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戸籍を欲する女  03



 翌日の土曜日。

 千景はいつもの通学時間よりも電車を2本早くし、旧校舎の生徒会室に向かっていた。

 コートを着ていても肌寒い森の中、時子に借りたままのショールを細くたたんで首に巻きつけている。

 片手に持っているのは500mmの牛乳パック。

 兄の千紘に身長が負けているのが密かなコンプレックスなのだ。

 森を抜け、旧校舎の扉のノブを捻ってみると抵抗無く動く。

(誰か来てるんだ・・・)

 鍵が開いていなければ帰ろうと思っていただけに、ちょっと得したような気分になる。

 中に入ってもひんやりとした空気は変わらず、薄暗い中を窓から差し込んだ光が、空中に舞うほこりを浮かび上がらせた。

 まだみんなが動き出す前の時間。

 ふと、この世界には自分しか存在しないんじゃないか・・・という感情が湧き上がる。

 でも、それはきっと願望。

 


 生徒会室の扉をノックすると、「はぁい」という、高い声がした。

「おはようございます」

 挨拶をしながら入っていくと、制服に身を包んだ少女が珈琲カップを手にソファーに座っていた。

 丁度、昨日志乃が座っていた場所だ。

「早いですね」 

 少女は大きな窓から入る光を受けながらニッコリと微笑む。

 裏生徒会 副会長 井沢葵だ。

「今日もお美しいことで」

「まぁ、ありがとう。千景くんの素直なところ、大好きよ」

 褒められなれているせいか、謙遜も動揺も微塵も無く素直に言葉を受け取る。

 カップを口元に近づけ、ゆっくりと口に含む様は清廉として、美しく、兎に角絵になる。

 

 少し癖のある髪を肩のラインで切り揃え、耳に掛けている。

 長い睫は微かに潤んだ茶色の瞳に影を落とし、頬はよく効いた暖房のせいか仄かに上気している。

 小さな唇から漏れる満足げな溜め息がなんとも艶かしい。

 膝頭をきちんと揃えて座る姿は、「思春期の女の子」という部分が欠落している(もしくはまだ芽生えていない)時子に見習わせたいくらいだ。

「千景くんも珈琲飲む?」

「いえ僕はこれを」

 と手に持った牛乳パックを目の高さに上げる。

「この寒いのに牛乳?おなか壊しちゃうわ?温めてあげるから貸して」

 カップをテーブルに置き、脛の辺りまであるスカートを優雅に揺らしながら目の前まで来ると、千景の手ごと包み込むようにしてパックを受け取る。

 そして、潤んだ目で見上げながら、吐息まで届きそうな距離で

「ね?」

 と小首を傾げるのだ。

(うわぁ・・・)

 色々な感情を込めて胸中で呟く。

「冷たい手・・・」

 呟くと手を包み込んだまま優しく息を吹きかける。

「せ・・・先輩」

 手を引こうとするが中々どうして、力強い。

「どうして嫌がるの?・・・私の事・・・嫌い?」

「いや、先輩やりすぎです・・・」

 今にも泣きだしそうな表情で詰め寄られても・・・正直怖い。

「こら、朝から襲うなっての」

 扉の開く音と共に、孝明の(千景的には天使の)声が降って来た。

「襲うなんて・・・。先生酷い」

 ぱっと手を離し、軽く握り直した手を顎に添えて視線を床に向ける。

 悲しそうに眉を顰めて涙ぐむ姿は絵に描いたような「傷ついた美少女」だ。

「男が男を襲う と こ(シーン)なんて朝から見たくないっての」

「ひどーい!」

 そうなのだ、この絵に描いたような美少女は美少年なのだ。 


 『女装趣味』の。


 両手の拳を胸の前で合わせてイヤイヤと体を振る。

「それは言わないでって言ってるじゃないですかぁ」

「井沢が朝から幼気(イタイケ)な後輩を弄ぶからだろ?千景は女の子に免疫ないんだからからかわないの」

「そこがいいんじゃないですかぁ」

 と、舌なめずりしそうな悪い顔でにやつく。

 こっちが地なのだから性質が悪いというのだ。



 孝明は白衣の上から白と黒の格子模様のマフラーを巻いただけの格好で、寒さに身を震わせていた。

「先生こそ珈琲が必要なんじゃないですか?」

 コートを脱ぎながら千景が声を掛けると、孝明が盛大に首を縦に振る。

「飲みたい飲みたい。入れてくれ」

「ブラックですか?」

「砂糖とミルクたっぷりのカフェ・オレ希望」

「それって、僕の牛乳入れろってことですか?」

「正解!冴えてるね千景っ」

 グッと親指を立てて真っ白な歯をニッと見せるように笑う。

「まぁ、いいですけどね」



 千景がミルクパンで牛乳を温め始めると葵が不思議そうに室内を見回した。

「時子ちゃんは?」

「さぁ、まだ部屋なんじゃないか?」

「いつもは仲良く登校してくるのに?」

 孝明はすーっと視線を逸らして、半ば葵に背中を向けてしまった。

 それでは「何かありました!」と告白してるのと同じだ。

「何したんですか?」

 葵が先ほどと打って変わって足を組んで大きく髪を掻き揚げる。

 それだけでがらりと変わり、中性的な雰囲気を纏う。

「まぁた子ども扱いして怒らせたんでしょ?」

 ふっと片方の口角だけを上げ小馬鹿にしたように笑う。

(先輩って絶対Sだ。女装趣味でSで二重人格だ)

「千景くぅん、心の声がダダ漏れよぉ。後で遊んであ・げ・るから、お口にチャックしてなさぁい」

「ひぃっ。ごめんなさい!!」

 葵は両目を閉じてニッコリと満面の笑顔を千景に投げつけてから、真顔(地顔?)に戻って孝明の背中に爪先を向けるように、細い脚をブラブラさせた。

「今回は・・・反省してる」

「珍しいー、で、何したんですか?」

「いえない」

 葵はにやりという文字が背後に見えそうな笑みを浮かべ、とても楽しそうだ。

「いいですよ、私は別に。ただ先生に解決できるか心配してるだけで」

 葵は再びカップを手に取ると、冷めた珈琲に口をつけた。

「先生のことが好きで、毎日保健室に通ってる子に真剣に病院での検査を勧めたり、先生に恋焦がれて食事も喉を通らなくなった新任の先生に「おめでたですか?」って満面の笑顔で聞くような、天然の超ど級の鈍感男に解決できる自信がおありなら、私はかまいませんのよ?」

(桜田先生、それはひどすぎます!僕でも助けられません!!)

 さすがに千景も助け舟をさせないほどの鈍感ぶりだ。

 温めた牛乳に珈琲を入れていた千景の手の動きが止まってしまった。

「あぁ、時子ちゃんの花嫁姿・・・見せてもらえないかもしれませんね」

 葵が大きなため息と共に、聞こえるかどうかという微妙な音量で呟く。

「出て来い!変態兄貴!!!」

「時子っ」

『バタンっ』と『ドカン』の中間くらいの音と共に扉が勢いよく開き、壁に当って跳ね返り再び音を立てて閉まった。

「ね?それまで生きていられるなんて・・・思ってらっしゃらないでしょう?」

 葵が優雅にカップに添えた右手の小指を立てた。

(先生、前門の虎、後門の狼ってこういうことなんですね)

 


 怒り狂っている時子を葵が上手く宥め(千景と孝明は追い出されていたのでどういった手段が講じられたのかは定かではないが、時子は真っ赤な顔で貧血を起こしていた)、何とか朝のティータイムとなった。

「で、何があったの?」

 葵が時子の頭を抱えるように撫でながら顔を覗き込む。

「葵先輩・・・離れてください」 

 相変わらす赤い顔をした時子が葵から目を逸らす。

「どうしてぇ?」

「どうしてって・・・」

「お嫁に行けない様な事はしてないでしょ?」

「井沢!!時子に何したんだ」

「変態呼ばわりされてるお兄様には言われたくありませんわ」

 青ざめる孝明に葵は澄まして止めを刺す。

「先生が白状なさってもいいんですのよ?時子ちゃんが私の毒牙に掛かる前にね」

 と、人差し指で時子の輪郭をすーっつ撫で、時子が身を縮こませる。

 もちろん視線は孝明から離さないままで。

(ちょっとからかう為だけにここまでするとは・・・。恐ろしい人だ・・・)

「千景!駄々漏れだって言ってるでしょ?」

「はい!すみません!!」

 孝明は諦めたように肩を落とすと、カフェ・オレを一口飲んで溜息をついた。

「ワザとじゃないって・・・」

 と、いきなり言い訳から入った。

「起こそうと思って扉を開けたら時子が着替えてただけで」

「でも、いきなり走って逃げたってことは・・・見たんでしょ?」

「背中向けてただろ?何も見てないって」

 再度、時子が講義の声を上げようと口を開きかけると、葵が顔を顰めた。

「なんだ、それだけ?面白くないの!!」

「何を想像してたんですか?」

 思わず千景が声を上げると、意味ありげで不気味な笑顔が返ってきた。



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