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飛べない堕天使、宙を翔ける。  作者: 笹 加奈
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断罪の崖

 トレントの背中に乗って瞬く間に、到着した市場では束の間の楽しい時間をメルはトレントと共に過ごした。かねてより一度は他のクラスの子たちのようにしてみたいと思っていた、お菓子の食べ歩きもすることが出来た。しかし、クリームをふんだんに用いたお菓子を食べようと意気揚々とその目星をつけていたお店に乗り込むも、あまりに急いで出かける支度をして飛び出して来たため、メルは財布を忘れていたことにお金を払うときになって気づいたことは飛べないことをクラスの子に笑われたことときと同じぐらい顔が真っ赤になったハプニングがあったことを触れておこう。

 「トレント!私こんなに楽しかったのはお母様が居なくなってからは初めてかも!」

市場から戻る帰りの途中、来た時と同じようにメルはトレントの背中に乗りながら、トレントに感謝の気持ちを伝えた。見慣れた自分の家の屋敷が見えるまでは、メルの心は晴れやかだったか、よく見覚えのあるその屋根がちらっと視界に映ると、途端にメルの気分は落ち込むことになった。

 トレントに屋敷の門の前で下ろしてもらったあと、重い足取りでメルは自分の部屋に戻った。部屋は慌てて支度した名残で、色んなところをひっくり返したままであった。メルはこれからおそらく学校から連絡がいくかして、今日授業を抜け出してしまったことについてお父様からお叱りを受けるだろうということがまた重くのしかかってきた。しかし、もう全ては起こってしまったことだ。もうありのままに、素直に謝るしかないわとソファーに身をもたげなから、メルはそう思った。

 しかしそうしたメルの思いとは裏腹に、夕食の時間には、お父様の耳に入っていないのか、それとも知っている上で何も言わないのか、メルの父親のカルメは普段からあまり表情に乏しい人であったので、メルがその心の内を知ることは叶わなかった。とにかくメルに対して何かを追求する様子もなかったのでメルはほっとした。


 その日以来、メルは度々トレントに飛び方を教えてもらうことにした。一人ではもうどうしようもないことはその肌身で感じていたことであったので、トレントを飛行の先生としたのである。

 「だからそのビューンとか、ここフワッと浮かぶ感じとかそういう感覚で言われてもわかんないわよ!」

 「そういわれましても、そういう風にしか考えたことがないものですから…」

 感覚派で教えるトレントに対して、メルがこのようなやり取りを交わしたのは一度や二度のことではなかったが、何はともあれ、この猛練習の成果もあってか、メルの飛行の腕前は「壊滅的な下手さ」から「クラスに何人かはいるぐらいの下手さ」にまで上達したのであった。

 メルは遅々とした歩みだったが、確かな充実感を感じていたし、飛行訓練を抜け出したのも前の一度きりであり、以来皆勤賞だった。メルの日々はまた確かに幸福感を伴う、充実したものになっていった。

 

 しかし得てしてそうした幸せなる日々は長くは続かないものである。天にそびえる島にしては珍しく雲に覆われ、季節外れの大雨が降った日にあまりに少女の運命を一変させてしまう事件が起こった。

 その転機となる事件が起こってしまった日、大雨によって、飛行訓練の授業は無くなったことにメルは隠しきれないぐらいの上機嫌で帰り道を歩いていた。天空にそびえるメルたちの一族が住んでいる島にもたまには雨が降る。常に島は一定の高度を保っているわけではなく、気流によって流されている関係で雲の下に位置することもあるからだ。

 メルはこの雨が好きだった。雨の日には羽が湿って、飛びづらい。ゆえに人々はあまり雨の日に空を飛ぼうなどとは思わない。この誰も飛んでいない空は、メルの心を和ませた。雨はメルにとって、救いだった。

 そうしてスキップで屋敷の門の入り口に着くと、メルは異変に気付いた。何やら騒がしい。普段は退屈すぎるほどこの辺りは静かなのに、少しばかり人が集まって何やら話し込んでいる。あまりメルには見覚えのない人たちの噂話が聞こえてきた。

 「おい、あそこの家で使用人やってたトレントって奴いただろ?なんかさっき凄まじい剣幕で怒ってた旦那が連れてきた…ありゃあ執行人の奴らに違いねぇ。そいつらに連れてかれたんだよ。」

 「執行人って言えば、あの薄気味悪い連中だろ?誰も寄り付かねぇ離れの崖から罪人を翼が使えないようにむしり取った状態にして突き落とすことを生業にしてる…いくら政府の役人の仕事とはいえ関わり合いたくないどころか、視界にも入れたくもない連中がどうしてトレントみたいなやつを連行しようとするんだ?」

 「いや、俺も通りがかっただけだからよ、詳しいことは分からねぇ。しかし、あの旦那の剣幕は凄まじかったね。よくもうちのメルを!!いやこれよりもっと凄まじい声で旦那はトレントを怒鳴りつけていたね。」

 「娘って言うと、やっぱりお嬢に関係してることなんかね。」

 「そりゃあそうだろ。俺は前々から何かあると思っていたね。ここ最近お嬢とトレントは二人でよく一緒にいたし、意地悪いグラ婆なんかはトレントはお嬢に取り入って、屋敷の財産を狙ってるなんて陰口叩く始末だからな。」

 「といっても、トレントはこの世に悪人が存在する分のバランスを取るために善人として存在してるぐらいの底抜けのお人よしだぜ。そんなこと考える野心も度胸も持ち合わせているとは俺には思えないがね」

 「まあそれもそうか。しかし旦那があれほど怒っているところを見るのは初めてだね…」


 咄嗟に物陰に隠れて、この二人の噂話に聞き耳を立てていたメルは頭がどうにかなりそうだった。トレントが連れていかれた?お父様が怒っていた?しかも一連のことは私が関係している?もうじっとはしていられなかった。メルは物陰から飛び出して、この二人に話かけた。

 「ねぇ今の話はほんとなの?」

 「誰かと思ったら、お嬢様じゃないですか。もしかして今の話って全部聞いてたいらした感じで…?」

 「まどろっこしいお喋りはいいわ、トレントが連れていかれたのは本当なの?」

 「ええ…本当です。昼頃その騒ぎがあって、トレントが連れていかれました。」

 「噓でしょ…それで一体どこにトレントは連れていかれたの?」

 「『断罪の崖』ですよ。ここいらの人間は誰も寄り付かない…お嬢様まさか変なこと考えていませんよね?」

 『断罪の崖』とはつまるところ処刑場であった。この島では下の世界は『地海冒険記』の影響もあって、火を吹く化け物に始まり、数多くの魑魅魍魎が住む地獄のようなところだと信じられていた。その信仰もあって、罪人に対してはその羽をもぎ取り、崖から突き落とすことを持って罰とすることが昔からの習わしとなっていた。つまり急いで止めないとトレントは崖から突き落とされ、下の世界に真っ逆さまに墜ちてしまう―そんなことはメルは絶対に許せなかった。 

 メルはそれを聞くと走り出した。制止する声を振り切り、びしょ濡れになることも一切気にも留めなかった。とにかくその場に行かないと。自分抜きで事が進んでしまっていることにメルは耐えられなかった。

 珍しい大雨は更に激しさを増し、走る少女の純白の翼を濡らした。空はますます分厚い雲がかかり、時々雷鳴が鳴り響いた。雷鳴は唸るような、重い重い、不吉な地響きをもたらしていた。

 

 平和だった日々が、まさにいま鳴り響いている雷鳴のように突如として崩れ去っていくのが分かった。全てが何かの間違いであることを少女は胸に祈りながら、息が切れても足を止めなかった。何が起こっているのかは分からないが、これを止めれるのは自分だけなのだから。皮肉にも羽を持っているにも関わらず、急ぎたいときに限って雨が少女を阻んでいた。この時ばかりは、いつも好きだった雨もメルは憎くて堪らなかった。

 

 

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