<ニ>
♢♢♢
妖怪擬きとの攻防は、俺が教会で意識を失くしていた時よりも長く感じられたが、スマホが時折バイブするが見る余裕がなかった。
いつもは余裕がある彼ですら、息が上がっていて、いつものキレがなかった。
(多分、俺のせいだな…)
教会で俺に<気>を分けたからだろうし、周囲への配慮で《結界》も構築しているだろうから、消耗は半端ない。本来のパートナーとなら、あっという間に終わるんだろうけれど、弱い俺とじゃ負担増でしかない。
「余所見するな!」
瑛矢の叱咤の声に我に返った俺は、何となく妖怪擬きを見遣った。
女だった輩は、妖怪にしては異様に<瘴気>を喰らい過ぎたにしては可笑しいと気づいた。
「いい加減にしてくれっ!」
その時に、瑛矢が俺を後ろに退かせた。咄嗟に左足を後ろに引いて、転倒を防いだ。
(あ、あぶねぇー)
「瑛矢!そいつ、妖怪でも妖怪擬きでもない、多分!」
俺の直感が正しければ、畏れ多くも無礼を働いてしまったことになるような相手ーー女神だ。<瘴気>を喰らいながら浄化していたが、余りの<瘴気>に処理し切れずに呑み込まれてしまった哀れな女神。
そして、女神のおかげで黒幕が分かったけれど、二人では荷が重い気がして、スマホに手を伸ばした。
「死ね死ね死ね死ね死ね死ねバァ!」
容赦ない攻撃に、瑛矢の背中が俺の体に当たり、スマホが地面に滑るように飛んでいってしまった。
「死ねバァウザイし死ねばァ!」
「す、すまん」
「ご、ごめん」
「ぎゃんっ!」
互いに謝り合っていたら、女神が奇声を上げて地面に倒れ伏した。
「何だ?」
一瞬、何が起きたのか分からなかったが、俺は気づいた。目だけを動かして目的を探したーー見つけたのは、背が低くて一見すれば幼女に見えなくもないが、齢数百歳を越す立派なご老人である。
「…晴明、様!」
幼女に見えなくもない相手に、どう聞いても不自然な名前を叫んでしまった。先程スマホで呼ぼうとした人物が現れたものだから、安堵してしまったのだ。
「全く、二人はまだまだじゃのう」
瑛矢の方は、初対面であることらしく怪訝そうに眉根を寄せた。突然の来訪者の方は、瑛矢を認識していることが分かった。
「哀れよの。…嫦娥様………禁っ!」
妖怪擬き改め、嫦娥は強力な金縛りで藻搔いても藻搔いても自由にはなりはしないのに、力の限り抗った。
「月女神が、どうして…」
「<瘴気>を生み出した主に縛られてしまっておるからのう。容易には行かんようにされてしもうたようじゃのう。…瑛矢」
いきなり矛先が自分に向いたので目を瞬かせて、俺を見て彼を見た。
「お主の<力>をワシに撃て。早くじゃ!」
姿とのギャップがある迫真の一喝に一瞬だが硬直したが、声量の気迫で<力>を彼に放った。
どんっと重圧感がある風が、瑛矢を中心に周囲に広がった。その余波は嫦娥に向かうと、妖怪擬き発火を起こし、ゆっくりと燃えた。
エグい死臭が増すかと、顔を更に顰めた瑛矢は身構えたが、臭いは消えて無臭化した。
「誰だか知らんが、何て危険なことをさせた!」
「黙っとれ、小童が!」
逆に一喝されて沈黙しながら、前を見据えた。彼からすれば、真実小童だったからだ。
燃えている中心に目を凝らすと、徐々に人の姿に戻りつつあるのが窺える。しかしまだ油断は禁物ーー女神が本来の御姿に戻らなければなれないのだ。
♢♢♢
シューシューと蒸気のような怪音を立てて、周囲に霧が立ち込め始めた。
何が起きているのかは分からないけれど、清明様の何らかの術で妖怪擬きに異変が生じ始めていることだけは、気配で察することが出来た。隣に立つ瑛矢も、感じ取っている様子だ。
「二人共、気を抜くでないぞ」
清明様は、念の為の一言を言った。
「は、はい…」
不満げな瑛矢は、ただ黙って腕を組んでいた。視線はあれに集中し、険しい表情で様子見はしていた。
完全に視界が真っ白になった頃、女の啜り泣きが聞こえ始めた。それに含まれる感情は、利用された苦しさ悲しさ愚かさが綯い交ぜになっていて、直接心に響いた。
「…嫦娥様。大丈夫ですかのう?」
真っ白だった視界が晴れてきたタイミングで、見た目は幼女だが中身は立派な齢百歳越えの晴明と名乗る老人が呼びかけた。が、すぐには返事もない数分くらいの時間をかけて、漸く言葉としては聞き取れない声がした。
「…ふむ。嫦娥様は、ご無体なことをされてしまいましたか……どれ、診てもよろしいですかな?」
幼女の体故に歩幅が狭いので、俺が抱き上げて嫦娥様とやらの側まで連れて行く。
「…詠二。ご苦労」
そう言って、彼は月女神に向いた。
「何というお姿じゃ。…出来る限りのことをしてやろう」
嫦娥様という月女神の体には、外見的な傷だけでも酷い。多分、俺達が攻撃した時のが含まれているのだろう。それ以外に、内面的な傷があるようだ。
幼女は手始めに、目に見えて酷い外傷を淡々と《治癒》を施した。
俺は清明様をどう紹介すれば良いか、考えている間に、彼は俺に目もくれず、瑛矢のほうを一瞥した。すぐに月女神の方へ視線を戻した。
「……さて。ここからが問題じゃな。…瑛矢。手を貸せ」
「は?」
初対面の謎だらけの幼女の外見の爺いに、いきなり手を貸せと呼び捨てで名指しされて、不機嫌を露わにした。
「お前さんの<力>は、お飾りであるまい。しかも今は仕事中じゃ。早う動かんか!」
「こいつじゃなく、僕なんだ?」
清明様は、ご自分の胸を手で押さえて答えた。
「今は向いてるからじゃ!無駄口せずに、こちらへ来るんじゃ!」
瑛矢にしたら珍しく、目上に対して舌打ちをして、爺の元に近づいた。
「ふんっ」
清明様の耳には、しかと舌打ちが聞こえていた。その罰とばかりに、右手首を尋常ではない力で引き寄せられて、あわや爺いの上に乗りそうな勢いで倒れそうになるのを必死の体で堪えた。
清明様は彼の手を嫦娥様の額に当てると、瞑目して短い呪を唱えた。
彼の手と嫦娥様の体が眩い光を放ち、徐々に視界が真っ白に弾け、一瞬だけ意識が飛んだような気がした。
視界が戻ると、嫦娥様の姿がなくなっていた。どこを探しても、清明様と瑛矢しか姿がなかった。嫦娥様の気配は、とても近くにいる気配がするけれど、目に視えるところにもいなかった。
「月女神様は、どこ?」
「鈍臭いのう。分からんのか?」
「清明様。感じることは感じるんですけど……え、もしかして…?」
清明様の横に突っ立っていた瑛矢の体から、月女神様の気配が微かに溢れているのを感じ取って、俺は瞠目した。
「嫦娥様を一時的に、此奴の体に宿らせた。お主とは異なるシャーマンじゃからのう」
事もなげに言ってくれる幼女姿の清明様は、個々の能力を見分けて見極める能力を持つ。それは多分、前世があの有名な陰陽師だからだろう。
「そろそろ、夜が明けるのう」
そう呟く彼は、うとうとと眠たそうに半眼になっていた。夕方から夜にかけてだけ、安倍晴明としての記憶と<力>が覚醒し、朝昼は課長の愛娘に戻るのだとか。成長するまでの間は不便な日々だと愚痴っていた。
「清明様、お休みなさい」
そっと抱き上げて、この場を離れることにした。道路に一台の車が停まっていた。その車の運転席には、課長がいた。
「娘は助手席に。…お前達は、駅まで送ってやるから、後ろに乗れ」
無言で頷き、俺たちは左右に分かれて乗り込んだ。
太陽は、もう半分くらい昇っていた。
♢♢♢
駅から単身寮への電車に乗り、俺達は無言のままーー寮のそれぞれの部屋へと帰っていった。これから少しだけの仮眠をして、捜査と退治を続けなければならない。あれで終わったなんて、あり得ないのだから。
「瑛矢。大丈夫か?無理しない方がいいんじゃないか?」
月女神である嫦娥様を、人間でありながらも依代として受け入れた。いくらシャーマンであっても、負荷は半端なく辛い筈だ。経験があるから、その辛さは分かるのだが。
「問題はない。この件は、お前一人じゃ無理だしな」
「!」
俺の心配をよそに、冷たい瑛矢の言葉に言い返しが出来ずに、俺は黙るしかなかった。
「黒幕は、何となくだが判った。課長の許可済みだから、直行するぞ」
「ええっ⁈」
余りの急展開に驚きつつ、瑛矢の後ろをついて行った。
神をあんな風にしてしまえるのは、自称魔法使いと名乗る奴が、もしかしたら俺達が闘っている奴等の仲間かもしれないと察しはついていた。けれど、あっさりと嫦娥様を通じて、こんなに早く判ってしまうとは。
(…まさか、罠じゃないよな?)
疑問は心の片隅に置き、一度も振り返らない彼の背中を一瞥し、徒歩で行く理由は寮からほど近いと感じた瞬間、違和感を感じて立ち止まった。
「瑛矢。本当に分かったのかよ?」
彼は振り返らずに、歩く速度を変えることなく、黙々と歩き続けた。二メートルくらい離れた。
「お前こそ、勘違いするなよ。…敵は遠くではなく、近くにいたんだ」
「何?」
「…いつもいつも、邪魔をしてくれるよねー」
突然、頭上の方から声が降ってきた。その声は聞き覚えがあるが、口調が軽くて喋り方も違う。
「今回は、随分とあからさまじゃないか?」
「ふふふ。…そろそろ頃合いかなぁって思ったからだよー」
同じ声が喋り口調が違うだけで、一人芝居しているかのような聞こえ方に、俺は困惑した。
ひらりと、音もなく舞い降りたのはーー瑛矢にそっくりな容姿をした青年だが、髪の色は真っ白だった。体格がそっくりだから、声が似ていても違和感がなかったのだ。
(まさか、双子…?)
「やはり、黒幕は貴様だったんだな」
「自称を飛び越えてるんじゃないかい?ってか、違う違う!」
彼は認めるような発言をしたかと思いきや、手を横に振って否定した。
「安易なことを言うと、相方が危険な目に遭うよ。…前回みたいにねー」
その一言で、さらに険悪な雰囲気に拍車をかけていた。態とらしいと、鈍感扱いされる俺でも分かるくらいに。
「僕はぁ、偶々遭遇してしまって、瑛矢が来るんじゃないか。毎回毎回懲りずに疑うなんて酷い奴ぅ」
毎回毎回懲りずに、彼は出没して疑われていると言うことは、変な性癖持ちなのだろう。彼とは外見は似ているが、中身は全くの正反対のようだ。
「じゃ、お前は黒幕を知ってるのか!」
だんっ!
だんっ!
だんっ!
プレハブの壁に叩きつけて、まるで拷問でも始めるかのような勢いに、俺は慌てた。
「よせ!やりすぎだって!」
瑛矢の腕を掴んで制止してみたが、びくともしない。
「身内に手加減するなって言う、師匠の教えだもんねぇー。良い弟子だった瑛矢は、師匠亡き今も変わらずに守ってるだぁ……本当、下らない!」
掌から炸裂した《気》で弾き飛ばすなんて生易しいものではなく、俺を巻き込んで爆風並みに吹き飛ばされた。瞬間的に、瑛矢は俺を抱え込んで地面に叩きつけられる事態を回避した。けれど、無傷とはいかなかったーー二人とも、擦り傷は負った。
「いたたた…瑛矢、大丈夫か?」
「あ、ああ…」
地面に軽く頭を打ったようだが、頭を振って立ち上がったから大丈夫らしい。
「死にゃしないよー。手加減してやってんだからさー」
彼は生意気な口調で言うと、ふと表情を変えた。
「気をつけろよ。この件の黒幕である奴等が、漸く我々に気づいて…間もなく、本格的に入国ってくるよ」
「な、何を…」
「また近いうちに会おうかなぁ」
彼は囁くように言うと、音もなく余韻すらも残さずに、気配ごと姿を闇に溶かし込んだ。
♢♢♢
暫しの沈黙を破ったのは、瑛矢の方だった。それまでは、先程の彼が消えた闇夜を睨んでいた彼の背を不安げに俺は見つめていた。
「あいつは瑛亮。俺達双子を産んで直ぐに、発狂した母が殺そうとしたらしい。だがたあいつは、生後間も無いのに最も容易く発狂した母を惨殺してしまった為、祖父母によって実家にあった地下座敷牢に幽閉されたんだ」
自分の家系や舞織、課長の家系は、世間一般とは隔たりがあって、とても特異な慣習やらがあるのだが、瑛矢の家系は神社故にか一際エグさを伴う慣習があったらしい。
「幼い頃は、まだ互いが会うことが許されてはいたんだ。…祖母と父が、座敷牢の前で惨殺されるまではな」
そうなると、手に負えなくなった祖父が土御門家を頼るしかなくて、平安時代にあった土御門の地に密かに造られていた地中にある封印牢に、死んでしまうことも厭わないと言う条件で、彼の体自体に封印術を施して閉じ込めたのだ。
「あれからは、一度も会うことはなかったんだ。この職に就いて暫くして、最初の仕事の時に、思念を放ってきたのが始まりだった」
ーーあはは、成功するとは思ってなかったよー。
最初の頃は色々と助けてくれていたのだが、禍いまでも引き寄せて現場を引っ掻き回し始めた。
ーーバラしたりするからさ。もう楽しいことだから止められないよー、あはは。
うっかりと、パートナーに話してしまった。更に彼女が課長に話してしまい、あの特殊な封印がされた地中牢を破るとは危険だと、課長が自ら封印しようとしたが、いつの間にか姿を、行方を眩ましてしまって、現在に至っているのだと、彼は一気に話した。
「万が一、お前に接触されたら困るから話した。…これを持っていろ」
瑛矢から手渡されたのは、神社でよく見かける白地に金色の御守りだった。ただ中身は紙で出来たお札ではなく、硬い物が入っていた。
「…勾玉?かなりデカい」
「特別製だが、気休めにはなる」
こんなにデカい勾玉で気休めとは、如何なものか。きっと凄く役立ちそうな<気>を布越しに感じるのだが、彼は頑として気休めだと主張したのだった。