僕の願い(後編)
世界平和を願ったところで、すぐに変わることもない。僕を待つ二人の元へと戻ると、キハが話し掛けてきた。
「早く済ませて帰ろうって言ったのに、結構時間が掛かってたんじゃないか?」
機械と話していると安心でき、時間を忘れ話し込む僕。今回は短い方なのだが、待っていた彼には結構な時間だったらしい。
「ごめんごめん。待たせちゃったね。待たせついでに何だけど、トイレ行ってきても良いかな?」
何も言わずにセイラちゃんが右手をトイレの方向へと動かした。溜め息を吐きながら。
「今度こそすぐに戻るね」
トイレへと入ると鞄を小便器前の棚に置き用を足した。鏡を見ながら手を洗っていると後ろの扉が気になる。今にも幽霊が飛び出して来るような気がして。
「今回は早かったな。さぁ帰ろうぜ」
何事もなく戻って来た僕へとキハが言う。待たせないように急いだ訳でもないが、二人には分からないこと。わざわざ言う必要はない。
「願い事もしたし、スッキリもしたし。今日は大満足だ」
役所を出る僕たち三人。僕は忘れていた。帰り道が家まで徒歩であることを。
「あー。疲れた。すげぇ不便なんだな。オートウォークが使えないって」
僕の家の前に着き、天を仰ぎ話すキハの後ろではセイラちゃんが両膝に手を当てて肩で息をしている。
「明日には直ってるらしいけど。これだけ運動したら夜はぐっすり眠れそうだね。今日は付いてきてくれてありがとう」
僕の感謝の言葉に二人は姿勢を変えずに右手の親指を上に立てて応えた。
「誕生日おめでとう」
口を揃えて祝ってくれた二人。流石は仲良し夫婦といったところか。予想外だとは言わないが、嬉しい言葉に僕の目頭は熱くなる。
「ありがとう。じゃあまた明日学校で。二人とも気を付けて帰ってね」
ゆっくりと歩いて消えていく二人。姿が全く見えなくなるまで見送ると、僕も家の中へと。家の中に。入れない。鞄が。無いのだ。
幽霊に怯えてトイレから飛び出した僕。棚の上に鞄を忘れてきたのだろう。両親が帰れば家には入れる。しかし勉強道具やら身分証やら必要な物が入っている鞄。取りに戻るしかない。
三人で帰った時よりも時間が掛かった。もうすっかり夜。役所の中も暗くなっている。なのに開いているのは職員さんが誰もいないからだろうか。
曲がり角からお化けが飛び出す。誰もいないのに突然動き出すエレベーター。思春期の豊かな想像力は今は邪魔者でしかない。
想像に反して何事もなく鞄を取り戻した。あとは帰るだけ。
トイレから出た僕の視界の端。何かが動いた。恐る恐る気配を目が追っていく。機械の部屋の前。暗い廊下にぼんやりと輝く人影。違う。輝いているのは彼女の金色の髪。
身動きを取れずにいると、僕の存在に気付いたのか、女の子が近寄って来る。
「まだいたのか。いや、助かったぞ。レン」
聞き覚えのある声。透き通っていて安心感のある声だ。目を離せずにいる僕。彼女の足元へとライトを向ける。
遠くから見ても分かる丸く大きい目。しなやかに揺れる腰まで伸びた金髪。ぷっくりとしたピンクの唇。高く細い、筋の通った鼻。
恐怖で動けなかった先ほどまでとは違う。可愛い。いや、美しいと言った方が正しいのだろう。全てのパーツがお互いを引き立て合い、まるで芸術品のような美しさを作り上げている。美しさの衝撃に、僕の全神経は目に集中され、他の機能を停止したのだ。
「レン。なぜ誰も役所に来なかったのかが分かった。君の学校からのルート以外の道にバリアのような物が張られていた」
さっき僕を見付けた時の嬉しげな表情も良いけど、真剣に話してる今の表情も良いな。もはや全ての表情が美術館に飾られているべきだろう。
「聞いてるのか? 三十年振りに敵が攻めて来るんだぞ。初めて街中で戦闘になる。しかもこの国のど真ん中である私の」
彼女の言葉が終わる前に爆音とともに建物が揺れた。外の方から聞こえたが、僕の鼻にも焦げ臭いにおいが届く。
「ややこしい話は後に回そう。レン。願い事を二つとも叶えてやる。だけどどちらも私の領分ではない願いだ。だから君も協力してくれないか」