<一>
♢♢♢
事件現場は、とても閑散とした古びた教会だった。
敷地に足を踏み入れるまでもなく、その土地に染み込んでいる<邪気>に<瘴気>が影響を及ぼし、教会は酷く穢されていた。ここまで穢すのに、そう容易くはなかっただろう。かなりの古さを感じさせる年代物の建物だから、人々の願いの中で<負>の感情だけが昇華され切れずれずに、残り溜まり続ければ容易いことだ。
「ひでー有り様」
「……」
「どうかしたのか?」
相方が返事も無しに、辺りをキョロキョロと見回していたので、怪訝そうに馬の尻尾を掴んで引っ張ったら、耳のピアスがちりんと鳴った。しかしいつもなら、速攻で平手が頭に漏れなく飛んでくるのに、何故か来ない…。
「おいってば!」
更に強く引っ張ったが、ピアスだけが鳴るばかり。いつもの反応はない。身長差が少しだけあるので、背伸びして顔を見上げた。
「⁉︎」
目を見開いて固唾を呑んでしまう程に、尋常じゃない眼光と深目の眉間の皺が女子にイケメンと騒がれる顔に現れているから、こちらの顔が引き攣ってしまう。
何が彼にそんな顔をさせているのか、自分も辺りを慎重に見渡してみるがーー変な気配も人やそうじゃない気配すら見当たらなかった。
「いつまで人の髪を掴んでるつもりだ?」
ぱしんっ!
そう言うなり、人の手を思いっきり叩き払った。
「…ひ、人が聞いてんのに、何も返事しないから心配させといて、それはないだろ!」
すると、彼の表情は鳩が豆鉄砲を食い顔から、バツが悪く顰めっ面に変化した。
「す、すまない…」
慌てた様子で謝ってきたのだが、教会の方で尋常ではない<瘴気>が溢れ出しきた。
俺達は視察という楽な仕事から、祓うことまでを視野に入れた大仕事へとシフトチェンジして、教会の敷地内に足を踏み入れた。
「何じゃ、こりゃ?」
「<邪気>を喰らった<瘴気>が具現化し始めたようだな」
「ってことは、今なら簡単に祓える!」
「急くな!」
俺は既に手近に落ちている小枝を拾い、己の生命の<気>を流し込んで武器と成した。それを構えて、成長しようとする<瘴気>に狙いを定めて斬りかかった。
すかっ。
「え?」
しかし<瘴気>を斬ったという感触よりも、空を斬っただけのようだった。武器は、静電気を放ち消えてしまった。何が起きたの考えてみたーー斬れていたのだが、実際には空虚な空気を斬ったが正しい認識で、瑛矢の制止を聞かず動いた自分のミスだ。
「先走り過ぎだ」
「…ご免…」
ぐにゃ〜…。
「おい?詠二!」
俺の視界が歪み、瑛矢の声とピアスの鈴だけが聞こえて遠のいていく感覚がし、そこからの記憶が曖昧になった。
♢♢♢
温かくて少し柔らかい感触。
布団よりも固いか。
何だかとても心地良い気分だ。
「…っ」
薄っすらと瞼を押し上げてみたが、酷く眠い時みたいに目が開かない。
何度も何度も繰り返してみたけれど、中々自分の瞼なのに難しいなんて変だと思うのだが。仕方がないから、体のどこかが動かないか試してみると、喉が動く感覚がした。
「…っ、ふっ」
突然、体が揺れた。
「あ…」
自分の声に安堵したら、激しく体を揺らされたので吃驚した。その反動で目が覚めた。
「…………えっ、あ?」
薄暗くて判り辛い視界に映ったのは、花か葉か、季節柄なら雪が舞い散る様。
温かくて柔らかい感触に、手で触ったら誰の体か気づいて身動いだ。目に映ったのは黒い影だけだが、知った匂いがして分かった。
「…え、瑛…矢?」
自分の体で動かせたのは、右腕と首を少々だった。ぎゅっと強い力で抱きしめられて、足掻くことも出来ずの状態になった。
「瑛矢…ってば、もう大丈夫だけど?」
返事がない。
(こいつってば、俺が気失ってるのをいいことに寝てるのかよ!)
そう思ったが、今は春先で寒い日だと思い出して暴れてみたのだが、びくともしない。何て体に反して怪力なんだと思っていたら、彼がゆっくりと顔を上げた。
「…やっと戻ってきたか」
(戻ってきたとは?)
「覚えてないのか?攻撃して反撃されて引っ張り込まれたことを!」
かっと目を見開いたかと思えば、目を眇めて短い息を吐いた。
「ヤバイかと思った」
「……ご免」
ここはどうやら謝っておいた方がいい気がした。もう一度、身動いだが離してくれる様子がない。怪訝な気持ちで、身動いだ。
「<瘴気>に喰われたんだ。もう暫くは、じっとしてろ」
その言葉に、どんな状況なのかを理解してしまった途端、顔が熱くなるのを感じた。
(何考えてんだ、俺は!)
男同士での体勢に恥ずかしい感情を持ったら、余計に顔は更に熱くなって心臓の鼓動までもが早鐘を打ち始めた。
「交気術中だから、大人しくしてくれ」
「え?…もう、大丈夫だって!」
彼の腕の拘束を解こうと動いたら、今度は目眩に襲われて撃沈した。
「だーかーらー、動くなって。…そう簡単には治らないくらいなんだからな」
自覚ないのは頂けない莫迦だとまで罵られたが、それは俺の心配してくれているとういうことだ。そう思ったら、先程の熱がぶり返してパニックに陥った。
「そんなに体を力まれると、やり辛いから力抜けよ」
治癒に必要な言葉として息を吐くように言ったのが、パニックっていた俺は余計に力が入ってしまいーー彼に首を掴まれた瞬間、気持ちがピークに達していたのか空気が抜けた風船みたいに力が抜けた。
耳元で笑い声がして、反応を楽しまれていたことに気づくも遅かった。
「俺で、遊んだな?」
「何のことだ?遊んでる暇はない……お前の失態で時間ロスしてるんだが」
「そうやって揶揄って!」
軽くはなった目眩に襲われて、へにゃとなった。
瑛矢は声を殺して喉の奥で笑った。
「お前って、面白いな」
彼に醜態を晒す羽目になったのは、当然の結果だった。
♢♢♢
やっと離れてくれた頃には、辺りは真っ暗でスマホを見ると午後七時半過ぎていた。確かここに来たのが昼過ぎなら、随分と長居したことになる。おまけに仕事を碌にしてもいない。
(ま、不味いぞ、これは!)
「さて、本体も動き出す頃だ。突入しようか?」
「え?」
「まだ惚けてるのか?お前が先走ったせいで、時間ロスしただけだ。仕事は、まだ終わっちゃいないぞ」
彼の言葉が刃となって、俺の心に突き刺さった。
「…わ、分かってるよ!」
「どうだか」
彼が左手を上に翳すと、何かが小さな破裂音がした瞬間ーー辺りが歪んで見えた。昼間よりも、<瘴気>が倍増しているらしく、夜の暗さが余計に闇深さを感じた。
「げっ!」
<瘴気>が意思を持って蠢く様を見て、思わず目を剥いた。教会の窓から見える範囲だけでも、神父が悍ましくも涎を垂らしてシスターを襲いかかっていたかと思うと、逆に虚ろな眼差しになった神父に艶かしく着衣を脱ぎ捨てて、下着姿で神父の体に纏わりついて煽ったかと思うと、再びシスター牙が悲鳴を上げて、神父が襲うということを繰り返していた。
「とりあえず、<瘴気>を何とかしないといけないが、もう大丈夫か?」
「やった本人が聞くなよ!」
俺は軽々と跳躍して、窓ガラスを突き破った。瑛矢の方は両手で印を結んで、聴覚では捉えられない高音域の声で呪を唱え始めた。それは窓ガラスを突き破る必要もなく、寂れた教会の構造だと簡単に突き抜けていく。
室内にいた二人は、どこからともなく聞こえてくる経に耳を押さえて蹲った。<瘴気>に侵された者には、かなりの苦痛を与えているらしい。その二人の首に俺は手刀を叩き込み、床にうつ伏せにしたら神父とシスターの背中に護符を貼りつけて、割った窓ガラスを<力>で修復したら、痕跡を消して窓から出た。
「わあー!」
「きゃあ!何なのですか!」
「知らん!そんな趣味はないぞ!」
「何故、裸なのかしら?神父様は服が乱れてますが?」
「だから、私は知らん!」
塀の外まで聞こえたのは、神父の悲鳴とシスターの悲鳴に加えて彼を責める言葉と、必死になる神父の声だった。確かに、あの状況で正気に戻ったら、ややこしいやら由々しきことだろう。どう誤解を解くかまでは、彼等次第だ。そこまで面倒見はよくはないし、我々の仕事ではないから捨ておくしかない。
「急いで追うぞ」
「勿論!」
俺は塀から、ふわりと飛び降りた。
<瘴気>が教会から意思があるみたいに逃げたということは、十中八九の確率で術者がいる筈なのだ。犯人を捕まえて記憶消去と改竄を行うのも、俺達の仕事のひとつである。
<瘴気>は、廃墟と化した小さな町工場に入っていった。この街全体が寂れてしまっていて、それが今回の事態を招いた要因の一つだろう。それは街に入って感じていたが、<瘴気>を視たらトリガーのような作用をしていたようで、幾つものスポットで増幅していた。
先程の教会も然りだ。
意図的にスポットを選んで、<瘴気>を注ぎ込んでいるようだ。ということは《術者》が、かなりの<力>を有しているとみていいだろう。
ぶわっ!
(!)
とんでもない<瘴気>の膨らみに、目眩を感じた。しかし瑛矢が肩に手を乗せると、嘘のように目眩が治った。
彼とのコンビは今回で二度目になる。こんな<力>が強いのに、どうして本来のパートナーである彼女が、今も意識が戻らないような重篤な状況に陥ってしまったのかが解せなかった。メンバーの中では中くらいの<力>しかない俺と組むなんて、どう考えても可笑しいのだ。
「仕事中だ。気を逸らすな…死にたくなければ、な」
「…分かってるよ!」
一々、小言めいたことを言うのは、当然のことだ。俺はいつも気を逸らしがちで、いきなり突っ込んでいくからだと分かっていても、性分なのか改めることが出来ないでいた。
けれど彼と組むと、呼吸がし易いというか動き易いーー多分、彼が負う領域が大きいのだろう。自分の<力>何て、ひよっこ並みだから舞織と組んで、簡単な仕事しかさせて貰えない理由が否応無しに分かってしまう。
(…今、考えて…どうするんだよ!)
頭を振って気持ちを切り替えて、瑛矢を追いかけた。
「瑛矢!」
瑛矢が女に組み敷かれている姿を見て、女に容赦なく体当たりで突っ込んだ。女と一緒に地面に転がった。彼は咳き込みながら、自力で立ち上がった。
「もう、ちょっと、早く来てくれよっ」
刺さる言葉を吐けるなら、大丈夫じゃないのかと思い、遅れて立ち上がった女に、《気砲》を放った。彼は察して身を翻して、彼は《九字》を切った。ということは、この女は人間ではないというだ。ならば、容赦なく《術》を撃てるということか。
「よくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくもよくも‼︎…やってくれたなぁ!」
二人がかりの攻撃は、人間の皮が剥ぎ落ちて姿なき化け物の本性が露わとなっていた。それは<瘴気>が実体化したようなまだぼやけた姿をしていた。
「妖怪だったのか」
「そのようだな」
妖怪だったにしては、とても歪でどの種族にも属さないタイプだ。人間の皮が剥がれたことで、体臭と思われる死臭がエグかった。
「臭いがたまらん!」
瑛矢が顔を歪めて思案に耽る横で、俺は舌をベェと出した。