<十二>
♢♢♢
「大人しくしてろ!」
「暴れても無駄だ!」
「お前らは、外を見張れ」
リーダーらしき男に従っていた男達は、乱暴に部屋に押し込めて出て行った。
「何なのよ!痛いってばっ!」
とても残念なイケメンという部類に入る痩躯に爬虫類のような眼をした色白の青年が、部下に命じて連れてこられた彼女をソファに座れという指示に従わなかったので、突き飛ばした。
「きゃっ!」
「悪いようにはしないから、大人しく従ってよ」
「私を攫ったりして、安易なことをしたわね。すぐに警察にバレるわよ?」
「警察ごときが敵う筈ないだろう。我々にはアスラ様がいらっしゃるのにさ」
(…は?羅刹にアスラって、瑛矢が言ってた…)
ならば、勝算はこちらにあるではないか。舞織とて、ただの人間ではないーー能力者の家系出身者である。だが攻撃に特化はしていないのが難であるけれども。
敵を《結界》に閉じ込めることや敵に対して、精神的束縛状態にするのは容易だ。
(羅刹に効果があればいいんだけど…)
妖や魔物といった輩には、何度かしたことがあったのだけど、羅刹という初めての対象物だ。初めて故に、一抹の不安が心の中を過ぎった。
迷っている暇はないので、仕方なく術を使う決心をした。
「ーーーー縛々々、不動縛ーー闇溶けて紛れてすり替われ…闇の目を塞げ……」
舞織独自の呪によって、この場に異なる空間が出来上がる。敵は彼女を見失い、嗅覚を使って探し始めるもそれすら覚束ない様子で、右往左往して見当違いを探して部屋を出て行った。
成功とは言い難い状況だが、今の内にここから離れるのが賢明だろう。敵とは違う反対側から出口へと、<気>を集中して向かった。
どくどく。
どくどく。
どくどく。
(心臓の音…やたらに響いちゃうなぁ)
術を行使してあっても、耳聡い妖とかに気づかれてしまいそうで、余計に心臓が早鐘を打ってしまう。
(は、早く、こんな巣窟から出なきゃ!)
今幻覚幻聴の最中にいる敵は、まだ気づいていないようだが、もたもたしていたら気づかれれば命はない。
(こんな時、詠二達がいたらっ)
涙が溢れてきた頃には、何とか外に出ることに成功したのだがーー。
「みーつけた♡」
「…っ!…羅刹…」
敵に見つかってしまったけれど、あの部屋にいた奴ではなく、女性の姿をした浅黒い肌をした羅刹だった。
「そんなに怯えなくていいわよ。取って喰う気はないから」
敵らしからぬ笑みを浮かべると、私の手を掴み、更に敷地の外へと誘った。
「これって、罠…?」
怖くなったけど、声を絞り出すように呟いた。彼女は、とても柔らかい笑みをこちらに向けてきた。
「心配しないで。彼等の元に送り届けて上げるから」
「…か、彼等って…?あいつらに引き渡す気なの?」
私は力一杯、彼女の手を振り解こうとするが、同じ体格の女性なのに羅刹故か振り解けずに、最初の角を左に向かい、次の角を右に左にとーー三叉路では真っ直ぐにーーやがて繁華街に近づいた頃、二つの人影が前方に立ち塞がっていた。
「半人半神ーーサイ様。…彼女をお連れ致しました」
敵の筈の羅刹の女は、左側に立つ人影に頭を垂れた。
「ありがとう。マーヤ」
「瑛矢…っ」
彼の声に聞き覚えがあり過ぎて、私は思わず泣いて、彼に縋りついた。瑛矢は、突然のことに驚きながら私を抱きしめてくれた。
「あーあ……舞織は、俺より瑛矢の方がいいんだな」
隣りには詠二がいて、嫉妬めいたことを呟いていた。
「瑛矢。羅刹と知り合い?敵なのに?」
「マーヤは羅刹じゃない。…擬態してるだけだ」
瑛矢がそう答えると、羅刹の女は黒い猫の姿に変わった。
「…え、可愛い猫ちゃん♡」
「マーヤの本性だ」
マーヤは、ただの黒猫ではなく、瑛矢の古くからの使役だそうだ。彼にこんな使役がいたなんて、私も詠二も知らなかったので驚いたのでした。
♢♢♢
褐色の肌に額にはヒンディ特有の、否ーーあり得ないことに第三の目が見開かれていて、その眼差しから逃れられずに凝視していた。
ーー従え!
暗示をかけられているのを理解していたが、視線が逸らせないし、体の自由が利かなかった。
(あーあ。ここまでか…)
まだ成人したかしていないかの狭間の褐色の肌を持つ彼に、あっさりと正体がバレて拘束されてしまっていた。
「君は、バイラヴァだよね。こんなあからさまに姿を見せて、無事で済むと思ったのかい?」
態とだと気づいている癖に気づかないふりをするのが、とてもいけ好かない奴だ。ただ、否定も肯定もしていないのに、勝手にことを進めてくるけれど、拘束を解くことも出来ずにいた。それだけ<力>が上位だと、半分だけ神の自分が警告するばかりだった。
「バイラヴァである君に、素敵な役割を与えてやろう」
彼は笑みを深くして、彼女の額に指を刺し挿れ、赤黒い光りを注ぎ込んだ。
(…傀儡に、されるなんて…)
とんだミスをしたものだ。アスラ化よりも質が悪い。今までにこんな目に遭ったのは、記憶の中では初めてだ。
「さぁ、仲間の元に戻るが良いよ。…『何もなかったんだ』と言ってやればいいだけだからね」
彼女は、こくりと素直に頷いた。幽鬼のように立ち上がると、はたりと我に返ったかのように周囲を見渡して首を傾げながら歩き出した。
ーーそうだよ。仲間の元へ禍いをばら撒いて上げてね。
「ど、どうして!こんな莫迦なことを!」
「………っ‼︎」
彼女は声にならない叫びを上げて、彼女が齎した禍いの赤黒い業火で、既に半数を失った仲間を焼き払った。
「あ、あああっ!」
<力>を発揮するまでもなく、致命傷を負った最後の一人も業火に消えていき、彼女も正気に戻ったけれどーー時は既に遅かった。
「暫しの正気だったね。…お前は、狩らなくていい」
「アスラ化してしまったんじゃ、狩人失格だよね。仲間を思うと、安寧な死を与えたくはないけど…仕方がないね」
「コウ!」
彼の叫びと同時に、サイレントな雷が彼女を直撃して、何も残らないくらいの消し炭にしてしまった。
「もう何度、お前が傷つきながら堕ちてしまった仲間の始末をさせてた。けど、今回ばかりは無理だっただろ?」
彼の悲しげな眼差しに射抜かれて、同士討ちさながらの勢いで、飛びついたが力が抜けた。逆に彼を抱きしめながら、背中で涙を流して目を閉じた。
「もう、片手で足りるだけしかいない。神からの援軍なんてありはしない。俺達だけで何とかして、アスラを殲滅しなければならないーー暫くは、一緒に行動しよう。分かったよな、サイ?」
ーー人界に、人界に来られない筈のアスラが…いるよ。
ぼんやりとした輪郭、霊体であることが分かる。その霊体は、先程の雷で消し炭になってしまった彼女だった。
ーー人界に、現世に、アスラが存在よ。気をつけて…。
彼女の霊体は、風に拐われるように掻き消えた。
「「何だって?」」
「…え、嘘でしょ?そんなことって」
ーーあり得ない。
その筈だった。だって、いくら神とはいえど、人界に、現世に降りてくるには、<神力>を神座に置いてこなければならないのだ。人界では許容量があり、神自体が<神力>を保持して降臨すれば、キャパオーバーで現世が破壊しかねないのだ。一度試みかけて、人界が揺さぶられて天変地異が起きかけたくらいだ。
「いくら操られていたとはいえ、あいつが嘘を吐く筈がない」
「じゃ、魔神が降臨したってことなら…」
「ああ、アスラ化が加速してしまうだろうな」
彼女の暴走から免れたほんの数人の狩人達が、夜明けの日が差し込むのを鎮痛な面持ちを疲弊し切った表情に乗せて見遣った。
♢♢♢
「舞織が無事で良かった良かった」
課長は、紅一点でもあり彼女が無事に帰って来たことを喜んだ。この部署は、警察であって警察ではないとはいえ、表向きは事務方となっているが、得体が知れない怪奇な部屋と誰も寄りつかないのだ。実際に警察関係者は、課長のみである。
「ご心配をおかけしました」
彼女は、深々と頭を下げた。
そんな姿を見つつ、瑛矢の方が気になった。というのも、あの黒猫のマーヤが今は男性警察官の姿で、彼の横で待機していた。
(何で?)
「そろそろ、本格的に動き始めてるようです。だから、こうして側に控えてるんですよ」
ぼそぼそっとした低く小さな声で、マーヤが告げて来た。
「お前は、もう戻ってていいぞ」
課長には、普通の警官に見えるらしい。何てことなく、手を振って促したーー側に控えているのだと言いつつも、課長の指示で、彼からあっさりと離れて行ってしまった。
「はい」
マーヤは、瑛矢を一瞥して退室して行った。
「舞織は、このまま帰宅して、三日間は休暇をしてなさい」
「え?どうしてですか?私、もう何ともないですけど?」
「上司の命令には、従いなさい」
そう言ったのは、かなり疲弊気味の晴明だった。やっと神社での件が片付いて、昨日の夕方に戻って来たばかりだ。
「わしがこの有様では、有事に対して何も出来んし、瑛矢と詠二には荒事をして貰わんとならん。舞織はには完璧な状態になって貰わんと、のう」
彼を睨むように一瞥して、舞織の背中を優しく撫でた。
「分かりました。…瑛矢、無茶しないでね」
「善処する」
彼の返事に、かちんと頭にきたが、彼の表情に違和感というか何とも言いようがない感覚になって堪え、帰宅の準備を始めた。




