穴の真上は避けて、堤体(ていたい)が作られたんです」


 持ち帰った資料を宿で精査。地図に記された49の祠の配置を現代の地形図に重ねると、それらは見事な対数螺旋を描いている。自然界によく見られる形だが、人工的に配置するには、高度な数学的知識と緻密な測量技術が必要となる。


 さらに、各祠から中心の穴までの距離を計測すると、フィボナッチ数列に従っていた。1、1、2、3、5、8、13……。


 江戸時代の人間が、なぜこのような配置を? いや、もっと重要な疑問がある。


 彼らは、何を封じようとしていたのか。


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