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月下の貴方へ

 鹿野と新村たちが警察に取り押さえられた日の夜、彼は警察署の屋上にいた。


 ベンチに座り、その横にはさっき買ったばかりの自販機のお汁粉が置かれている。基本的にコーヒーを缶で飲むということを彼はあまりしなかった。警察署の下を通るラーメン屋の屋台から「上を向いて歩こう」の歌詞が聞こえてくる。


 この時間に、特に目的はない。ただ疲れたからという理由だ。彼は全力で頭を動かした後は、いつもクールダウンが必要なのである。

 雪が降った後だからか肌に触れる感触すべてが冷たかった。その冷たいながらも澄んだ空気の中、ただ、ぼーっと月に照らされる山々を見ていると彼の胸ポケットのスマートフォンが淡く光るのが分かった。

 アイリーンが起きたのだ。AIにも疲れが存在するのかどうかは知ったことではないが、熱透視を使った後、彼のスマホの中のアイリーンは沈黙を守っていた。



『なぜ、今回の犯人が妻だと分かったのですか』


 彼はスマホを見つめながら少し考えた。AIに彼の信念を説明するにはどうすればいいかと。この質問に回答するには、彼の信念に触れる必要がある。

「質問に質問で返すようで悪いが、逆にアイリーンは推理という物をどう思う?」

『……既にわかっている事柄をもとにし、考えの筋道をたどって、まだわかっていない事柄をおしはかること』

 彼女は辞書のような答えを返す。ただAIが定義する推理とはそんなものだろうと彼は思う。何も間違っていない。

 彼は息を一つ吐き、答えた。白い息が澄んだ空気の中を煙突の煙のように立ち上っていく。




「俺はな、推理っていうのは人の心に寄り添う物だと思っている」




『人の心に寄り添う?』

「ああ。人の心に寄り添い、人を理解して、その上で観察する。トリックなんてのは同じ人間がやっているのだから、俺らにもできないはずがない。言ってしまえば後付けみたいなものさ」


『……』 

 彼女は、この彼の答えを聞き、少しの間考えこむように間を置いた。

 そして、10秒ほどして沈黙を解除し、やはり機械的には聞こえない女性の声でこう問う。


『じゃあ……なぜ貴方は鹿野正枝を励ますような言動をしなかったのですか?』


「そういう意味じゃない。人の心に寄り添うことに善意は不必要ではないが、決して必要なものでもない。人の心に寄り添って初めて人を理解することができ、理解することができたら観察の精度はぐっと上がる。0からの観察じゃなくなるから、どこをどう観察すべきか明確になるんだよ」

 彼は月に目を移し、続ける。

「俺は鹿野正枝の心に寄り添った。大事な人を失った女性の心。警察が押し掛けてきたときの心。それらを想定し、理解した上で目の動き、言葉の震え、体の震えを観察して、男性恐怖症だとそう判断した」

 AIが沈黙したままだったので、彼はもう少しかみ砕いて話すことにした。鹿野正枝を例に出して。

「鹿野正枝は、その性格を考慮に入れて考えれば、いくら警察が押し掛けてきたとしても反応が大きすぎた。人が病室以外で死んだ時点で家に警察が来ることは想定していたはずだ。となると、イレギュラーな何かが俺らが来ている間に起こったてことだ。これも鹿野正枝を理解して観察した結果得られた推測。あの場は野郎ばっかだったからな。近所の人たちがあの2人の関係に押し黙ったのもそれが理由だ。被害者は鹿野正枝が男性恐怖症になるほどの暴力を振るっていたんだ。で、犯人が分かれば後は現実的に可能な案を考えればいい」


 そして、彼はかの有名な探偵のセリフを引用した。

「君はただ目で見るだけで観察ということをしない。見るのと観察するのとでは大違いなんだよ。アイリーン」

「まずは人の心に寄り添うことが第一段階だ。意外と簡単だよ。人と接するときに相手がどう受け取るかを考えて相手すればいい」


 この言葉を聞いた彼女はついに負けを認めた。それと同時に彼が言おうとしていることを理解する。

 


『なるほど。私はただ人をデータベースと言動だけで判断していた。そして導き出される、私の推理はただのデータベースの上位互換にすぎない。反対に貴方は人一人の全てを曇った色眼鏡ではなく、ただ俯瞰して観察し、そして行動して答えを出したのですね』


 これは誰にでもできて、一番重要なことだが、意外と難しいことでもある。


「まあ、君もじきにできるようになるよ」

 彼女は少し沈黙した。今回のことをCPUに記録し、生かすために。

 そして、彼女は彼の在り方に興味を示し、無礼を承知で聞いた。

『……なぜ、あなたは東京の、警視庁に行かないのです?』

 警視庁は東京千代田区にある日本の治安維持組織、その最高機関にあたる。様々な才を持った優秀なメンバーがそろい、日々事件の解決や治安維持に努めている。

「まあ、オファーは結構来るけどね。あそこは正直、俺以上の化け物がごろごろいるから。多分俺は自信を無くしてここに帰ってくると思うよ」

 

 彼は苦笑いしながら空を見る。

 その空気が澄んだ綺麗な夜空には月が煌々と輝いており、山々を影として映し出していた。


 彼にはその月がこの世に生きる人々を温かく、平等に見下ろす、希望の光にも見えるのだった。



 










――――――――――――――――



『おやすみなさい。シャーロックホームズさん』


 –––– アイリーン・アドラー

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