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戸籍を欲する女 006

006


数メートル先でガサリ・・・ガサリ・・・と足音が聞こえた。

「郁子ちゃんが駆けつけてくれた!なんてことないですよね?」

 片手に持った特殊警棒を構えながら、背後の千景に声を掛ける。

 少し本気で期待して掛けた言葉だったが、あっさりとした返事が返ってきた。

「そっちは来たのと逆方向だから見えないだろうけど、全くそんな気配ないね」

 状況に合わない程のんびりした声が聞こえてきた。

 肩の力が抜けてしまいそうになるのを何とか堪えて両足に力を入れる。

「ですよねぇ。結構走ったもんなぁ」

「時子が全力疾走しなきゃ今頃合流できてかも。時子は加減ってものを知ったほうがいい。うん」

 千景の言葉に舌を出して、時子は大きく息を吸い込んだ。

 千景の透き通った声で軽く言われると聞き流してしまいそうになるが、結構な皮肉である。

 あの瞬間は必死だったんです・・・。と心の中だけで弁解する。

「やるしかないって事ですね・・・」

 肩と腕を緩めて、軽く慣らすように動かす。

「時子頑張れ!」

「そこって応援するトコですか?体動かさないなら頭動かす!相手の分析とか・・・することあるでしょ!」

 横目で非難するような視線を向けると千影は大きく首肯する。

「怪我したら治したげるからね」

 両手でピースをしてニッコリと笑っている。

「それ!違う!」

 そんな満面の笑顔向けられてもなぁ・・・と心の中で呟く。

「気にしない気にしない。フレーフレーと・き・こ」

 男の子に励まされながら特殊警棒を振るう自分自身を想像して、ちょっと切なくなりながら、時子は視線の先に現れた影に向かって構えた。

「なんだろう、この虚しさ・・・」

 影はゆっくりと、しかし、しっかりとした足取りで近付いてくる。

 白銀の絹のような髪が揺れるのが視界に入った。

 朝靄の中のような柔らかい光の中、細い腕が、指が肩から伸びる髪を撫でるように弄っている。

 ゆっくりと左右に揺れながら・・・。

「・・・に・・・る?」

 高く細い声が嬉しそうに、唄うように問いかけてきた。

 いや、問いかけているように聞こえてきただだ。

 全身を確認しようにも木々が邪魔して確認できない。

 時子は特殊警棒を構えた。

「ねぇ、・・・に・・・見える?」

(誰・・・)

 背筋がぞっとした。

 声ははっきりと聞こえるのに、虚ろに耳に届く。

 酔ったような少し甲高く、調子が一定しない声。

 

 長い白銀の髪、折れそうに華奢な身体、透けるような白い肌、吸い込まれそうな潤んだアイスブルーの瞳。

 そして、白い歯が零れるように覗く桜色の唇。

 そこには探していた姿があった。

「志乃さん?」

 しかし、その瞳には何も宿っていない。ただ透き通っている硝子玉のように。

 その瞳には何も映ってはいない。

 目の前に立っているのは志乃にしか見えない。

 だがそこに志乃に感じていた儚さも、守りたくなるような消えそうな笑みも無い。

(志乃さん・・・?)

 唇を読んだのか、千景が時子の腕を強く引き、視線は前を向いたまま耳元で囁いた。

「違う。志乃さんじゃない」

 引きずられるように数歩下がった時子が目にしているのは・・・?

「え?だって・・・」

 視線をそのままに千景に疑問を投げかける時子に、千景は更に小さな声で伝えた。


「『志乃に見える?』・・・って言ってるんだ」

「え?」

 相手に聞こえないように、相手を刺激しないように・・・、千景は唇の動きを最小限にして呟くように続けた。

「とにかく僕たちの知ってる志乃さんじゃない・・・」


 そこには志乃と同じ姿を持った全く別の生き物が居た。

「ち・・・千景さん、でも、あれ・・・」


「ねぇ・・・志乃に見える?」


 やっと届いてきた言葉に時子は耳を疑った。

(どういうこと・・・?)

「ねぇってば、私は志乃なの?・・・ねぇ」




† † † † † 




 郁子は走り去っていく時子と千景を追うことができず、膝が崩れるようにその場に座り込んでしまった。

 孝明も時子たちを気にしながらも、郁子を置いていく事もできず、舌打ちを堪えるような表情で二人を見送った。

「あの馬鹿・・・!」

「先生、追いかけて!」

 郁子の言葉は意地を張ったわけでも、遠慮したわけでもなく自然に出たが、孝明は申し訳なさそうにため息をついた。

「いや、千景がいれば大丈夫だろう。それより自分のこと心配しろ・・・」

 言いながら膝を着いて座り込んだ。

「ごめん」

 罪悪感で身体が締め付けられるような気がした。

 自分のことよりも余程、妹の時子のことが心配で居ても立っても要られないはずなのに・・・。

「時子のとこに行って。私は大丈夫」

 志乃が消えたのと同じタイミングで郁子の体中の力が抜けてしまい、立っていることが出来なくなってしまった。

 孝明は謝る郁子の顔を覗き込み、静かに首を振った。

「麻生が悪いんじゃない、それに俺1人で森の中を彷徨って襲われたらどうしてくれるんだ」

 孝明が冗談めかせてそういうと、郁子は仕方なさそうに肩を落とし、そしてその理由にほんの少し安心したように小さく息を吐いた。

 

「やっぱり何らかの力が『妖』の部分に作用してるんだ。目が戻ってる」

 孝明は郁子の体を支えるようにし、座らせながら目を指差して苦笑する。

 郁子は茶色の瞳で何度か瞬きをした。

「痛いとか、気持ち悪いとかないか?」

「え?あ、うん」

 真正面から思い切り心配されて戸惑うように視線を地面に落とした。

「大丈夫」

「本当か?」

 訝しげに繰り返す孝明に、真っ直ぐに視線を向ける。

「嘘つかないよ」

 孝明は顎をつまんで、何やら考え込み始めた。


 郁子は丹田の辺りに意識を集中して自分の力を探すような意識で、今の状態を分析してみた。

 確かに孝明の言う通りだった。

 いつもとは逆に、妖の部分をあまり感じ取れない。

 普段、郁子は意識して妖の部分を隠している。

 本来は瞳は金色で、耳も尖って爪は伸縮自在で鋼の色をしているし、極端に疲れると人間の姿を保て無くなることもある。

 それが、今は出そうとしても『妖』の部分が出てこない。

「さっきの志乃さんを連れて行った力に反応したのか?」

 ふっと、孝明が視線を郁子に戻して呟いた。

 郁子はその瞬間を思い出した。

 志乃の身体が引きずられ、消えるのを見た瞬間に力が抜けてしまった。

 まるで吸い取られたように、奪い取られたように・・・。

 体の中から剥されたように強引に持っていかれてしまうような感覚だった。

 その瞬間の感覚を思い出すと背中が寒くなった。

 誰かの意図を感じたような気がした。

 いや、『意図』では無く『意思』を。


「先生・・・志乃ってのさ・・・、何か変じゃない?」

「変って?」

「最初は私らを誘い込みに来たのかと思ったけど・・・違うよね」

「具体的には?」

「上手く説明できないけど・・・ほら『帰ってください』って言ってたし」

 と、もどかしそうに唇を噛む。

「志乃っていう人、『気づかれてしまう』とも言ってたよね?それって『なに』に?」

 呟きながら頭の中を整理する。

 


「志乃ってのは『なにか』に守られてるんじゃない?一方的に」

 孝明は郁子を振り返り少し口角を上げた。

「何でそう思った?」

 郁子は忌々しそうに孝明を睨みつけた。

「あのさ、こういう場面で教師面して試さないでよね。授業じゃないんだからさ」

「悪い悪い」

 おかしそうに笑うと頭を掻いて体ごと郁子に振り返る。

 郁子はその場で胡坐になり、腕を組んで首を傾げた。

「俺も何かがおかしいって思ってる。でもなにがおかしいのか分からないんだ。そもそもそういった意味での偵察のつもりがこうなったんでな」

「あたしを含めて血の気の多いのばっかり連れてくるからよ。あの変態も何考えてるんだか。人選ミスもいいとこだわ」

 この場にいない副会長をなじりながら大きく腕を回す。

「『なにか』が志乃ってのにに敵意を持ったモノだったら、あの場で志乃を傷つけることも、あたしたちに攻撃することも出来たはずでしょ?でもあたしにはそういった『敵意』が感じられなかった。まるであたしたちから遠ざけたかったような・・・連れ戻したっていうか・・・」

 なるほどね・・・。孝明はそう呟くと再び何かを考え始めた。

「なんだろう、私の力を使えなくするような能力を持ってるんなら、普通力が使えない間に攻撃してきてもおかしくないでしょ?なんだろ・・・こう・・・お互いを傷つけないように能力を使ったっていうかさ・・・」

「彼女の言った『気づかれてしまう』は『気づかれると危害が加えられる』じゃなくて、『気づかれると隠していることがばれてしまうから』ってことか」

 孝明はコートのポケットから携帯電話を取り出し、画面を確認して舌打ちをした。

「圏外だ」

 心配そうに時子たちが走っていった方向を見やる。

「俺も彼女が誰かから今回の戸籍のことを隠したがってるような・・・本当は違う目的があるように思えるんだ」

 何かあっても『修復』能力のある千景がいるとはいえ、ミジンコ並みに単細胞コンビだ。

(要らぬ争いを起こしていないといいんだが・・・。)

「楽になったわ。『妖』の部分を押さえ込んだら動けるようになるんだよね?」

「あぁ、多分な」

「分かった」

 郁子は大きく息を吸い込んで瞳を閉じた。



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