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飛べない堕天使、宙を翔ける。  作者: 笹 加奈
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「地海冒険記」

 校門を出て、メルはスキップ交じりに家路を辿ると、思いのほか早く帰宅していた。メルの父親はメルを貴族の子弟が通うような女学園に通わせるだけあって、使用人によってよく手入れの行き届いていた庭付きの大きな家を構えており、メルはそこの二階の角の部屋にが自分の部屋として、つい最近与えられたばかりであった。

 メルは自分の部屋のソファーに腰掛け、気だるそうにもたれかかっていた。勢いで授業を抜け出してきたはいいものの、とりあえす今からどうするかを何にも考えていなかった。手持ち無沙汰に任せて、何度も読んだお気に入りの本を父の書斎から、運んできて、ソファーに座ってペラペラとページをめくり始めた。その本のタイトルは「地海冒険記」といった。

 空の全てを冒険し尽くした主人公がさらなる冒険を求めて、天空の崖から身を投げて冒険を世界の底に求めるというものである。火を吐く建物を優に超える怪物、無限とも思える水で広がった海という場所、杖を一振りしただけで思い通りのことが起こせる魔法使い…等々その本には息をも呑む刺激的なものが沢山でてきて、何度読んでも飽きなかった。

 よく寝る前にお母さまにこの本を読み書かせてもらったものだ。

 「むかし、あるところにこの空のすべてをぼうけんしたおとこがいました。おとこはさらなるぼうけんをもとめて、この空のした、バケモノがすむというところにいどむことにしたのです…」

 この書き出しを見ると、小さいころに亡くなってしまった母の声がメルには聞こえてくるようであった。母が死んでからはたまに使用人のばあやに読み聞かせえてもらっていたが、いつしかばあやに聞かせてもらうこともなくなった。読み聞かせの習慣がなくなって以来、読むこともなかったがこうして読み直してみるとまだまだ面白く感じるなあとメルは思った。この「ドラゴン」なる獣が炎を吐いて街を蹂躙するところを主人公が海で手に入れた秘宝でやっつけるというくだりは今読んでみても痛快だった。

 しかしやはり一度どころか、何度も読んだ本だけあって、メルの退屈を埋めるほどにはその本にメルはのめり込めなかった。

 「はあ退屈ね。今更学園には戻れないし…」

 メルはそう呟くと本を閉じ、なんとなく屋敷の裏庭に出てみて、フラフラと歩いていると隣の屋敷の使用人がどこかに出かけようしているのが見えた。その小麦色のよく焼けた肌をしていた男は名をトレントと言った。体格のいい男で、隣の目つきの悪いケルト爺の屋敷で使用人をしていた。メルは退屈しのぎにトレントに喋りかけた。

 「あら、トレントじゃない?今からどこに行くというの?」

 「うわ驚かせないでくださいよ、お嬢様。あれお嬢さま?まだ学校の時間のはずでは?」

 「うるさいわねぇ…色々事情があるのよ!乙女の事情が!」

 「はあ…まあ隣の屋敷の使用人の身としてはこれ以上は言いませんが。自分は今から市場に買い物に出かけるところですが、それが一体どうかなさいましたか?」

 市場!メルは学園と自分の家の屋敷ぐらいしかいまだ知らなかった。典型的な箱入り娘であり、学園という箱と、屋敷という箱を行ったり来たりする毎日であったからである。この空に浮かぶ小さな島のさらに小さな二つの箱がメルの知る世界の全てだった。常々メルはもう少し、クラスの子ぐらい自由に出かけてみたかったが、メルの母親が幼いメルを残して早くに亡くなってしまって以来、父親は一人残された娘をひどく大事に可愛がり、まるで触れたら壊れてしまうような脆いものを扱うような態度であった。ゆえに、メルの父はあまり外出することをよく思わず、またメルも取り立ててそれに抗わなかった。

 しかし、既に今日はお父様の望む娘にあるまじき授業をさぼり、退屈を持て余しているという有様のメルは毒を喰らわば皿までというのではないが、少し開放的な気分になっていた。またどうせもう授業を抜け出してしまったことがいずれ父にバレて、怒られるのは確定事項のようなものだから、気ままな外出を楽しんでみたいという気分になったのである。

 「トレント!その市場に今から私も一緒についていきますわ。少々身支度を整えてくるのでそこで待っていなさい!」

とだけ、言い放つとメルは急いで引き返し、裏庭を抜け、階段を駆け上がり、自分の部屋に駆け込むと、洋服タンスを開けて、着替え始めた。フリルの付いたお気に入りの服を身に纏うと、また駆け出し、屋敷の門を飛び出し、隣のケルト爺の屋敷の入り口で急停止した。

 「お嬢様、ほんとに着いてくる気ですか…?」

 トレントは走りすぎて少し汗をかいているメルに根負けした様子で、渋々メルが付いてくることを了承した。

 「くれぐれも旦那さまには言わないでくださいね。」

 「もう分かっているわ。夕方になる前に帰ってこないとだからさっさと行きましょう。」

 二人は市場のある方角に向けて歩き始めた。トレントはいつもの買い物の際に通る道であったから、何の感傷もなかったが、対照的にその横でメルは沸き立つ心を抑えられなかった。市場!メルにとって本とかでしか見たことないのないものだった。メルぐらいの年齢の子は市場の辺りのお店で買った食べ物を食べながら、練り歩く、食べ歩きを楽しみとしていることや、そこで友人同士で思い思いに服を選び合ったりしていることなどを流行りの雑誌でメルは知っていた。期待は膨らむばかりだった。

 しばらく歩いていると、トレントが何で学校を抜けてきたのか尋ねてきた。

 「そういえば先ほど聞きそびれましたが、学校はよろしいのですか?」

 「さっきも言ったじゃない?乙女の事情なのよ!貴方にはわからない!事情があるの!」

 「そういえばこの前、裏庭でお嬢様が泣きそうになりながら必死に羽を使って飛ぶ練習をしているのを拝見させて頂きましたが、もしかして関係があったりしますか?」

 「まさかあなた見てたの?」

 「はい、屋敷の掃除をしているときに目を赤くしながら、必死の練習なさっていたのをこのトレントは見てましたよ。」

 メルは顔を赤くした。その裏庭での猛練習を経た後でも、少しだけ宙に浮かび背中から着陸するという惨劇だったのだから、その猛練習がメルにとって決して人には見られたくないものであったのは言うまでもないだろう。

 「それで貴方まで上手く飛べない私をからかいたいのかしら?」

 「いえ、そのようなことでは決してございませんよ。しかし度々頭から落ちそうになっているお嬢様の姿を見ると、私少しは飛行にかけては腕に覚えがありますゆえ、何かお力添えが出来たらと思った次第なのです。」

 「頭から落ちそうになってた…ってよりにもよって一番見られたくなかったところを貴方見てたのね…」

 メルは恥ずかしくて堪らなかった。誰にも見られたくなかったからこそ、人目に付きにくい裏庭で練習を重ねていたのにも関わらず、よりにもよってこんな隣の使用人にまで見られてしまうとは。学校での惨劇の恥の上塗りでしかなかった。しかし、からかっているという風でもなく、あくまで親切心でトレントは言っているのだということは、なんとなくメルの感じるところではあったので、この底抜けのお人よしになら、打ち明けても構わないといったような気分にメルはなった。

 「先週、学校で飛行訓練があったの。元々飛ぶのがからっきしな私は授業で恥をかかないように、貴方も見たように必死で練習したわ。でもどれだけやっても全く飛べるようになる気配もないし、やればやるほど、ますます羽の動かし方とか分からなくなっていくばかりで…」

 メルはここまで話すと、メルの美しい澄んだ青い色の瞳からは溢れんばかりの涙がこぼれ出た。お父様の娘として恥じないように努めてきたことはまだ歳が十にも満たないメルにとって重圧であり、トレントに対する告白によって、普段抑えていた感情が堰を切って流れ出したのである。

 そんな普段は気丈に振舞っているのに対して、今は年相応に泣きじゃくっているメルの姿を見てトレントは、

 「お嬢様、失敗することは恥でもなんでもありませんよ。ええと確かお伽噺の冒険家もこんなことを言ってたじゃないですか。『可能、不可能など些細なことよ。この空の下の無限の可能性に挑まないことこそ、我にとっては失敗に他ならない』って。確かお嬢様もお好きではありませんでした?『地海冒険記』ですよ。」

 「あなた意外と物覚えがいいところがあったのね。」

 「ええ!?ちょっとお嬢さま今まで私のことをなんだと思っていたんですか?」

 メルはお母様に読み聞かせてもらったその本のセリフを思い出した。そうだったわ。挑まないことこそ失敗よ!なんてお母様もこの本を読みながらつい暑くなっていたっけ。トレントの励ましによって、メルは気持ちが少し落ち着いた。涙を拭い、その宝石のような青い目を見開くと、そこには先ほどまでの泣きじゃくっていた子供は姿を消しており、凛とした名家の令嬢の姿がそこにはあった。

 トレントはそんな落ち着きを取り戻した、メルの姿を見るとある提案をした。

 「どうです気分転換に私がひとっ飛びいたしましょうか。さぁお嬢様、私の背中に捕まって。」

 「わたくし、もうそんなおんぶしてもらうような子供じゃありませんの。」

 「先ほど私の目の前で子供のように泣きじゃくっていらっしゃったのはどこのどなたでしたか…?いや冗談ですよ。先ほども申し上げたように私飛ぶことにかけては覚えがありまして、私の飛行をお嬢様にがご覧になればお嬢様も何かヒントが掴めるのではないかと思うんですよ。」

 「はぁ…わかりましたわ。くれぐれも安全にしなさいよね。」

 「このトレントにお任せください。」

 そういうとトレントは背中の白い綺麗に羽が生えそろった二枚の翼を勢いよく広げると、ゆっくりと羽ばたかせて、上昇し始めた。安定感のある力強い、羽ばたきだった。なるほど確かに得意げに誇るわけだとメルは感心した。気づけばいつしかメルの視点は経験したことのないほど、遥か高みにあった。自由に飛べないメルにとって、生まれてからずっと遥か天空に浮かぶ島に生きているにも関わず、初めて落下の恐怖を、高所の恐怖を覚えた瞬間でもあった。飛べないがゆえに、翼を有する一族に生まれながら、メルはずっと地に足をつけて生きてきたのである。

 メルの視界には無限の空間が広がっていた。あまりにも興奮しすぎて、トレントの背中をつかむ手が一瞬緩みかけ落ちそうになったが、なんとか体勢を持ち直した。この頭上に燦燦と広がる青い空と下に絨毯のように広がっている厚みがかかっているどこまでも続くかのような白い雲を眺めていると先ほどまで悩んでいたことが酷くちっぽけなようなものに思えてきた。

 「挑まないことこそ、我にとっては失敗に他ならない…」

 メルは小さな声でそう呟くと、もう学校を飛び出したころの憂鬱感ははっきりと消えていくのを感じた。

 確かで揺るぎない満ち溢れた自信が、その少女の小さな体に宿っていた。

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