戸籍を欲する女 007
007
手にした特殊警防を振ることも出来ず、かと言って志乃にしか見えない目の前の生き物がどんな能力を持っているかも分からない。
時子は用心深く、意識してゆっくりと呼吸した。
制服のスカートが冷たい風にゆれ、首元に巻いたマフラーの端が肩からずり落ちる。
(これが志乃さんの言ってた一緒に育ったっていう・・・)
時子は唇を噛み、自分の唇がひどく乾いていることに気が付いた。
そんなことを頭の足で考えながら目の前の女を注意深く観察する。
青白い肌、目を引く白銀の髪、作り物めいた整いすぎた冷たい表情にすらりと伸びた華奢な手足。
まるで鏡に映したように志乃と同じ顔、髪、表情、同じ身体をしているのに、千景は別人だという。
「実は双子でした・・・とか」
脱力しそうな程のんびりした声が聞こえてきた。
「可能性はありますよね。千景さんと千紘さんもそっくりだし。でも、志乃さんは双子がいるとは言ってませんでしたけど」
一緒に育った仲間が居るようなことは言っていたが、双子とは言っていなかった。
「ひど!似てないって!」
千景が傷付いたと言わんばかりの叫び声をあげる。
そこまで嫌がらなくてもいいしょう・・・、という言葉を飲み込む。
千紘が嫌がるならまだ分かるが、千景が嫌がるのは失礼な気がする。
「自覚無いんですか?そっくりですよ」
念を押すように、あえてじっくりと発音してみせる。
後ろを向いてじっくりと話をしてみたい議題だが、今は視線を据えたまま動くわけにはいかず、
姿勢を低くしたままで、目の前の志乃の姿をした得体の知れないオンナから視線を外せない。
「双子にしろ何にしろ、私には志乃さんにしか見えないですけど・・・」
「節穴ねぇ・・・もちろん人間じゃないしね・・・」
千景は溜息混じりに言うと、1歩前に出た。
しみじみと小ばかにされて時子は素直にムッとした。
オンナは立ち止まり、しかし左右には揺れながら虚ろな目で、2人を見ていないのか、それとも見えていないのか、視線だけこちらに向けている。
銀色の豊かな髪が風にさらさらと揺れ、肩や腕に纏わり付いている。
まるで風に舞う絹糸のように柔らかく、硝子で出来たように艶やかに。
それに相対する喪服のようなワンピース。
オンナの周りだけ色が消えてしまったように浮き上がって見える。
ふと、オンナの唇が何か言いたそうに開いたが、言葉は何も出てこなかった。
時子は次第に背筋が寒くなってきた。
確かに、自分の知っている志乃では無いという千景の言葉の意味が分かってきたのだ。
相手が志乃のように消えてしまいそうな脆弱さではなく、意思を持って時子たちに向っているのが感じられた。
その濃厚で怪しげな密度の濃い空気が蜃気楼のようにオンナから揺らめいている。
千景の言葉を聞いた時子はそのオンナが志乃とは違うことが分かった。
オンナはゆっくりと口角を上げた。
「・・・・・・人間なのね」
鈴のようで、でも鈴ではない空気を振るわせる糸のように細い声が時子の耳に届いた。
「私が志乃なの」
オンナはどんな答えを求めているのだろう。
志乃ではない志乃と同じ姿のオンナ。
志乃と似ているかと問いう。
自分が志乃だと言う。
自分が何者なのかも分かっていないのだろうか?
(双子?もしかして多重人格・・・ってやつ?だったら兄さんの領域じゃない!)
時子には理解が出来なかった。自分が何者か分からない感覚なんて・・・。
前にも動けず、後ろにも引けない。
内心、どうしたらいいのか分からず、いつもの癖で千景を横目で盗み見た。
「俺には、外見だけなら志乃さんみたいに見えますけど・・・違いますよね?」
よく通る声がピンと張った空気の中に響いた。
「志乃さんと雰囲気が全っ然違うし、そもそも志乃さんだったらそんなこと聞かないですよね?」
アイスブルーの瞳に初めて感情の色が走った。
怒りか焦りか・・・強い感情が瞳を冷ややかに輝かせた。
「私は志乃」
すっ・・・っと周りの温度が下がったような気がした。
頬に、素足に当たる風がチクチクと痛い。
周りの空気が動きを止める。
葉が揺れる音、小鳥の囀り、枯れ葉の重なり合う微かな音・・・その全てが停止し、時子の背中を寒くした。
「いいえ、違いますよ」
音が溶けてなくなったような森の中で、千景の声は染み入るように響いた。
確信めいた言い方に時子の方が驚く。
(まただ・・・)
半分ふざけているような声音にも聞こえるが、千景の表情は微笑んでさえいない。
千景はいつもこうなのだ。
何かに真剣に向き合うことを避けるように、物事を俯瞰で見ているように距離をおいて心を見せようとしない。
何もかもを見透かしたように、見通したようにふざけたような様子で時子の届かないトコロで話を進めてしまうのだ。
時子に並ぶように立ち、微かに手の動きで時子に下がるように指示をする。
(でも・・・)
時子が目で訴えるが、千景は小さく頷いて再び手を小さく動かした。
「あなたは俺の知ってる志乃さんじゃない」
「じゃぁ、私は誰だって言うのよ」
「あなたは誰なんですか?」
二人の声が重なる。
森に響く裏返った金切り声と対照的に感情の起伏が無い言い淡々と問いかける声。
千景はマフラーと首の間に指を入れて少し隙間を開けながら、息苦しそうに、ふぅ・・・、と息をついた。
「俺も彼女も一応人間」
と、立てた親指で背後の時子を指差しながら、肩を竦めて独り言のように言う。
時子には意味が分からない。
「でも、あのスピードで移動できるってことは普通の人間じゃないってことも分かってますよね?」
「・・・・・・」
(ちょ・・・特殊警防構えたままで蚊帳の外ってどうなの!)
気を抜くことも出来ず、攻撃することももちろん出来ず、時子は宙ぶらりんなままふたりの意味の掴めない会話を聞いているしかない。
「猫娘には効果あったみたいだけど、アナタのチカラは俺らには無効だよ」
千景の声に相手は俯いて小刻みに震えだした。
「人間ごときが・・・何しにきたんだよ」
「それを知ってるから近付いてきたんでしょ?郁子さんの力を押し込んでまで」
「え?それって、どういう意味ですか・・・?」
時子は目を見開いたが、千景は両手をジャケットのポケットに入れて答えない。
完全に無視されている。
「そんな乱暴な喋り方だと、余計に志乃さんに見えなくなっちゃうよ?」
「うるせぇ!!」
「あら汚い言葉使い」
相手を小馬鹿にしたような言い方に、時子の肝が冷える。
(挑発してどうするの~!)
「ちょっと・・・千景さん・・・」
千景を殴って黙らせた方が話が上手く進むかも知れない・・・。時子の中で一瞬殺意が湧きそうになる。
「で、眠くなってきたってことは・・・まぁ、でも、俺もちょっと特殊な人間なんで、そっちのも効かないよ」
とポケットから片手を出しピースサインを作ってみせる。
「あなたは志乃さんじゃない。なんで志乃さんのフリなんてしてるの?あなたは誰なの?」
千景は畳み掛けた後、ふっと口を噤んだ。
「決めた。あなたは志乃さんに似てるから・・・イノさん、|コロモに志乃さんの乃ね」
「め、命名?」
思わず臨戦態勢を解いてお気楽極楽な相方に突っ込みを入れる。
千景は背中を向けたままヒラヒラと時子に手を振ってみせる
先ほどからの会話に輪をかけて意味が分からない。
「何言ってるんですか?!」
時子の素っ頓狂な声に千景は振り返り、満面の笑顔を向けてきた。
「だって、ややこしいんだもん」
「いやいやいや、そういう問題じゃないですから!」
顔の前で特殊警防を持った手をぶんぶん振りながら目を見開いてしまった。
「もう、時子細かい」
千景がうんざり・・・という恨めしそうな顔で時子を見やる。
「細かいとかじゃないですから!ややこしくしないでくださいよ!」
今度は特殊警防を振り上げ、ブンブンと振り回しながらキィィィ!と奇声を上げる。
「ややこしいから名前付けたんじゃん」
「それがややこしいんですってばぁ」
千景のあまりにも飄々とした様子に時子は開いた口が閉じなくなってしまった。
何を考えているのか分からず、どう対応したものか時子は混乱してきた。
何と言っていいのか分からず、腹の底から大きなため息をく。
「ところで衣乃さん、志乃さんどこにやったの?」
静寂の中で千景の声が響いた。
衣乃と命名されたオンナは俯いたまま、視線だけを睨みつけるように千景に向けた。
「私が志乃なんだ」
ひび割れた声が・・・怒りを滲ませた声が聞こえた。
ただ、時子にはその声が怒りだけの感情ではないような気がした。後ろめたそうな・・・、躊躇うような・・・怒りでそれらを隠しているような・・・。
「違うよ。あなたは志乃さんじゃない」
「志乃だ」
「あなたじゃ、志乃さんにはなれないよ」
「私が志乃だ!」
衣乃が叫んだ瞬間、彼女の髪が大きく靡き、つむじ風のような強烈な風が千景と時子を包んだ。
「きゃ!」
体の前で腕を交差し、何とか衝撃に耐える。
髪が靡き、マフラーは風に飛ばされ、コートが翻りスカートが大きく乱れる。
周りの木々がガサガサと騒ぎ立てる。
千景は時子を守るように立ちはだかり、だが視線は衣乃を見つめたまま動かない。
「志乃だ!私が志乃なんだ!」
衣乃が声を裏返しながら叫ぶごとに、彼女の背後から強い風が襲い掛かってくる。
衣乃の顔にかかった髪のその影から、アイスブルーの瞳がギラギラと千景と時子ふたりを睨みけてくる。
その壮絶な様相に時子は息を呑んだ。
「なんでそんなに必死なの?」
千景は衣乃に問いかけるように口を開いた。
「あなたはあなたじゃない?どうして志乃さんになろうとするの?」
衣乃ははっとしたように顔を上げた。
何かに遮られた様にピタリと風が止み、時子は大きく踏鞴を踏んだ。
不安そうに千景の背中を見る。
再び衣乃の視線からは力が無くなり、迷子のように何か助けを求めるような頼りない表情を浮かべている。
「理由を聞かせてよ」
「り・・・理由・・・」
「志乃さんに憧れて志乃さんになりたいとか、そんな簡単な理由じゃないでしょ?」
「理由なんて・・・」
「必死すぎるんだもん。あなたは俺たちが来た理由を知ってる。じゃないとこんな風に接触してこないでしょ?」
「・・・・・・」
衣乃は時子たちが志乃を知っていることを前提にして接触してきた。
「志乃さんになりかわって何する気なの?」
「お前たちのことなんて知らない・・・」
聞きたくないというように大きく頭を振る。
「すんごい矛盾。俺らが志乃さんのことを知ってるって分かってないとこんな行動しないでしょ」
衣乃は唇が切れそうなほど噛み締め、片足を大きく踏みしめた。
そして搾り出すように言葉を吐いた。
「・・・志乃に戸籍をやらないで・・・」
両腕を力なくからだの脇に垂らし、力なく続ける。
「やっぱり私じゃ変わってやれない・・・」
衣乃を包んでいた濃厚な雰囲気が嘘のように薄れていく。
「俺たちのこと、木霊の一件で知ってるんでしょう?何をそんなに心配しているの?」
と、衣乃の顔を覗き込むように腰を屈め、姿勢を少し低くして見つめていたが、反応が無いので腰を伸ばした。
「少なくとも、木霊は戸籍を手にして幸せになった。戸籍を手にしたら志乃さんだって表向きは人間になれる。
人間になれたら宮塚さんの願いだって叶えられる。だってそれが彼女の望みなんでしょ?なんであなたが拒むのさ」
それに・・・と考えるように瞳をぐるりと動かし、
「そんな権利・・・ないよね?」
冷たいようにも聞こえる言い方だった。
「俺らを怪しんでる・・・んじゃないよね。志乃さんが戸籍を手に入れたら何か不都合でもあるの?
財産もらって万歳じゃん。
衣乃さんだけじゃないでしょ、ここに住んでる妖って。みんながそのまま安全に暮らせたらソレが一番だと思うけど・・・何で邪魔するの?」
「志乃を守ってやれるのは・・・私しかいない・・・」




