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Ending

これにて終幕です。


 そんなこんなで、ウィンと私の婚約は継続されることになった。未だに何が起きたか良く判らない。私は今日、彼を綺麗さっぱり解放し、相愛のご令嬢との行く末を心から祝福する気満々でいたのだが、それが何故こんな事に。


 私の太い腰にガッシリと腕を回し、何があろうと離さないと言わんばかりの暑苦しいエスコートをしてくるこの男は、いったい誰なのか。こんな男、私は知らない。ウィンストン・カーバンクルというのは、何と言うかもっと素っ気なく、滅多な事では笑わず、ろくすっぽ喋りもしない、ぶっきらぼうの権化みたいな男だったと記憶しているのだが。


「それはさあ、貴女はびっくりしたかも知れないけれども、これは前からこんな男だよ」


 ドミニク殿下は、大変に人の悪い笑顔でそう仰った。


 お披露目会も、今や終盤を迎えていた。


 私がウィンの部屋で進退窮まっている間に、広間に美しくディスプレイされていたボトリング済の果汁は見事完売。どころか続々と予約発注が掛かり、収拾がつかなくなって最終的には抽選販売になったそうだ。流石にワインよりは安価だとは言え、王妃殿下のお気に入りである事を密かに、だがしっかりと宣伝活用した我が家のふたりのマイダス王(何でもカネにする)、父と兄が強気の値付けをしていたから、相当な売上金額になったことだろう。


 だからこのお披露目会は、カーバンクルにとっては大変にめでたい大成功なのだけれども、私個人にとっては、引き回しのち晒し首の憂き目に遭わされた会、であるような気がしないでもない。


 庭園での不穏な一幕から引き続き、不特定多数の好奇の視線を浴びながらウィンに引き摺られて離席したのも大概だったが、その後、どうにかこうにか身なりを整えなおして降りて来てからの方がずっと大変だった。私とウィンは、未だ熱気冷めやらぬ会場を揃って回遊せねばならなかったのだ。


 これがまた今までの不仲の噂は何だったのかという親密ぶりを万座に晒す結果となってしまって、生温い目で見られるわ揶揄されるわで、私は激しい羞恥と冷や汗に塗れた。祝福され、あからさまに大事にして貰って嬉しくないとは言わないが、何事にも限度というものがある筈だ。


 ウィンの纏う熱量たるや、今までとは差がありすぎて、身が細るほど居た堪れなかった。痩せないけど。


「うん、でも、貴女の顔色が明るくなって良かったよ。私が此処に来たときのアッシュベリー嬢の顔ったら無かったからね」


 殿下は優しく微笑んで、手を伸ばして私の頬をふんわり撫でた。


「人の婚約者にみだりに触らないで下さい」


「ウィ、ウィン。畏れ多くも王子殿下に何を」


 仏頂面で殿下の手を叩き落とすとか、本気で不敬罪を心配しなければならないようなことはやめて欲しい。殿下はげらげら笑っておられるが、全く笑い事ではない。


 おろおろする私に向かい、ほら言った通りでしょ、と仰りながら、殿下はご自身の目元を指先で払った。


「あー可笑しい。牽制すること犬の如し。過ぎた独占欲は嫌われる元だぞウィンストン」


「何とでも仰って下さい。ジェンはその位では離れていきませんし、離しません」


「はー。開き直った朴念仁は怖いねえ」


 殿下の軽口にウィンはむっつりと唇を結び、おもむろに私の頬をもちもちと弄んだかと思ったら、ふにゃりと相好を崩した。

 ……誰、これ。何度目とも知れない疑問が再び私の頭をよぎる。誰よこれ、ほんとに。


「面白いから当分これで遊んでやろう。ははは、睨んでも無駄だ、ああ楽しみだなあ。だがそれはそれとして、アッシュベリー嬢、貴女の憂いが晴れたことは、私は素直に良かったと思うよ」


 ドミニク殿下は、とても優しい目で私を見た。


「ずっと不安だったでしょ? 陰でいろいろ不愉快な噂を立てられて、体当たりで嫌がらせしてくる輩も沸いて、この朴念仁は助けてくれるどころか貴女の不安を助長する始末。それでも貴女はウィンストンと彼の家の為に心を砕いて尽くし続けてきた訳だ」


 そう仰って頂くと気持ちがほっこりしたが、改めてひとの口から聞くと結構な酷い話でもあった。しかしこの方は言ってもいない事まで何でも良くご存じだなあ。王家に隠し事は出来ないとはこういう事か。


「最近は特に酷かった。……酷かったんだよウィンストン。私を睨むなよ、その前に自省しろ。それでねアッシュベリー嬢、だけどさ、どんな夜でも必ず明けるし、いちばん暗いのは夜明け前って言うじゃない」


 悪戯っぽく、殿下は笑った。


「おめでとう。貴女の夜は明けた」


「……はい」


「あとはきっと明るい日の方が多いだろうから、元気に歩いて幸せになって。―――たださあ」


「……はい?」


 折に触れ慰めて下さり、畏れ多くも時には愚痴すら聞いて下さっていた殿下にとても優しく寿いで頂いて、流石の子豚も柄にもなくちょっとうるっとしかけていたのだが、突如、お声に不穏な響きが混じり込んだのは何だろう。


「明るすぎるとさあ、今度は影が濃くなるから。それはそれで気を付けてね」


「あの、それは―――どういう」


 殿下の視線は、真っ直ぐ私の喉元に注がれていた。


 喉元。

 そこには、ウィンがくれた矢車菊のネックレスが再び掛かっている。ウィンの部屋を出る時に、彼が改めて掛けてくれたのだ。


 金の細い鎖に飛び飛びの矢車菊。小さいけれども上質なサファイアのパヴェで(かたど)られた花は全部で五個。その真ん中のひとつから、今までは無かった、ごく短い鎖が伸びている。


 足された鎖の先端には、小指の爪より少し小さいくらいのオーバルカットのサファイアが、細い細い爪に抱かれて揺れている。ウィンの瞳にそっくりな、コーンフラワーブルーのサファイアだ。


 ―――いきなりこのパーツを出して来て、足してくれた時には驚いた。いや、確かにこのパヴェで出来た花の裏側には、転び止めにしては不思議な、良く判らない突起やフックに見えるものが付いているなあとは思っていたのだが。


 それがまさか、後からパーツを足してデザインを変化させていく為の物だとは。


 卒業時に使える予算では本体を誂えるのが精一杯だった、これからどんどん揃えていこう、今回は普段遣い用だからこんな小さい石だけど結婚式の時までにもっと大きいので云々とか、でろでろの笑顔で言いながら手ずから着けてくれ、矯めつ眇めつして満足そうに眺めていたウィンが脳裏を横切り、どういう訳だか首の後ろがそそけ立つ。


 えっ、ちょっと待って。何か嫌な予感と言うか、えっ、これ何、まさか。


「良く似合ってる、その独占欲の塊(首輪)。―――頑張ってね」


「ちょ」


「何を殿下に御心配頂くような事があると? 確かに我が家にとってはジェンは太陽であり、豊穣と繁栄の女神です。一生、大事に囲い込むに決まってるでしょう」


「うわー厭だ。怖すぎない? 本当にお大事にね、アッシュベリー嬢」


「お大事にって何ですか!?」


 背後からがっしりと抱え込まれて身動きが取れない。

 そんな私にひらりと手を振り、思わせ振りな含み笑いを残して殿下はお帰りになってしまった。


「あの、ウィン。これってその」


 俄かに重みが増した気がするネックレスが恐ろしい。見たことないくらい綺麗に笑っているウィンも怖い。


「本当に似合ってる。これからもずっと外さないで」


 いや、単に大事にしろという事だと判りはするが、その言い方だと、ええっ、まさか私がほぼ着けっぱなしにしていた事を知っているわけではないですよね? だって、言ったことないもの。手紙に書いたことだって無い筈だ。それなのに何故だろう、意味深長な笑顔に背筋が冷える。


「ジェン?」


 ああ、だけど、やっぱりウィンが好きだ。ぶっきらぼうで素っ気なかった時でも、ものすごく優しい目をしてくれる瞬間はあった。見間違い? と思うくらいの刹那だったし、どんな時でも遠巻きなエスコートでしか触れ合う事も無かったけれど。

 それでも、邪魔なヒヨコだった筈の幼い私の顔に付いた泥を払って、脱げかけていた帽子を直してくれた時のあの笑顔がどうしても忘れられなくて、心に残って、結局、ずっと私は彼に囚われているのだ。


 ―――それこそ、もしかして嫁いだ暁には文字通り囲い込まれ、カーバンクル家の奥深くに仕舞い込まれるのではなかろうかという懸念が否定しきれない今でさえ、まあこの人が笑って傍に居てくれるなら良いか、あとは本さえ与えてくれるなら、だなどと頭が湧いたような事を考えてしまうくらいには。


 返事をしない私に、ウィンは何処となく狼狽えている。ちょっと黙っていただけなのに、不安げな瞳で私の手を取って、―――いや、揉むのは止めて頂けませんか。うっとりしないで。ちょ、腕までは駄目だ。ぷにぷにしてるとか口に出さないで!


「両親の処に行きましょう!」

 

 ペしぺし叩いてウィンの手を振り払って、私は、彼方でにやにやしている父と、その隣で呆れかえっている母を指さした。人を指すのは行儀が悪いとか、そんな事を言っている場合ではない。


「―――人前でいちゃつくのは不謹慎だと怒られに?」


 自覚があるなら即刻やめて頂きたい。


「それもありますが、私、早々と婚約解消の赦しを貰ってしまっているので、多分このままだと話が進」


「早く言ってくれ!?」


 ウィンは私の言葉をぶった切った。がしっと私の手を掴み直すや、私を引き摺る勢いで一直線に両親の元へと向かっていく。殿下が帰った後で良かった、また混ぜ返される処だったなどとぶつぶつ呟きながら。


 歩くごとに揺れるサファイアが、肌を優しく叩くのが擽ったい。自分からは見えないけれども確かにそこに在るのが判る。

 一歩ごとに、今まで全然見せてくれなかったウィンの気持ちが、想いの結晶が此処に在ると主張してくるのが、―――知らないうちに彼の何処かが捻じれてしまった気はするけれども、それでもとても幸せに感じるあたり、私も大概かも知れない。


 だからこそ。


 ジェニファ・アッシュベリーとウィンストン・カーバンクルの婚約は政略であり、そこには欠片ほどの愛も無いだなんて、これからは誰にも言わせたくない。


 私はウィンの手をぎゅっと握り返して、彼と足並みを揃えるべく、大きく一歩を踏み出した。



 

 <了>


最後までお付き合い下さいまして、ありがとうございました。


誤解から始まる婚約解消といざこざが収まるべきところに収まるまで、何番煎じかというお決まりですが、どうしても書きたかったのです。楽しゅうございました。ただウィンストンは当初こんな男のつもりではなく、何だろう、書いているうちに煩悩しかない大バカ者になってしまいました。おかしいなあ。ジェンは大して気にしてなさそうなので良いですが……。


以下、蛇足な補足です。


青い矢車菊の花言葉は、繊細、優美、信頼など。その美しい花の色は、昔から高品質のブルーサファイアの形容に使われています。

そしてブルーサファイアの宝石言葉は、慈愛・誠実・忠実・真実。何処までくどいかウィンストン(笑)

現実世界の日本でも、サムシングブルーとして、結婚指輪の内側に入れたりしてましたが、あれって今でもやってるんでしょうか。最近の業界はサッパリなのですが、ひところは流行ってました。

パヴェ・セッティングというのは、細かい宝石を地金の上に石畳のようにちりばめる技法の事です。石留の爪を出来るだけ目立たせずに、みっちりとセッティングしていくのですが、ハイジュエラーの物は本当に涎が出る程に美しいです。目が潰れる程の技術の粋ですので、美術展などでご覧になれる機会に是非。


お読みくださいましたこと、重ねまして御礼申し上げます。






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