<三>
♢♢♢
瑛矢の体内に存在し続けている嫦娥は、神故に体力気力を削いでいく。早く早く、《自称魔法使い》とやらを見つけ出して、人間ならば捕縛して、特殊な檻に入れなければならないし、そうでなければ祓わなければならない。どちらにしろ、急がないといけないのだが。
「そんなに焦るな。…これくらい、どうってことはない」
「か、鏡を見たのか?凄く酷い顔をしてるぞ」
額に指弾を容赦なく受けて、余りの激痛に俺は頭を抱えて蹲った。
「人が!心配してやってるのに、酷い奴だよな!」
蹲って唸りながら喚いてやったが、彼は涼しい顔で見下すように見下ろしてきた。
(可愛げのない奴!)
「心配して、損した」
「心配は不要じゃよ」
「晴明様?」
「そろそろ潮時じゃろと思うてな」
晴明様は背が高い瑛矢に身を屈めと、手招きをした。その様は、まるで猫を誘うような感じがした。
(それは、不味かろう?)
俺は嘆息しながら、少し離れたデスクで頬杖をついて眺めていた。
ぱしゅっ!
空気中のような音がしたかと思うと、室内が白い霧に包まれた。
りーんっ。
高音の鈴の音が鳴り響いた。
(……今度は、何事ですか?)
晴明様が出没すると、不可思議なことが多々起こるのだ。それは殆どが良いことが占めていた。
「嫦娥様。元の場所に戻る時ですぞ。この晴明が案内します故、心配なく離れて下され」
「う…っ」
瑛矢が小さく呻くと同時に、場に大きな神威のような気配が満ちた。彼の肉体から離れた嫦娥様の本来の気配だった。
これだけの神気を人間の身で受け入れていたとは、彼の実力は想像を遥かに超えていたことを知った。
「…わぁ」
一瞬だけ垣間見えた姿は、美姫とも評された月女神だけのことがあるーー語彙力が不足している自分では、説明が出来ないくらいだ。
月女神が身に纏っている衣は、古代中国の衣装だろうか。肌は透き通るくらいの白さと儚さ。月明かりを映し取ったような艶やかな銀糸のような長い髪。瞳は磨き上げられた鏡のような澄んだ淡い色をしていた。
「はぁーー」
課長は制止しようとしたらしいが、間に合わなかったとばかりに、デスクに突っ伏していた。
(ご愁傷様でした)
室内が無事だったのは、晴明様のお力添えのお陰だった訳だから、良しとしなければならなかった。
「ーー酷い。…二日酔いの気分だ…」
瑛矢は、珍しく弱音を吐き捨てた。嫦娥様を身に宿していた時よりも、具合が悪そうに顔面蒼白だった。
「今度ばかりは、具合が悪そうだな」
俺は、とりあえず瑛矢を椅子に座らせた。今度は素直に従ってくれた。余程、辛かっただろうと察しがついた。
いつもこうだと助かるのだが、逆にそうだとしたらーー不気味というか居心地が悪いかもしれないと思うと、今のままがマシかと思ったりもした。
「さて。急いで還さねばのう」
晴明様の掌に浮かぶ翡翠の勾玉が銀色の月明かりのような光りを帯びていた。あの中に月女神が内包されているが、解放される時をまだかまだかと急かしているかのように、明滅していた。
幼女の手が勾玉を握り、凄まじい突風が晴明様の周囲に取り巻いて、皆が身構えた瞬間ーー彼の姿が消え、神威も遠のいていったのだった。
勿論だけど、室内は破壊されはしなかったが、書類や軽い物品は巻き込まれて散らかったのはいうまでもない。後片付けに追われて、次の案件に向かえたのは昼前になっていた。




