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戸籍を欲する女  01



 時子は急ぎ足で旧校舎に向かっていた。

 逢坂学園の無駄に広い敷地内には森と呼んだほうがよさそうな雑木林がある。

 その雑木林が実際に使われている初等部・中等部・高等部の校舎と旧校舎との間にあり、旧校舎を隔てるような立地になっている。

 そもそもこの逢坂学園自体がさる大財閥によって運営されており、代議士の娘だの医者の息子だの、辿って行けば貴族の家柄だの、家元だのとやたら頭に豪華な枕詞がつきそうな家柄の子女が多い。

 初等部、中等部、高等部とエスカレーター式になっているが、運動、勉学に限らず特出した才能に幅広く門戸を開き、自由な校風と広い敷地に十分な施設を兼ねそろえている。

 使われていないとはいえ旧校舎もどこかの貴族が昔使っていたという洋館を移築した、なかなか赴きのあるものだったりする。 

 重厚で薄暗く、それでいて胸の奥に残る懐かしい小学校を思い出す・・・、そんな旧校舎を気に入っていたが、この寒空の中、1人で森の中を歩くというのも気持ちのいいものではなく、自然と時子の足は速くなっていた。

 千景にショールを貸したままなのでコートを着ていても首筋が寒くて仕方ない。

 音楽でも聴きながら・・・と、耳にイヤフォンを突っ込もうとしたとき、背後から肩を叩かれた。

「ひぃっ」

 色気もへったくれもない声を上げて固まると、肩を叩いた人物が歩調を緩めずに時子を追い抜かしていく。

「それ、後で没収するから」

 ぼそっと呟きながら歩いていく。

千紘(チヒロ)先輩・・・」

「なに?校則違反中の八幡さん」

 立ち止まり、無表情な顔を向け最小限の唇の動きで皮肉る。

 見上げる先にはフレームの無い眼鏡の奥から何の感情も伺えない瞳。

 背中をピンと伸ばし、制服をきちんと着こなしスラックスには綺麗な折り目が入り、一日着用していたとは思えない。

 高校2年生にしては落ち着きすぎた物腰。気軽に声をかける隙が無い。

「脅かさないでください」

 時子がやっとの思いでしゃべると、千紘は眼鏡を押し上げる間、何かを考えるように口を噤んで時子の足元を見ていた。

「脅かしてはいない。勝手に驚いたのはそっち」

 と言いたい事だけを言うと、何事も無かったように背中を向ける。

(出た。氷の貴公子)

「以後気をつけます・・・」

 時子は千紘の背中を追いかけるように歩き出したが、隣に並んで歩くのも躊躇われ、影を踏むような距離を保っていた。



 彼の名前は 国枝千紘(クニエダ チヒロ)。千景が苦手(?)にしている兄だ。

 千景と時子の1学年先輩で、千景と同じ顔をしている。

 千景に眼鏡と冷淡な表情と視線を足すと千紘が出来上がる・・・と時子は思っているが本人たちに言ったら(特に千景からは全力で)否定されるだろう。

 国枝千紘、篠田千景と苗字が異なっているのは、幼い頃に別々の家に養子として引き取られたからだと聞いている。

 しかも、この学園に入るまでお互いの存在を知らなかったというのだ。

 だから、兄弟といってもまだ1年程しか同じ時間を過ごしていない。

 千景が二人きりで会うのが苦手だというのも分からなくはないのだ。

 ただでさえ接し方が分からない兄の性格がこれでは。

 


 千紘は千景と同じように容姿端麗、成績優秀の上に運動神経も悪くないらしい。

(ちなみに千景の運動神経は切れているか、存在していないらしい)

  本物の(・・・)生徒会にも立候補して欲しいと頼まれたこともあるという。

 そしてこちらには非公式のファンクラブが存在する、という噂。

 確かに同じ顔をしているとはいえ、千紘のほうがモテるだろうと時子も思う。

 氷の貴公子とあだ名されるように、冷淡でひどく気難しそうだが、笑わないことも無いのでそのギャップに打ち抜かれる・・・らしいのだ。

 しかし、好意を寄せても叩き落されるのが目に見えている気がする。

(もちろん、千紘はノーマルだろう・・・と時子は思う)

 ファンクラブの面々は相当にM属性が強いのだろう。

 恐ろしいことだ。



 姿勢よく長い足を運んでいた千紘の足が急に止まった。

「千景は?」

 顔を半分だけこちらに向けて短く問われ、時子は一瞬考えてしまった。

 昼休みのことで腹が立っていたので、声をかけられる前に教室を出てきたのだが、この冷静を絵に描いたような千紘を見ていると、その行動がひどく子供じみていた気がして、言うと馬鹿にされそうな気がした。

「さぁ・・・」

 思わず視線が彷徨ってしまった。

 千紘はそれを見逃して温かく微笑んでくれるような性格・・・のわけも無く、かと言って、取り残された弟を不憫に思う・・・様子もなく、ただ頷いてまた背中を向けた。

「時子を人質にしてれば来るだろう」

 と、独り言らしい穏やかでない一言を呟いた。

 色々見透かされた気がするが、気のせいということにした。



 旧校舎はクリーム色の壁に大きな木の両開きの扉が正面にある、中に入ると広いホールになっておりそこに下駄箱がすえられてる。

 千紘は鞄から出した大きな鍵で開けると、腕時計で時間を確認して入っていった。

 薄暗い下駄箱の間をするすると抜け、あっという間に時子の視界から消えてしまった。

「絶対わざとだ。あの雪男め」

 時子は鞄を抱え、恨めしそうに口の中で毒づいて奥へ進んでいった。

 廊下を突き当りまで進んで、階段を登り始めるのと、足音が聞こえてきたのがほぼ同時だった。

「時子黙って行くなんて酷いっ」

 荒い息を吐きながら走ってきた千景は、時子の目の前で膝に手を付いて大きく肩を動かしている。

「まだ怒ってるの?」

 泣きそうな表情でかばんを抱きしめる様子は、今から告白でもする女の子のように頼りなく、儚い。

 計算された表情だということが分からなかったら、庇護欲をそそられまくるだろう。

「・・・そういうのは効力を発揮できる人に使ったらどうですか?」」

 先ほどの千紘に向けられた視線を思い出して、ここで怒るのも大人気ないと思い直し、千景から視線を戻し、つんと顎を上げてとっとと階段を登っていく。

「ちっ、無駄使いした」

 


 時子たちが『生徒会室』と呼んでいるのは2階の中程にある図書室の準備室のことだ。

 古い本が残されたままの図書室の中を進み、小さな扉を開くと教室2つ分ほどの大きさの空間が広がっている。

 窓も大きく、部屋の隅には簡単なキッチンまで設置されている。

 千紘はそのキッチンでポットに水を入れている最中だった。

「人質が千景と一緒に登場とは・・・」

 と、これまた最小限の唇の動きで皮肉る。

「何?人質って」

 千景が小首をかしげながら邪気の無い顔で時子に尋ねるが、ここで波風を立てたくないので聞こえない振りをすることにした。



 部屋の奥には大きな天板のデスクが置かれ、そのデスクの前にロの字に組まれた机と椅子が並んでいる。

 窓の無い壁は全て本棚で埋め尽くされ、窓のある壁にも大きなソファが据えられている。

 まるで大学の研究室という雰囲気だ。

「今日のメンバーは 桜田先生(兄さん)で全員ですか?」

 時子は自分もキッチンの戸棚に入っているインスタント珈琲の粉とティーパックを出して、千紘を手伝う。

「あと、依頼人が」

 千紘の言葉に驚いた。

「依子先輩が居ないのに?」

「ああ、話は通ってる。その依頼者は時間が無いんだ」

 時間が無いという言葉に引っかかったが、黙々と出迎えの準備をする千紘の手伝いをした。

「何時の予定なんですか?」

 千紘が先ほど腕時計で時間を確かめていたのを思い出して聞いてみると、

「もう来る」

 と短い返事が返ってきた。

「時子」

「はい?」

 千紘の声に振り返ると、掌が差し出されていた。

 咄嗟にその掌の上に、自分の掌を乗せ掛けて辛うじてストップをかけた。

「何ですか?」

「没収」

「今ですか?」

 千紘は表情を全く動かさずに頷く。

「千紘さんだって携帯電話は校内では使用禁止です」

 昼休みに千景が千紘に電話をかけたことをブツブツと非難してみると、千紘は眉を顰めた。

 そして、時子の遠く背後にいる千景に鋭い視線を投げかけた。

 時子も釣られて背後を見ると、千景がカーテンに包まって身を隠している。

「携帯電話とはどういうことかな?携帯の電源は必要時以外は切っている上に、今日はまだ使用していない」

 再び視線を時子に戻して千紘が口を開いた。

 珍しく長い会話だ。

「昼休みに千景さんが千紘さんに電話したんです。私も生徒会室に行くことになったからって」

 時子はゆっくりと体ごと千景に向くと、腕を組んで口角を上げた。

「で・す・よ・ね。千景さん」

 カーテンが半周した。

 どうやらこちらに背中を向けたようだ。

 時子が腕まくりをしながらカーテンに近寄ろうとしたとき、床に大きな衝撃が走った。

 先ほどまで何も無かった時子の数歩前に長身の男性が立っている。 

 そして、その腕に支えられるようにして、漆黒のコートを着た華奢な体つきの女性が立っている。

「帰ったぞ」

 太い男性の声。時子の兄の 桜田孝明(サクラダ コウメイ)だ。

「あ、大丈夫ですか?」

 孝明がコートを翻して崩れるように座り込んだ華奢な影を支える。

「千紘、水」

 短く言うのと、倒れかけた影と時子の視線が合ったのが同時だった。

 吸い込まれそうな青い瞳。

 その女性の姿を見ているにも拘らず、時子が強く意識したのはその瞳だけだった。

 女性は千紘の差し出したコップを両手で受け取ると、一気に飲み干した。

 しかし、手が震えるのか半分ほどを零してしまっている。

 時子はポケットからハンカチを出して差し出した。

「彼女が依頼人だ。戸籍が欲しいらしい」

 孝明は女性の変わりにハンカチを受け取りながら説明した。

「戸籍?」





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