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戸籍を欲する女 008



 郁子は黙りこくったまま何かを考え続ける孝明をしばらくは待っていたが、次第に時子たちが心配になってきた。体が動かないイライラで声が尖ってしまう。

 こうしている今も時子や千景は危険な目にあっているかもしれない。なのに、自分はそれを助けに

行くことが出来ない。

(足手まといになってる・・・)

 唇を噛んで握り締めた手の甲を睨み付ける。

 何も出来ない自分が歯がゆくて仕方ない、小さくなって消えてしまいたいと心の端で思う。

だがそんな自分勝手な感情に飲まれている場合ではない。


「ねぇ、いつまでこうしてるつもりなの?」

 今すぐにでも森の奥へ駆け出したい気持ちを堪えてきつい口調で問いかけた。

 その声に、孝明が少し驚いたように顔を上げ、座り込んでいる郁子に視線を戻した。

「あ、悪い。考え事してた」

 ぼんやりとしていた視線に光がフッと光が戻った。

 のんびりしていると言ってもいいような反応に拍子抜けしそうになる。

「麻生はこの土地に合わない。一旦戻ろう」

 意外な提案に郁子は反応が遅れた。

「戻るの?時子たちは?」

「大丈夫。すぐ戻ってくるし。今回は千紘のほうが適任だ」

 そう言われると言葉を返せなくなってしまう。

 役に立たないと言われた様なものだ。

「ごめん・・・私」

 喉が詰まったようになって、上手く言葉が出てこない。

 すると、孝明はそっといくこの頭に掌を乗せた。

「そんな顔するなよ。麻生がいなかったら結界が張られていたことだって分からなかった。助かったよ」

 孝明は郁子の腕を掴んで立たせると、「いいか?」と視線を投げかけてきた。

「うん」

 郁子は吹き雑な表情で頷いた。


 郁子が目を瞑ると、一瞬、身体が浮くような感覚の後に数倍の重力が掛かってきた。

 孝明と『跳ぶ』のは初めてではないが、いつまで経っても慣れない。

 目を開くとそこは裏生徒会の生徒会室だった。

 先ほどからの余韻に、腰が抜けたように座り込んでしまう。

「大丈夫か?」

 孝明が腕を支えるように屈む。

 

 目の前には紅茶のカップを摘むように持った冷めた視線の葵と、なにやら書類の束を抱えた無表情の千紘がこちらを向いていた。

「あら、お早いお帰りですわね。2人ほど足りないようですけれど・・・」

 ソーサーにカップを戻し、特に驚いた様子もなく孝明と郁子の顔を交互に眺める。

 その仕草のひとつひとつが見られることを意識しているようで、郁子は心底イラつき葵に掴みかかりそうになったが、孝明が強く腕を引いた。

 そんな場合じゃないと言いたいのだろう。

 千紘に至っては葵の座っているソファーの後方のデスクで無言のまま書類をファイリングし始めた。


「わざわざ瞬間移動(跳んで)帰ってくるなんて、どうかなさったの?」

「ああ、お察しの通り。あっちから接触があってね。馬鹿2人が追いかけてって迷子になった」

 しかも、と一瞬、郁子に視線を向けて、

「変な結界が張られてるようなんだ。妖の力が無効になる」

 と、心配そうに郁子を近くのソファに座らせる。

「千紘、何か淹れてやってくれ」

「分かりました。珈琲でいいですか?」

 言葉と一緒に静かな視線を向けてくる。

 千紘の声からは何の感情も読み取れない。いつもと同じように無機質で平坦で、機械と話しているようだ。

 弟を残して戻ってきたことを責めたり、呆れたりしている様子も心配している様子もない。

 申し訳ないような、少しほっとしたような複雑な気持ちで千紘の動きを追う。

「・・・うん・・・」

 郁子は役に立てなかったことが悔しくて、汚れてしまっている膝小僧を凝視した。

 こんな顔していたら孝明に余計な心配をかけてしまう・・・。でも、時子と千景が心配だ。

 変な結界を張るような妙な奴だ。あの天然単細胞コンビが無鉄砲に何かやらかしていないといいが・・・。

 太ももの上で強く拳を握っていると、鼻先に珈琲のいい香りがしてきた。

「大丈夫?身体が震えてるわ」

 その声に驚いた。

「はい、少し落ち着きなさい」

 声の主は葵だった。

 手をとって温かいカップに手を添えさせる。

 いつの間にか郁子の前に膝を付き、とても元が男だと思えない、美少女としか形容できない顔が心配そうに覗き込んでいた。


 郁子は毒気を抜けれたように葵の顔を凝視していると、葵の唇が小さく開いた。

「ただでさえ不細工なのに・・・」


「だ・・・!うっせーよ!変態!!」

 反射的に襟首を掴もうとしたが、器用にカップを手にしたままでひらりとかわされてしまった。

 綺麗な髪とスカートがくるりと舞う。

「あら、元気そうでよかった。子猫ちゃんが責任感じてる場合じゃなくてよ?早く説明して」

 ね? と完璧な笑顔を郁子と孝明に向けて、珈琲を差し出す。

「神経を逆撫でしている場合でも、遊んでいる場合でもありませんよ。副会長」

 孝明にも珈琲を差し出しながら温度の感じられない声で千紘が葵を制した。

「で、あのふたりは何に誘い出されたんですか?」

「誘い出されたっつーか、付いていったつーか・・・」

 孝明は申し訳なさそうに大きく息を吐いた。

「監視役が付いてながら何をしてらしたの・・・そもそも今回は調査のみのはずですが?」

「ソレを言われると面目ない」

 孝明がソーサーを片手に頭を掻く。

 葵は勢いよくソファーに座ると、腕と脚を組み、ジロリと大きな瞳で攻めるように孝明を見やった。

 さぁ、話なさい・・・と言わんばかりだ。

「森に入ってすぐに、麻生の体調がおかしくなったんだ。妖だけが反応してしまう結界に反応した

ようだ。そこに志乃さんが現れた。

彼女は『帰れ』と言って、その直後に何かに連れ攫われたんだ。目視は出来ていない。で、千景と時子がそれを追いかけていった」

「そして、見失った?」

「時子の全力疾走についていけると?」

「携帯電話も繋がらない・・」

「お察しのとおり。で、麻生と千紘と選手交代だ。あと感知タイプでふたりを探す」

「簡単に言わないでください。感知タイプの生徒はほかの依頼に出払っています。

自力で探してください」

 切り捨てるようにそう言うと、視線を郁子に移した。

「ところで麻生さんの身体はどういう状態なんですか?」

 その視線には心なしか心配げな様子が見えて、郁子は少し戸惑ってしまった。

 葵とは喧嘩に近いようなやり取りが多いせいか、気恥ずかしくなってしまう。

 郁子はカップを口から離し、先程のように丹田に力を集中させた。

「結界内に居た間は妖の力が出せなかったけど、今は問題ないみたい」

「そう、危害が加えられたり、後に残ったりするような作用はなかったようですわね」

「そうみたい」

「なら良かった。国枝君、資料」

 葵が手を差し出すと千紘がきれいに揃えた書類を手渡した。

「あの土地の所有者の宮塚和雅氏について調査結果ですわ」


 パラパラと書類を捲りながら口を開いた。

「宮塚和雅氏はあの山だけではなくて、あの辺り一帯の土地の持ち主のようです。両親は他界、

父方の叔父が1人、子供はなし。弟夫婦とその娘夫婦がいるのみ。

不動産関連の会社を経営していますが、今は理事という形で運営は部下に任せてあの山に

引きこもってるそうです。

この資料から読み取れるだけでも相続が簡単なことでないことくらい分かりますわよね?

たとえ志乃って妖が戸籍を手にしたとしても相続なんて出来るのかしら?親族からの突き上げだって

相当でしょうに・・・」

 唇に人差し指を当てながら意味ありげに微笑む。

 意地が悪そうに見える表情だった。

「私には、戸籍があったとしても、どこの馬の骨とも分からない若い女にくれてやれる財産じゃないと思います」

「まぁな」

 孝明も唇を摘みながら俯いた。


 先ほどからしきりに何かを考えているようだが、郁子にはそれが歯痒くてならない。

「どうしてさっさと時子のとこに行かないの?」

 堪らず口を突いて言葉が出てきた。

「麻生さんみたいに体力だけで何とかなる場合と、そうじゃない場合があるってことですわ」

 葵の表情は微笑んでいるようにも見えたが、瞳は全く笑っていない。

「理事の説得が出来るなら手がないことはない。ただ、宮塚志乃の話鵜呑みにするなら・・・

の場合ですけれど」

「どういうことだ?」

「うちの理事なら身元がしっかりしています。戸籍をつくる際に理事と養子縁組の書類も偽造する。

20年位前に養子縁組したことにしてれば大丈夫でしょう」

 もしくは・・・、と更に口角を上げて意地の悪そうな笑い方をしてみせる。

「宮塚和雅の年齢に合うニンゲンをこちらで用意して戸籍をつくって入籍させるか・・・ですわね」

「俺もそっとの方で考えていた。適当なの見繕っといてくれ。じゃ、千紘借りてく。麻生、

悪かったな。時子たちはちゃん連れ帰ってくるから休んでてくれ」

 そう言いながら千紘の元へ足を進め、腕を掴むと返事も聞かずに消えてしまった。

「忙しいこと・・・さ、会長にお許しを頂かないと」

 葵は優雅にカップに口を付けた。




† † † † † †




 ふっと手の甲が触れた瞬間、その冷たさに驚いた。

 千紘は衝撃でずれかけた眼鏡を中指で直しているところだった。


 口を真一文字に結び、視線を真っ直ぐに前に向けている。

 

 まるで人形のように無表情な様子は知り合って何年経っても感情が読みきれないし、

顔はそっくりでも千景と双子とは思えない。

 真面目で真っ直ぐで不器用すぎるのだ。

 今も平静を装っているが、弟のことが心配に違いなかった。


「兄弟だから呼び合うとかないのか?」

「・・・兄妹なら呼び合ってください」

「・・・だよな」


 2人は森の入口に立っていた。

 やはり森の放つ禍々しさが空気を重くしているようだ。


「僕でも分かるほどに空気が淀んでいますね。結界内にいる妖には作用しない結界なんでしょうか?」

「宮塚志乃は常に体調が悪そうだったからなぁ・・・。でも、宮塚志乃を攫っていたのは

人間業じゃないしな。千景は力が削られ続けていくって言ってたけど」

「そうですか。先生に分かる以上のことは僕には分かりません。行きましょう」

 そう言うと獣道を草を掻き分けるようにして進んでいく。

「ちょっと待てよ。中に入って当てもなく探すよりも宮塚和雅のところへ行ったほうが

早いんじゃないか?」

 そう声を掛けると、千紘が振り返った。

「そちらは副会長が対応してくださいます。提案できる材料がない今、宮塚和雅氏のところへ行っても仕方ありませんから」

「そりゃそうか・・・。じゃ、とにかく2人を探すか・・・」


 孝明は千紘に続いて森の中へ入っていった。

 鬱蒼とした木々の中、ところどころ葉の間から漏れた光が地面に差し込んでいる。

 鳥の鳴き声も。風の音さえしない。

 森に一歩入った途端、音が遮断されてしまったようにプッツリと途切れてしまった。

 まるで森全体が息を潜めているように。


 少し進んで孝明が足を止めた。

「この当りで麻生の調子が悪くなったんだ。で、宮塚志乃がその先の大きな木の陰から現れた」

 と、10m先の大きな(ウ ロ)のある木を指差した。

「千景と時子はその木の奥に向って走っていった」

 千紘は無言のままその木まで歩いていくと、足元や奥の方を眺めだした。

「先生、ここに木の枝が折れた場所があります、まだ新しい・・・この方向へ行ったようですね」

「ああ、方向的にはそっちだろうな・・・痕跡を探しながら行くしかないか・・・」

 そう言う孝明の言葉を聞いているのかいないのか、千紘はきょろきょろと辺りを見回しながら、

ゆっくりとした歩調で奥へと進んでいく。

 まるで何かを探しているようだ。


 孝明も地面などを見ながら足を進めていたが、千紘の「先生」という声に顔を上げた。

 少し先を歩いていた千紘は1本の木の前で立ち止まると、腰くらいの位置に付いた木の傷を

指差していた。

「これ、千景の付けたものだと思います」

 近づいて見てみると出来たばかりの真新しい傷が付いている。

「八幡さんに襟首掴まれながら、何とかつけたんだと思います」

「ヘンゼルとグレーテルみたいだな・・・。よしそれをたどって行こう」

 千景の残した僅かな痕跡を見落とさなかった千紘。

 やはり二人は紛れも泣く兄弟だ。

「ヘンゼルとグレーテルはパンの屑です」

 ニコリともぜず訂正する千紘に孝明は苦笑を返すしかなかった。



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