第十九話「覚醒」sideロマネ・ドメーヌ
腰の付け根がものすごく痛い。
ロマネは空を飛びながら、改めて空を飛んだことを後悔していた。
普段使わない、いや出来立ての筋肉を無理やり使ったのだ。それはそうなって当然であった。
(もう少し、もう少し距離を作らないと――)
リザードマンになって広がった視野を駆使して後方を確認する。
国の城壁から魔物の群れと、立ち上がる土煙。
(あのドラゴンから聞いた話の通り。魔物たちは匂い……いや、なにかしらの方法で私の位置が分かるのね)
このまま王国から離れれば、王国から魔物を引き離せる。
ロマネはあともう一息と羽根を動かし、空を翔けた。
この速度で一日ほど飛び続ければ、平原か、魔界との境界になっている森に到達できる。
そこまで引きはなせれば、王国は助かる。民を守ることができる。
「嘘……」
だが、その目論見が甘かったと、ロマネは己の不覚を悟った。
平原への道の先、大地を揺らす魔物の大群がそこにあった。
ドラゴン、オーガ、トレント、ゴーレム、普段は群れることの無い奥地に生息しているといわれている魔物まで、確認ができる。
(まさかこんなに魔物が集まっているなんて)
ここで仮に自分が殺されてもこの大群は魔界方面に引き返すだろうか。
いや、そうなると考えるのはあまりに楽観的だ。
仮に群れがこの場でチリヂリになっても、ここはまだ王国の領地のそばだ。
(まとめて、もっと別の場所にひきつけないと)
考えをまとめたロマネは、方向を変えようと体を傾ける。
だが、ぞわりと悪寒が彼女を襲う。
(なに?)
突然の予感に気を散らしてしまったことが、ロマネの失敗であった。
次の瞬間、軽い衝撃がロマネを襲った。
「くっ!?」
まるで空気の塊をぶつかったような衝撃。
魔物たちがロマネに気が付き、一斉に咆哮を上げたのだと理解したときにはロマネは自身の制御を失っていた。
瞬く間に迫る地面。
それに対し、ロマネは身を丸め身構える。
リザードマンの特性で、人よりも数倍頑丈になった。
剣さえも折ることができた自分の鱗を信じ、ロマネは地面に身を落とした。
「どうにか、大丈夫……じゃないか」
すぐさま動かなければとロマネは立ち上がる。
落ちたときに変に曲げてしまったのか、羽根には痛みが走り、もう動かすことができない。
(もう、ダメかもしれない……でも)
まだ少し、平原の魔物の群れとの距離がある。
少しでも王国から離れれば――。
地響きが聞こえ始めてくる中、ロマネは懸命に足を動かす。
「ロマネ様ーー!!」
声が聞こえた。
ロマネが意識をそちらにやると、馬にまたがったレブレサンドとその後ろにミュスカの姿が見える。
「二人とも……」
「ロマネ様ー!! 聞いてください。シグラス王は死ん―――――」
唐突だった。
まだ距離があったと思われた魔物の群れにロマネは、レブレサンドは、ミュスカは飲み込まれた。
(陛下が死んだ? 死んでしまった?)
魔物の群れにもみくちゃにされ、牙が、爪が、ロマネの肩に、腹に、腕に、足に、しっぽに、瞳に、いたるところに食い込んでくる。
すべてロマネの命を奪おうと振るわれたものだが、絶命させるに至らず、むしろ痛みがロマネの意識を鮮明にさせていく。
(―――――)
視界が赤く染まる。
血ではない。それは走馬灯に似た幻覚。
シグラス王は言った。
『君を妃として迎えたい。その心と体を、私とこの国にいただけないだろうか?』
なぜ、あの時、あの青年はロマネに同意をもとめてきたのか?
王である彼が望めば、誰も拒否などできない。
もちろんあの時は実家の領地が流行り病に侵されて、それを立て直すために拒否するなどという選択肢はなかった。
だからと言って、最後は私の意思を確認してくれた。
シグラスは優しい人なのだ。それなのに――。
(陛下を、殺した。こいつらが――――この魔物たちが――――!)
ドクンと胸から闇がどろりとあふれてくる錯覚に陥った。
泥のように甘いものが体を巡ってくる感覚。
それは、すべての願いがかなえられると錯覚する全能感。
(こいつらを薙ぎ払う腕を―――!!)
とたんロマネの右腕が膨れ上がり、巨大化し、自由になった。
魔物が群がっていることも構わず、軽い気持ちで振り払う。
なんの手ごたえもなく、魔物たちが消し飛び、視界が開かれる。
「全部、全部、壊す……!
お前たちだけは! いやお前たちだけではない王を苦しめた全てを!!」
ロマネは叫んだ。
その姿は異形、体を覆う鱗は赤く輝き、眼光は怒りと絶望であふれ、膨れ上がった右腕には触れたものをすべて切り裂くべくして作られた巨大な鎌のような爪が備わっている。
「消えてしまえ!!」
息を吸い、怒りのままに吐き出した。
爆発音が響き、熱風が周囲を吹き飛ばす。
超高温度のブレスにより、ロマネを囲んでいた魔物の群れの一角が声もなく消し飛んだ。
「もう、人に忌まれるラスボスでもいい!! 全部、死ね!!」