第7話 資料を読む
蒼玄書房、文芸第三編集部。
深夜11時を回った編集室で、高林泰三はまだデスクに向かっていた。他の編集者たちはとっくに帰宅し、フロアには彼と、隣の部署で残業している数人だけ。
高林のデスクには、通常の原稿に混じって異質な資料が積まれている。警察関係者から入手した茶封筒。ネットで見つけた、すでに削除された投稿の印刷物。そして先ほど届いた、私立探偵からの調査報告書。
すべては一週間前、旧知の刑事から「ちょっと変わった事件がある」と連絡を受けたことから始まった。
高林は大きな地図を広げた。赤いマーカーがたくさん書かれている。失踪者の最終目撃地点だ。じっと眺めていると、配置に何か意味があるような気がしてくる。
「うーん……たしかに七芒星に見えなくもない」
「高林さん、まだいらしたんですか」
振り返ると、隣の部署の後輩、東野美智子が立っていた。
「東野か。君も遅いね」
「新人賞の選考で……その地図は?」
高林は少し迷ったが、誰かに話を聞いてもらいたい気持ちが勝った。
「最近の失踪事件の資料を集めていてね」
「ニュースで見ました。たくさんの人が」
「そう。みんな『水』について何か言い残している」
高林は、ネットで見つけた投稿を見せた。
「これを書いた人も、今は消息不明らしい」
東野が青ざめる。高林は私立探偵の報告書も見せた。最後まで読んだ東野が顔を上げる。
「これ、本当ですか?」
「さあね。ただ、妙に具体的でしょう?」
高林は煙草を取り出しかけて、ここが禁煙だったと思い直した。
「朝霧雫という作家を知ってる?」
「去年デビューしたホラー作家ですよね」
「彼女の昔の作品に、似たような話があってね」
高林は古い同人誌を取り出した。あるページを開く。
「湖にまつわる話なんだが……」
東野が読み進める。表情が少しずつ変わっていく。
「偶然でしょうか」
「さあ、どうだろう」
高林は資料を見つめた。これらを朝霧に見せたら、どんな作品が生まれるだろうか。
不意に、空調が止まった。静寂の中、どこかから水音が聞こえてきた。
「何の音でしょう」
東野が不安そうに周囲を見回す。高林も耳を澄ませたが、音は止んでいた。
「疲れているのかもしれない」
高林は資料をまとめ始めた。
「明日、朝霧さんに連絡を取ってみるつもりだ」
「でも、もし本当に何かあったら」
「編集者の仕事は、物語を世に出すことだからね」
窓の外では、雨が降り始めていた。




