<八>
♢♢♢
課長と晴明様と話しをしていた舞織が、不意に言葉を途切れさせた。
「舞織。…どうかしたか?」
課長の問いかけに、彼女は即答出来ずポケットに手を入れて触れた物の状態を指先で確認して、顔色が青褪めた。
「舞織?」
「あ…」
彼女は、椅子から落ちた。そのまま、気を失ってしまった。その時、彼女が手を入れていたポケットから木っ端微塵になった、晴明が気休めにあげた守りの勾玉の成れの果てだった。
「ーー何と不吉な…」
「晴明様?」
「今回の件は…本当の始まりだと言うことか…?」
課長は、言い知れぬ不安を抱きながら、気絶してしまった彼女を隣りにある仮眠室へと移動させた。
舞織は、しばらくして意識を取り戻した。彼女は、何故に意識を失くしたのか分からないと呟いた。勾玉がポケットの中で砕けて吃驚したけれど、気絶するほどの衝撃ではなかったと言う。
「多分、二人の身に何かが起きたのやもしれんのう」
「そんな不吉なことを口にしないで下さい!」
彼女の一喝に、晴明様もたじたじになっていた。
こんこんっ。
ドアをノックする音に、三人ははっとした。課長がいつものようにドアを開けると、瑛矢が呆然と一人立っていた。
「瑛矢、どうかしたのか?」
課長の問いかけに、か細い声で答えたけれど、聞き取れない言葉だった。
「……ません」
代わって、晴明様が問いかけた。
「どうかしたのか?」
「ーー分かりませんっ。…何者かに拉致されたんですから!」
やっと答えが返って来て、三人は同時に背筋が凍る思いがした。
♢♢♢
蝋燭に火が灯った臭いに、鼻腔がくすぐられて、意識が闇から浮かび上がる。けれど、全身に鉛か分厚い石板のようなものが乗せられて、拷問の最中だと感じて、再び意識を沈めた。
(…このまま、殺されるんだろうな)
沈んだ意識下で、これから自分の身に起きることを感じていた。
(大友皇子は、どうか無事であられますように…)
自分達ーー学士が皇子を唆したのだと断罪されてでも、かの君だけは助かってくれさえすれば、百済と言う亡国からの渡来人である己の命は捨てられる。
(ーー何を、考えてるんだ?)
百済とはなんだ?
渡来人とは、一体誰のことを考えているのだろうか。自分は、そんな人間ではないと否定した。
(確かに賜りましたーーこの遁甲方術を今上に役立てられるよう精進いたします!)
推古帝の御世において、皇族の末席になる自分が、この国の為になるならと志願した。
(陰陽道は、この国には不要だ!)
そう言う輩は、聖徳太子様を嫌っておる者達だ。そんな輩に捕縛されて拷問されているのだとーー頭の中は拷問による責苦ばかりが駆け回り、本当の自分を見失っていくばかりだ。
(…本当の自分って、誰なんだよ!)
そう叫んでみても、闇が広がるばかりか深みにはまっていくばかりだ。
(…もう、何が何だか分からない…)
「丁度良い塩梅ではございませんか?」
「…ああ。そのようだな」
「では、我が神の依代に致しましょう」
巫女装束を纏った唇がやけに赤い女に、手を引かれた目が虚ろで周囲の視線を受けても無感覚の青年は、女に導かれるままに、洞窟の奥へと入っていった。
「さて、どれだけの<瘴気>を吸ってるだろう。…神が降りるに十分だと良いがな」
男の口振りでは、失敗する可能性があるのを承知でいることが伺える。失敗して死んでしまうことを予期しているとも取れるが、真意は長い髪が邪魔をして判別が出来ない。
「まぁ、失敗したとしても、贄にしてしまえばいいだけだ」
神の依代になれるか、神の贄になるかはあの青年次第だと吐き捨てた。
それを御簾を三枚隔てた奥で、神主姿に口元を白い布で覆う複数の人の中で、聴覚だけを研ぎ澄ませた者が、誰かに悟られずに反応した。
「あんた。さっき洞窟に行った巫女さんが忘れた神器だ。我々は他にする用があるから、急ぎ届けてくれ」
願ったり叶ったりだと、内心で笑いながら、神器を包んだ紫の風呂敷を受け取った。
「気をつけてな」
無言で頷いた。巫女を追いかけるように洞窟の奥へと入っていった。
(どうか、間に合ってくれよ)
洞窟の内部が分からないまま、蝋燭の灯りだけ頼りの中、風呂敷包みの中身を指先の感覚だけで探りを入れた。
(これは、…短剣、か?)
それらしい感触が二本。鞘に入っていない状態だった。
(依代にするにしても、贄にするにしてもーー無謀過ぎるな)
何故なら、巫女が連れていったのは神の依代には十二分な素体であるが、どちらかというと、託宣などの占にしか役に立たない。
(とはいえ、早く助け出さなくては)
<瘴気>を注がれていたとなると、この辺一体が大惨事になることは、必至が確定したようなものだと、奥へと急いだ。
♢♢♢
洞窟の最奥部では、篝火が三つ並べられていて、かなり明るい。篝火があるけれど、外界よりか五度くらい涼しい気がする。その中央に、あの青年が端座していて、巫女装束の女が粛々と準備を進めていた。
「かの神の依代になれるなんて、そうそうない名誉なことよ。…無事に受け入れれば、今までにない幸運が待ってるわ」
彼女は自分のことのように話しているが、実際は幸運ではなく、依代にされたものの末路は、本来の自我を失くして魂を追い出される身だ。つまりは、死を意味していた。
(…どんな神を降ろす気だ?)
予測は容易いーー天津甕星だろう。
どうやらあの男は、表向きは悪行をする野蛮とされているが、実際は天津神や国津神に逆らった罪だけで、天津甕星を崇める一族を根絶やしにされた。が、まさかその生き残りの末裔かもしれない。
この世界に恨みこそあれ、救済など表向きは公言しているが、奴の心は純粋ではなく、一族の怨嗟で闇に染まりきっているのが、垣間見えていた。彼に天津甕星に、この世界に戻すことで恨みを晴らそうとしているのだろう。
(あいつを依り代には出来ん!)
さてどうやるべきかと思案していて、彼女一人だからやるべきことは一つだ。素早く彼女の背後に忍び寄り、手刀を首筋に叩き込んだ。声もなく、女は地面に倒れ伏した。
どさっ。
彼に近づくと、必死で<瘴気>に抗って体を震わせていたのだ。
(流石、というべきかな)
とにかくここから脱出しなければ、彼も自分もやばい。彼の片腕を自分の背中に回して、ゆっくりと立ち上がった。思いの外、彼の体は軽かった。
(依り代だから、断食させられていたからな)
それでも軽過ぎると思いながら、出口の方へと歩き出した。
「どこへ連れて行く気だ?」
頭を上げなくても、声で判る。あの男しかいない。
「大切な依り代なんだぞ」
口調こそは柔らかいが、声質はどす黒い感情が剥き出しだ。
「ーー」
強行突破だ。俺は彼を担ぎ、彼の横を通り過ぎた。
「逃がさんぞ!」
その声は、まるで怨嗟だった。二人分の《結界》を張り、走り出した。男からは怨嗟の<瘴気>が溢れ、視えない《触手》が背後に迫っているのを感じ、更に走るスピードを上げた。
ぱぱーんっ!
ぱぱーんっ!
ぱぱーんっ!
どぉーんっ!
視えない攻撃が洞窟全体に破壊的な爆音と振動を伴って、激しく揺れた。崩れた岩が障壁となって、前方を塞ぐ。それを掻い潜りながらも、出口を目指した。
「待たぬかぁー!」
恐ろしく血の底から響いているかのような声が、背後の前方からもした。
(何?)
背後の気配とよく似た気配が、前方からも近づいて来ていた。何故なのか考えている暇はない。ここから早く脱出したいだけを思い、頭を一つ振った。
(仕方がないか?)
一旦、足を止めて、片手で印を作り、術を行使したーー今の場所から、どれくらい離れられるか分からなかったが、とにかく空間移動をした。
何とか逃げるだけの時間稼ぎは出来ただろうか。周囲一キロ圏内に、奴やその仲間はいないようだ。
(…ひとまずは、安心か)
肩に担いだ青年を地面に無造作に横たえた。暫く、思案顔で見下ろしていたが、<瘴気>を何とかしなければ、彼が死んでしまうと思い立ち、手印を彼の額に当てて、祝詞を唱え始めた。
♢♢♢
「見つけたぞ!大切な依り代を返して貰おうか」
何だかむかつく言い様だ。彼は人間だが、モノではない。大切だとか言っているが、モノ扱い及び贄にする気でいる方が確率が高いと思われた。
「彼は、モノじゃないし…誘拐して来たんだろ?」
「貴様が拐ったではないか!」
「はぁ?何言ってんだよ、おっさん」
おっさん呼ばわれされた男は、奥歯をぎりぎりとかみしめて、舌打ちをした。「じゃ、彼の名前と出身地に、現在の住所は?家族構成は?」
「依り代に、そんなものはいらん!信者が連れてきた者だ」
「それが本当でも、あんたの信者が連れて来たとしてもだよ。彼が、あんたの身内もしくは知り合いなら、簡単な質問だよな?」
「煩い煩い煩い煩い煩い煩い煩い!」
半狂乱に叫ぶと、まりものような物体が複数出現して、男を囲んだ。
(…魑魅、か?)
「…お、俺も、戦います。…小鳥遊さんっ」
「お前は、まだ動くんじゃない!」
せっかく茂みに《結界》を張って隠したというのに、こじ開けて出てくるとは困った奴だなと思ったが、仕方がないと諦観の息を吐いた。
「無理だけはすんなよ」
「はい」
彼の中の<瘴気>は、完全には浄化し切れてはいないから、彼が<力>を本領発揮して戦える可能性が低い。
(眠り姫で居てくれたら良かったんだがな…)
だが、目の前の怒りに満ちた男を自分一人では厳しい(未だに浄化作業中だから、<力>が分散してしまっている)。
(助かるには、助かるけどな…)
彼がどこまでやれるかは、兄弟子である自分には良く理解しているつもりだがーーこの後、予想外が起きることになろうとは。




