ミニマリストVS汚部屋のお姉さん
隣人の瀬名美月さんの部屋──そこはまさに正真正銘の汚部屋だった。
足の踏み場はほぼない。床には服や雑誌が散乱し、テーブルの上には空のペットボトルが並んでいる。
唯一の生活スペースらしきベッドも、服の山に埋もれていた。
「……何処から手をつけるの?」
ひなたは目を丸くしている。
いつもクールでスタイリッシュな美月さんが、まさかこんな空間で生活していたとは。今でも信じられんな。
「……だから助けを求めたんだ」
美月さんは誇るように腕を組んだ。
「私、一回散らかり始めると止まらなくてな。片付けようとは思うんだが、どうしても手がつけられない」
「つまり、捨てられない病ってやつですね?」
「そうとも言う」
「いや、開き直らないでくださいよ……」
俺はため息をついた。
ミニマリストの俺にとって、この部屋はもはや異世界だ。
「じゃあ、早速片付けるぞ」
「よろしく頼む」
――さあ、掃除開始だ!
「とりあえず、床を見えるようにしよう」
「じゃあ、私は服をまとめるね〜」
「私は雑誌を整理する」
それぞれ作業に取り掛かる。
俺はペットボトルを回収し、ひなたは服を仕分け、美月さんは雑誌の山をチェックし始めた。
「……ん?」
俺はペットボトルの中に、カラカラと音を立てる何かが入っているのに気づいた。
「これ、中に何か入ってますけど……」
「あ、それ捨てないで」
「なんでです?」
「なんか、ペットボトルの中にコイン入れると貯金になるらしいって聞いて」
「入れただけで使えてないなら意味ないですよね?」
「でも、いつか貯まる日がくるかもしれないし」
「いつかは来ない」
俺は断言した。
美月さんは少し悩んだ後、「……まぁ、確かに」と渋々手放した。
「よし、この調子でどんどん捨てましょう」
「ちょ、ちょっと待て」
雑誌を整理していた美月さんが俺を制止する。
「この雑誌は……捨てられない」
「なんでです?」
「このページの特集、あとで読みたいと思ってたんだ」
「いつ読むんですか?」
「……そのうち」
「そのうちは来ない」
またもや断言。
「でも、せっかく買ったし」
「必要な部分だけ切り抜けばいいじゃないですか」
「そうか……でも、全部切り抜きたいページだったら?」
「それ、つまり読まないやつですよね?」
「……」
「ほら、捨てましょう」
「うぅ……」
美月さんは未練がましく雑誌を見つめたが、最終的に諦めてゴミ袋に入れた。
俺はその後はとりあえずペットボトルや紙屑などの明らかなゴミをゴミ袋に詰めていく。
「ん?」
床の端っこに何か布が落ちている。
拾い上げると、それは──薄いピンク色のシルクっぽい生地のパンツだった。
「…………」
俺は無言でそれを摘み上げた。
「……やっぱりこうなるのか」
ひなたと美月さんも、俺の手元を見つめて固まる。
「颯斗、それ、どうするつもり?」
「俺に聞くな」
「……それ、私のだな」
美月さんが腕を組みながら、冷静に言った。
「でしょうね」
「なんで床に落ちてるんだ?」
「美月さんが脱ぎ散らかしてたからでは?」
「まあ、そうだな」
美月さんは微妙に首を傾げながら、俺の手元のパンツをじっと見つめる。
「で、お前はいつまでそれを持っているつもりだ?」
「美月さんが回収するまでです」
「なるほど」
美月さんは俺の手からパンツをひょいと取り上げると、そのまま無造作に洗濯物の山へ放り込んだ。
「さあ、片付けを続けましょう」
「いや、お前もうちょっと何か……私も歳上とはいえまだまだ若い女なんだぞ……そう無反応だと……」
「何か?」
「……いや、何でもない」
俺は無駄なことを言うのはやめ、再び掃除に集中することにした。
「ねぇ、颯斗?」
「何だよ?」
「どうしてそんなに”腰を曲げて”いるの?」
「……マゲテナイヨ」
美月さんは僕に冷たい視線を向けて言う。
「ふん、所詮はお猿さんか」
少し嬉しそうなのは気のせいだろうか?
「どういう意味ですか!?」
「あ、ブラも落ちてますよ」
ガラクタの中からひなたが白いブラジャーを拾い上げる。
「それ、そんなところにあったのか」
「颯斗、見てみて70の95だって、しかも颯斗が好きな純白だよ」
「さっさとしまえ」
「でも颯斗、ブラはあんまり興味ないんだよね? ブラ”は”一回も盗まれてないし」
「颯斗……お前……」
美月さんは再び冷たい視線を俺に向けた。まるでゴミを見るような目である。
「ち、違います! 俺は下着泥棒なんかじゃありません!」
「本当のゴミはお前だったのか」
「流石に酷すぎる……」
「あ! ブラとお揃いの純白パンツも落ちてる! ほらほら!」
ひなたは大人っぽいデザインの真っ白なパンツを僕の前にぶらつかせる。
「おい、バカ! 辞めろ!」
「おやぁ? おやおや? 膝に手をついてどうしたのかなぁ? さっきよりも"腰"が曲がってるよ? 何かお腹の辺りに隠しているのかにゃ〜?」
「……僕ちょっと、トイレ」
俺は膝に手をついたまま、お腹を丸めて、自室のトイレに向かおうとするが、ひなたが俺の肩に手を置く。
「逃げるな?」
なんか知らんが今日のひなたはいつもより意地が悪い。どうやら怒っているらしい……。
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紆余曲折。色々あったが、だいぶ片付いた。
「さて、残るはこの謎の箱ですね」
「……それは捨てられない」
「何が入ってるんですか?」
「色々」
「色々って?」
ひなたが呆れたような声を出す。
「颯斗には女の子の秘密って概念がないんだよね〜」
「……昔の手紙とか、思い出の品とか」
「なるほど。思い出ボックスですね」
捨てられない人の典型だ。
「とりあえず、中身を整理しましょう」
美月さんが床に座って、その箱を開けると、中には古いチケットの半券や、よく分からないガチャガチャのフィギュアが詰まっていた。
「これ、全部大事なんですか?」
「……うん」
「思い出は物じゃなくて、心の中に残るものですよ」
「……そう、かもしれない……だが……」
「だが? 何ですか?」
「でも、これを捨てたら心の中の思い出も消えそうで……」
「なら、写真に撮ってデータで残せばいいんじゃないですか?」
「……しかし」
眉を寄せて困り顔を浮かべる美月さん。
その時、Tシャツの袖が引っ張られた。ひなたが俺の耳に口を近づけて、小声で話す。
「颯斗が私の純白パンツを捨てられないように、美月さんにも残しておきたいものはあるんだよ」
「……お前、俺に何か恨みでもあるのか?」
「ないあるよ?」
「どっちだよ!?」
う〜む、しかし一理ある。美月さんは別にミニマリストになりたい訳ではないだろう。部屋をある程度綺麗にすれば満足なはずだ。……なら、まあいいか。
「いや、それは大丈夫です。残しておいてもいいでしょう」
「……お前にも人の心があったんだな。安心したよ。お礼にあのパンツは君にあげよう」
「……い、い、いりません」
「遠慮するな」
「……遠慮します」
「黒い方が好みか?」
美月さんはポケットから黒いパンツを取り出した。何でポケットにそんなものがあるんだ……。
「いえ、颯斗は黒いパンツ"は"盗みませんよ!」
「辞めろい!」
――掃除終了。
数時間後。
「すごい……! ちゃんと部屋が広くなってる!」
「久しぶりに床が見えた気がする……」
「これがミニマリストの力ですよ」
俺は得意げに言った。
美月さんはしみじみと部屋を見渡しながら、少し笑ったように見えた。
「助かったよ。ありがとうな」
「どういたしまして」
「でもさ、颯斗」
「ん?」
「これで終わりじゃないよね?」
「は?」
「だって、掃除って継続が大事でしょ?」
「……まあ」
「また定期的に手伝って欲しい」
「嫌です」
「そう言うな。金は払うし、パンツもやるから」
「……分かりました」
「お前、そんなにパンツが好きなのか?」
「違います! パンツは入りません。バイトとしてならやりますってことです!」
「ふむ。助かる。ほら、今日のバイト代だ」
美月さんは5千円札を俺たちに渡した。時給1000円といった所だろう。
「え? 私もいいんですか!?」
「当然だ」
「やった! 颯斗お寿司食べに行こう! お寿司」
「すぐ金を使うの辞めろ」
ひなたは五千円をもらって大はしゃぎする。こういうところはまだまだ子供っぽい。
「よければ私が料理を作ろう」
「……遠慮します」
部屋が汚い人は料理も不味そうだ。
「大丈夫。料理には自信があるんだよ」
本当に?
「いいじゃん。颯斗、ご馳走になろうよ」
「何事も挑戦か……」
「……失礼な奴だな、全く」
こうして、ミニマリスト俺VS汚部屋のお姉さんとの戦いは、一旦の決着を見た。
……が、また戦いの日は近々やってくるのかもしれない。まあ、バイトが見つかってよかった。
^_^