<四>
♢♢♢
ぐにゃり…。
ぐにゃり…。
ぐにゃり…。
目的地に着く前から、視覚的感覚的に時空やら空間やらが体を引っ張られるような感覚が、酷く精神的に滅入りそうになっていた。そんな歪みが続く中を普通に歩いている徒人達を尻目に眺め続けること数分。
ぎゅるんっ。
空間が閉じた感覚がした後、周囲にいた徒人達は姿を消して、薄曇りがどんどん真っ黒な鉛色の雲が下へと下がってきて、重苦しい空気と<瘴気>が呼吸に合わせて肺に入ってくるようになる。
ちりーん。
鈴の清涼な音色が、自分達だけを避けるように《結界》が築かれた。そのおかげで、楽な呼吸を取り戻した。
「いい加減。修行の成果とやらを発揮して欲しいものだな」
「煩いなぁ…お前が出来るなら、片方でいいじゃん」
俺の一方的な言い草に、目を釣り上げて睨んできた。
「お前には悪いが、得手不得手があるんだよ」
「不得手だらけで、よく配属になったよな」
瑛矢が鼻で笑うと、俺の額に指弾を喰らわせた。が、いつもよりソフト過ぎて目を瞬かせた。
「瑛矢!」
瑛矢の背後に、巨大な髑髏が大口開いて襲ってきていた。彼にしては珍しく気付いてなくて、俺は速攻で造った《刀》に<気>を流し込んで突いた。
ーーぎゃあおんっ‼︎
見事にヒットし、巨大な髑髏を串刺し状態にした上に、《核》の部分にまでも刺さって砕け散った。
ごぉー…。
髑髏が全体的に火が吹き、煙が辺りを包み込んだ。俺は《刀》で煙を斬り裂くように、薙ぎ払った。
炎は消えて、燃え滓が燻っているだけだ。
「危ないな、お前はっ!」
助けられたのを横に置かれて、怒鳴られた。
「もう少し考えて助けられないのか!」
「喧嘩してる場合じゃないわよ?」
(妖気?)
的髪型か区別している余裕がないのに気がついて、俺も瑛矢も舌打ちして自然と背中合わせ、攻防の態勢になった。
「ちょっと反応が遅いわね」
正体不明の女の声だけがしていた空間に歪みが出来たかと思ったら、今時皆無の衣装を身に纏い、女の体に似合わない大きな扇子を片手に舞を舞うかのように激しく動かした。複数の髑髏が一斉に女を襲おうと突っ込んできたのを、最も容易く大きな扇子で薙ぎ払ってしまった。
「…妾は雑魚だけを消してやったのだから、ここからはお前達の出番よ」
平安時代の出立ちや妾と言ったこと、《妖気》で誰だか見当がついた。
「晴明の末席の弟子如きに手を貸してやったのだから、感謝してね」
「姫御前!」
「姫御前…」
「後になさい。今は目の前の敵を退治なさい」
彼女が指し示していたのは、《瘴気》に包まれた膨大な《妖気》を内包した大きな獣のシルエットをした化け物だというくらいしか判らない物体が鎮座していた。
「ただの獣じゃなくてよ?…ただの妖怪と断じてしまえば命はないよ?」
目視の限りでは《瘴気》と《妖気》を纏った獣にしか見えないけれど、俺は正体が何となく判った気がして、鼓動が速く汗が吹き出していた。
(まさか…封印されてた《大妖》が、ここに?)
遥か昔に封印した筈の大妖が、時代を超え、海を越えてやって来たとは、俄かに信じ難くて震えるしかなかった。
「おい?どうした?」
瑛矢の声は、耳に入って聞こえていた。だけれど、初めて対峙した時のことをーーどんな目に遭いながら、大切な仲間を喪ってしまったことまでーー瞬時に思い出してしまっていた。所謂、前世の記憶と呼ばれる過去夢だ。
「…だ。無理だ……あれは、簡単には倒せない…」
「詠二?」
「ふ、二人で、なんて…無理、だよ…」
「あーら?変ねぇ。…現在は末席の弟子であっても、大昔のお前なら倒す術を知ってる筈よね?」
姫御前がなぜそんなことまで知っているのかというと、前世の俺が出会っていたし、今現れた大妖との戦いの果てをも見ていたのだ。
「臆病風にでも吹かれたか?」
姫御前の嘲笑に触発されてはならないと身に沁みた前世を思い出して歯噛みした。
けれど記憶のお陰か、姫御前がいるせいか冷静でいられた。
「臆病風にでも吹かれたかって?…そうじゃないけど、用意も無しに対峙しようなんて莫迦げてるなって考えてただけだ」
「ふふふ…」
彼女の意味深な笑いを聞きながら、とりあえずの対策を実行しておいて損はないだろう。ただ、瑛矢に迷惑がかかるという難点に目を瞑ることにしなければならないが。
(どの道、逃げられないなら、今だけ退く術をするだけだ)
今の自分には余り知識は満たされてはいないが、前世の記憶の扉が開いている間に今は使えない《術》を発動させればいい。喩え加減を間違えたとしても、現在の医学であれば、何とか死は回避出来るだろうと信じているからーー。
「ーーーー万魔供伏!」
いきなりで悪いとは思ったのだが、今は退かせることとこちらが退くことに重きに術を行使てみたが、やはり前世と同じく威力が弱かった。おまけに激しい眩暈に襲われて、ちゃんと最後まで見届けられずに意識が飛んでしまった。
それで、今俺は瑛矢の腕の中に収まっているーー姫抱っこされていることに、何とも言えない気分で身動ぐことも出来ないまま、羞恥心だけが募った。
(…はぁ、毎回こうじゃ、身が持たないぜ…俺?)
俺の心中は穏やかではないが、彼の腕に胸に抱かれる心地良さの正体は何なのだろうか。
ただ単に心地よいだけか。
まさかと思いたくはないが、瑛矢に気持ちがあるのか。
否、いずれも違う。そんな生易しいものではない。それを表す言葉が見つからない。ただただ、<力>がコントロールが出来ずにすぐ疲弊してしまう自分には、心地が良く癒される感じが強いのだ。前世では出会わなかった部類に入る人間だ。
(…前世って、つい最近覚醒したばかりじゃん)
前世と現世の境が分かるのは、全くの別人になっていたからだ。もし前世の延長ならば、もう少し戦い方などをトレース出来たかもしれない、晴明様みたいに。
「ーー…ご免。もう、大丈夫だから」
「いきなり術を使って倒れるのって、お前の悪い癖なのか?」
瑛矢は、とても渋い顔で呆れ混じりに聞いて来た。
「悪い癖って、何だよ!悪い癖って?」
「よく倒れてくれて、《気》を吸ってくからさ」
「はぁ?…別に好んで、吸ってない!」
人聞きの悪いことを言わないで欲しいものだ。いくら毎回だからといって、悪意で《気》を吸っているわけではない。
(…そう思いたい。けど…)
しっかり顔を見て言われてしまうと、何だか自信が萎んでいくような感覚に陥りーー。
どんより。
俺の頭上には、暗雲が垂れ込めているようだ。
「そ、そんなに落ち込むことかよ?」
焦ったような口調で、瑛矢が聞いた。俺は素直に頷いた。
「だってさ、好き好んで吸ってるわけじゃないから、悪い癖とか言われたらやなんだよ」
「…そうか。それは悪かったな」
彼もすんなりと謝って来た。互いに同じ気分になってしまったらしい。
♢♢♢
「中国の大妖ーー窮奇だったんだよ。あれは」
「窮奇?」
瑛矢が知らない知識だったようで、興味津々で聞いて来た。だから、俺が知る知識を話すことにする為、現場から離れた川沿いにある線路の高架下に来た。
「あれは『山海経』という中国の書物等に載っている恐ろしい人喰いの一種だ」
中国最古の地理書『山海経』では、針鼠の毛が生えた牛で、邽山に住み、犬の鳴き声を上げ、人間を喰らうとか、人食いの翼を持った虎で、人間を頭から食べるだとか。
五帝の一人の不肖の息子の魂が邽山に留まって、この怪物になったとか。
大きな翼を持つ故に風を操る鎌鼬だと言われていたり、大妖になる前は、風神の類いや四神である玄武のような役割があったとかーー。
「間違いないか?」
「ああ。見間違いない…鳴き声は犬、姿はハリネズミのような体毛、大きな翼を有した虎のような大物の妖怪だ」
「見間違いないって…あんなものが現れる筈はないだろ」
「あれは、中国で縄張り争いで済んでた山を追い出され、深傷を負って日本に命からがら逃げ、晴明様が倒すことが出来ずに封印に留まったんだ」
「なぜそこまで知ってる…あ、弟子だからな」
正しいと頷いて、話しを続けた。
「その封印の場所を知った者か、あるいは封印が自然消滅する何かが起こって、それに居合わせた者が、巧みに使役しているのか……は分からないけどな」
「戦闘は苦手でも、知識だけは十二分に持ち合わせてるみたいだな」
「何だと!」
瑛矢の言葉に、頭に血が上りはしたがーーくらりと目眩に襲われて、敢えなく怒ることを辞めた。
確かに<力>の配分は、いつも気を遣っているのに、何故か戦っている間にズレてしまいがちだから、否定が出来ないのだった。
「やっぱり、自分の力量が分かってない莫迦じゃないか」
瑛矢は、くくくっと喉を鳴らして笑ってくれたが、怒る気力がない。
(それにしても、窮奇が現れるなんて)
何故このタイミングで、大妖なんてのが現れたのだろうか。
晴明様が産まれて来たからかという単純なことではなく、封印が解けてしまうタイミングで、晴明様が転生したのか。
もしそうならば、これは必然のことだとしたら、俺もその必然の歯車の一部かもしれないなと漠然と感じた。
「あれを倒す術はあるのか?」
「倒せるか、分からない。…封印が関の山だったし」
「何故そこまで…」
「え、あ、俺は、晴明様の末席の弟子だよ?む、昔話を聞かされたし、さ」
事実半分嘘半分ーー昔話ではなく、前世で退治を手伝った末路を知っていた。
あの頃は今よりも<力>が強くはあったけれど、余り役にも立たずに封印するしかない事態にしてしまった後悔は残っていた。




