第一話「婚約破棄キャンセル」sideロマネ・ドメーヌ
この小説はくすくす笑ってもらうことを目標に書いている小説です。
良かったらくすくす笑っていただけると幸いです。
また、三人称の群像劇の形式を採用しており、
各話ごとにキャラクターの視点が変わったり変わらなかったりします。
ではゆっくりと国が亡ぶ様をお楽しみください。
「私、シグラスは、我が婚約者ロマネとの婚約破棄は『しない』と宣言する」
(そ、そんな。どうしてーー)
壇上に立つ、青年王シグラスの宣言に、彼の隣に静かに佇んでいた婚約者のロマネは崩れ落ちた。
「何を言っているのだ、あのお方は。それでは、いや、もう終わりだ。この国は――……」
彼の言葉に、集まった貴族たちがどよめき、会場に動揺が広がっていく。
そんな混乱した会場を代表するように、小太りの男が一歩前壇上に近づいた。
彼の名はバース。この国の宰相であり、先代の国王からシグラスを任されたご意見役である。
周囲の貴族たちは、バースに期待の眼差しを向け、この混沌とした場の想いの代弁を求めた。
「恐れながら申します、陛下」
「どうしたバース」
「その、陛下。今なんと? この会は婚約破棄を宣言するためのものではなかったのですか?」
「バカを言うでない!」
そう言いシグラスはロマネの手を引き、皆が見える位置へと引き寄せ、喧嘩上等と貴族たちに吠え散らかした。
「見よ、この愛らしい瞳、瞬膜、そして整った顔立ち、匠の装飾品さえ見劣りする全身を覆う竜の鱗、そして国を支えるのにふさわしい聡明な頭脳と清らかな心、私の婚約者になんの文句があろうか!」
ロマネは胸の内で頭を抱えた。
彼女は本が好きなだけの、貧しい田舎町の領主の娘だ。
それを何の因果か青年王シグラスに見初められ、婚約。ゆくゆくは結婚し、王妃となる予定であった。
田舎町の領主の娘として、これは手放しで喜ぶべき事態だ。
だがその喜びは、一週間前、何の前触れもなく泡沫の夢となってしまった――。
「ですが彼女はリザードマンですぞ」
「リザードマンだからだっ!」
そう、一週間前、ロマネの体は突如、魔物のものへと変容してしまったのだ。
鼻が犬のように伸び、彼女の赤味を帯びたブラウンの瞳は前ではなく左右を見るように位置を変えた。
髪は抜け落ち、その代わりといわんばかりに鱗が、顔や頭を覆う。
体の線の細さはさほど変わることはなかったが、その体にもびっしりと鱗が生え、腰からは体を支えるように大きなトカゲのしっぽが生えている。
まごうことなきリザードマンの姿であった。
どうしてそうなったのか原因は掴めず、王宮の魔術師たちも解呪できない強力な呪いだということ以外はなにも分からないでいる。
ここでの生活が恵まれていた分、神様が帳尻を合わせたのかもしれない。
ロマネはそんなシニカルな想いを胸に、ゆるりとシグラスの手を振りほどいた。
それは訓練された優雅な動きであったが、魔物であるリザードマンが行うと不気味さが先立つ。
彼女の動きに呼応し、会場の貴族たちが一斉に身構え、場内の警備兵たちが一斉に槍を構えた。
(私をかばってくれる陛下の気持ちは嬉しいのですが……ですが、ここはきちんと言わなければ。この国のためにも)
会場の皆々が思わず身構えたのをみて、心が折れかけたロマネであったが、この国のためにと折れた心を無理やり立て直しシグラスから一歩距離を取った。
「陛下」
地に響きそうな低い声だった。
自分の声に特段愛着はなかったロマネだったが、変容した自分を突きつけられるようで、苦しそうに顔を歪めた。
ここで殺されても仕方がない。
魔物を妻として迎え入れるなど、今後どのようなトラブルに見舞われるのか。
国を憂い、シグラスを想い、ロマネは言葉を続けた。
「私との、結婚を考え直してください」
その言葉に青年王シグラスは笑顔で膝から崩れ、まるで神にでもすがるように、搾り上げるような声で呻いた。
「か、カワイイ……! 素晴らしいが過ぎる! 私の婚約者は最高かよ」
「あー、あの、陛下?」
ロマネは何と言っていいのか、シグラスの様子に困惑し、先程シグラスとやりやっていたバースに助け舟を求める視線を送った。
だがバースも頭を抱え、首を横に振るばかりであった。
その後、なんとか持ち直したシグラスは改めて婚約破棄をしない、彼女と結婚するのだと貴族一同に宣言し、この会はお開きとなった。
数時間後――。
お開きになった会場を後にしたロマネとシグラスは城の一角に用意されたラウンジに来ていた。
質素な風にまとめられた部屋には意匠を凝らした丁寧な造りのテーブル。
そのテーブルをはさみ、ロマネは青年王シグラスに向き合った。
「陛下、どうしてですか」
青年王シグラスはその二つ名の通り、若くして王の座に身を置く青年だ。
その姿は一言で言ってしまえばイケメンである。
瞳は磨かれた翡翠のように煌めき、金色の髪は隙も無く整えられている。
すっと通った鼻梁に、引き締まった顔立ちは芸術品のようだと評されるほどに人々の目を奪う。
すらりとた体躯も合わさり、面食いの貴族の女性たちから黄色い声を浴びること幾星霜。
さらに隙の無いことに文武における才は共に高く、本人の努力もあり、国を支える王として申し分のない人物であった。
「どうしてとは?」
魔物声で語気を荒げるロマネに対し、シグラスはきょとんとした顔で首を傾げる。
ああ、もう顔が良い。思わず丸め込まれそうな自分を叱咤し、ロマネは言葉を続けた。
「婚約破棄をなされなかった件です」
「それはあの場でもいった通りだ。君が愛らしくて最高だからだ」
「さ、さい……はぁ!?」
きらりと、名家の貴婦人たちを卒倒させてきた甘い笑みを浮かべるシグラスに、ロマネは別の意味でめまいを覚えた。
ロマネが案じているのは、好きとか、嫌いとか、そういう次元の問題ではないのだ。
今、シグラスの国は、魔物たちの侵略に晒されている。
そんな状況で魔物と人間が結婚をするだなんて、背信行為といいところだ。気が狂ったといわれても仕方がないだろう。いやむしろいついかなる時でも思われるに違いない。
このまま事が進めば国民がどう思うのか、それは先ほどの会見の場にいた貴族や護衛たちの反応を見れば一目瞭然だ。
絶対に国が傾く。貴族の忠誠が離れ、政策が滞り、国という組織が死んでしまう。
(それを、このお方は――――!)
「あなた様の目は節穴ですか!」
あまりに素っ頓狂なことをいうシグラスに、ロマネは相手が王であることも忘れ、叫んだ。
声を上げるために腹に力を入れてしまい、それが引き金で、体内のガス袋が収縮、節穴の「し」の字で歯と歯が強くあたり火花が発生、引火、「ですか」の「か」の字あたりで放射、つまるところうっかり火を吐き出してしまった。
「あっ!?」
迫る火の手、しかしシグラスは微動だにせず、ロマネの火を顔面で受けた。
「うーん、なかなかの火加減」
こんがりと焼けながらも笑顔を崩さないその姿は、それはもう偉大な王であった。
「し、失礼しました。力が入るとつい」
「いや、気にしなくていい。苦しゅうない」
「はあ……それで、本当に婚約破棄はなさらないのですか? 私リザードマンですよ」
「ああ、ノーキャンセルだ」
「じゃあせめて人間の方に、チェンジはされませんか? 畏れながら、魔物と結婚なんてしたら本当に国が傾きますよ」
「ノーチェンジで」
それはそれで潔い返事ではあるが、それだけにロマネは頭を抱えた。
(このお方が何を思っているのか本当に分からない)
そもそもが、若いとは言え一国の主が、地方領主の娘と結婚すると言い出したことが不可解なのだ。
最初は愛人といちゃつくための隠れ蓑とか、防波堤とか、お飾りとか、そういう感じの戦略的な結婚だとロマネは思っていたのが、シグラスには愛人のたぐいは噂は影も形も出てこない。
婚約者のロマネからしても、この青年王はまったくもってつかみどころがないのだ。
「陛下、本当に何をお考えなのですか」
「何を、と言われても」
はははと困ったように微笑むシグラス。
光を纏うようなまぶしい笑みにロマネは怯み、一瞬口をつぐんでしまった。
それでも、ここで彼の無茶苦茶を通してしまえば、ほぼ確定でこの国が大変なことになってしまう。
ロマネはそれを防止すべく次の言葉を紡ごうと口を開いた。
「しかしそれでは――――」
だが、彼女が言葉に割り込むように、火を放たれたような慌てぶりの兵士たちが、ラウンジに飛び込んできた。
「お休みのところ申し訳ありません。た、たた、大変です陛下! 城の訓練場に巨大なドラゴンが!」
兵士の報告にガタンと席を立つシグラス。
ドラゴンはこの国の北の山脈に住む巨大な翼をもつ魔物だ。
リザードマンの祖ともされ、体は鋼の鱗に包まれ、火、あるいは酸や、冷気などきわめて危険な攻撃手段を有している。
「なんだと!! すぐに向かう! すまないがロマネ、話はまた後で―――!」
そんな危険な魔物が突如としてこの国に襲来してきたのだ。
即座に行動に移るシグラスはまさに王であった。
(あの、もしかして、陛下?)
ただ、ロマネは見逃さなかった。
ドラゴンと聞いて、子供の様にキラキラと目を輝かせたシグラスを。