第6章 秋晴れの朝
爽やかな秋晴れの朝。
朱夏は心地よく目が覚めた。
隣ではまだ夢の中にいるエリが気持ち良さそうに寝息を立てている。
(穏やか……ですね。)
カーテンから漏れる薄明かりに眩しさを感じながら朱夏はゆっくりと体を起こそうとする。左手は大きなギブスに巻かれているため、右手で体を支えながら布団から出ようとするが上手く行かない。必然的に体がモゾモゾと動き、エリはその振動で目を覚ました。
「ん……。朱夏? おはよ」
「あら? おはようございます。すみません、起こしてしまいましたか?」
エリは目を擦りながら大きな欠伸をひとつ。
それから朱夏の布団を剥がして、背中を支えながら体を起こすのを手伝った。
「大丈夫。手、怪我。何でも言って?」
エリは眠たそうにしながらもそんな事を言ってくれる。
「エリ……ありがとうございます」
優しい同居人に朱夏は微笑んだ。エリもほんわかと笑うとそそくさと再び布団に潜り込んでいった。
すぐさま寝息が聞こえてきて、朱夏はやさしい眼差しでしばらくエリを眺める。健やかに眠る同居人は、平和の象徴のように思えた。
(本当に、生き延びれたんですね。清々しいです。)
心地よい朝に朱夏は生き延びたことを実感し、窓へ向かうとカーテンの隙間から外を覗いた。
静寂の中、小鳥の囀る音が聞こえ、窓からは優しく朝日が漏れ出している。
(あれ? 今、何か物音が……?)
ふと物音の方向を見ると、正面の家の海馬の家からのようだった。しかも、朱夏が今覗いている窓の正面に見えるのが海馬の部屋の窓。不思議に思い眺めていると、そこに人影が見えた気がして朱夏は窓を開けた。窓の向こうの人影も、物音に気がついたのかカーテンを開いて見せる。
そこには、見慣れた幼馴染みが驚いた表情でこちらを見ている。普段とは違う、パジャマ代わりの大きめのTシャツ姿は家に居る時ならではの格好だった。
「あ、あれ? 朱夏じゃないか。おはよう?」
海馬は自分の部屋が朱夏に見られていた事に気がついて窓を開けた。
「ふふっ。おはようございます。たまたま、カーテンを開けにきたら物音が聞こえたもので」
「あぁ、そうだったんだ? 待ち合わせの時間までまだあるから……何かあったのかと思ったよ」
それを聞いて海馬は穏やかに笑った。少しだけ安堵の表情も伺える。
最近やたらと事件が多いので、海馬は普段と違う行動にやや敏感になっているようだった。
「っていうか、朱夏、パジャマのままじゃないか。そんな恰好で窓を開いちゃダメだよ」
次に海馬は朱夏の格好を見てちょっと顔をしかめつつ、周りに誰もいない事を確認し始めた。朱夏の無防備な行動が海馬は気になって仕方ないのだ。
けれども、朱夏はお構いなしだった。自分の事を心配してくれる海馬の事を見て目を細めて笑った。
「ふふっ。大丈夫ですよ、海馬君しかいませんもの? ……それにしても、海馬君朝起きるの早いですね?」
朱夏が時計を確認するとまだ6時にもなっていない。普段7時頃に目を覚ます朱夏からすればこの時間は早朝の部類に入る。
「いや、ただ寝てないだけなんだ。僕、部屋がめちゃくちゃになってたの知らなくってさ……一晩中片付けしてた」
「あ……そういえば、そうでしたね。私がお邪魔させていただいた時もぐちゃぐちゃでしたし。でも、さすがに一晩中かかる程ではありませんよね?」
昨日は歩く場所さえなく散らばっていた本やら置物が全て綺麗に並べられている部屋を一望して、海馬は達成感に胸を張ったが、朱夏は指を顎に当てて首を傾げる。昨日解散したのは6時頃だったのでかなりの時間を片付けに要している事になる。確かに部屋はぐちゃぐちゃだったが、朱夏には一晩中かかるとは思えなかった。
「う……。ついつい、出てきた本とか漫画とか読みふけっちゃって……あははは」
指摘を受けた海馬は少し恥ずかしそうに笑うと、朱夏はジトっとした目で見返した。
3秒ほど沈黙が流れる。
と言うのも、今日は一緒に秘密基地に行く約束をしている日だ。そして、その秘密基地へは山を登らなくてはならない。
「何やってるんですか。今日は山に登るんですよ?」
朱夏はちょっと不満げにそう言った。子供の頃でも上っていたとは言え、秘密基地は山の中にある。獣道に近い道を15分は登るなので、それ相応に体力がいる。
「も、もちろんさ。大丈夫だいじょうぶ!」
海馬がへらへらと笑いながら言うものだから、朱夏は口をとがらせて拗ねてみせた。
「……むぅ」
「大丈夫だって! ……そうだ。二人して早く起きてるんだ。早めに行こうか、秘密基地!」
海馬の提案に朱夏の眉毛がピクリと動いた。一見、朱夏の事を思っての発言のようにも聞こえるが、朱夏には海馬の腹の内が丸見えだった。
「仕方がありませんね。実は既に眠いんですね? だから早めに行きたいんですよね?」
呆れた顔で朱夏がそう言うと海馬は目を逸らす。
「そんな事……なくはないかな……ははは」
図星な様子に朱夏は半笑いで肩をすくめた。
「もぅ……6時半頃には準備でしたら出来そうですよ?」
「じゃぁ、6時半ね!」
困った顔で笑いながら海馬は手を振ってくる。そんな海馬を見て朱夏も仕方がなく笑った。
「解りました。では、また後ほどお会いしましょう」
「ああ。またあとでね!」
二人はそう言うとお互いの部屋のカーテンを閉めるのだった。
◇◇
同日の朝6時。
明日から小学校の後期が始まる連覇は体をならすために早起きをした。
昨日、この田舎町に帰ってきたばかりで部屋は雑然と旅行の荷物で埋め尽くされたままだ。ごちゃごちゃと置かれた服を蹴飛ばして連覇は起き上がった。
「ふあああ」
五芒星レンジャーのパジャマをそこらへんに脱ぎ捨てて、代わりに五芒星レンジャーのTシャツに着替える。連覇の部屋は五芒星レンジャーのグッズで埋め尽くされていた。とりわけ、レッドが多いのは彼がレッドの大ファンだからだ。そして、仕上げに大好きなレッドの人形をポケットに忍ばせると、連覇は自室を後にした。
「今日……ラジオ体操あったっけ?」
連覇は困った顔でラジオ体操のカードを見ている。
しばらく行っていないから、ここのところずっとスタンプが押してない。そのスタンプの少なさにちょっとだけ不安を覚えて連覇は連覇のママに話しかけた。
「ママ―。ラジオ体操行って来る」
「え? 今日ラジオ体操無いと思うわよ?」
連覇のママは驚いた表情でそう言う。今日はもう9月2日。ラジオ体操は31日で終わりのはずだ。
「連覇、あると思うもん! だから、行って来る! なくてもエリと遊んでくる!」
連覇は元気よくそう言った。自分が納得しないと嫌な性格の連覇をママは止めたりしない。
「え? ……まぁ、気になるなら行っておいで? でも、エリちゃんまだ寝てるんじゃないかしら?」
「うぅん! エリならきっと大丈夫! いっつも玄関前で待っててくれるもん。それに、五芒星レンジャーまでには帰ってくるから!」
今日は日曜日。連覇の大好きな五芒星レンジャーは8時にスタート。
その言葉を聞いて連覇ママは安心する。連覇が五芒星レンジャーを見逃したことは今まで一度だってないからだ。
「わかった。気を付けて行ってらっしゃい」
「うん、行ってきます!」
そう言うと連覇はラジオ体操のカードを片手にドアを開ける。
履いた靴ももちろん五芒星レンジャーだ。連覇はかっこいいレンジャーのごとく駆けだした。
向かう先は、エリの家だった。
連覇の住んでいるマンションは駅、そして小学校の近く。踏切を渡ればエリの家は5分くらいで到着する。けれどもいつも家の前で待っていて暮れるフリフリの女の子はそこには居なかった。
「あっれー? やっぱり今日ラジオ体操ないのかな?」
連覇はあたりをきょろきょろと見間渡したが、誰も子供が歩いていない。いつもならすぐそこの公園に向かってチラホラと友達が歩いていくのが見える時間だ。
その時、ガチャッっと扉が開く音がして連覇はすぐさま振り向いた。けれどもそこから出てきたのはエリではなかった。
「あら? 連覇君ではありませんか」
その時、扉から出てきたのは朱夏だった。急遽6時半に約束の時間が変更になった朱夏が家から出てきたのだ。
「あ! 朱夏お姉ちゃんおはよう! エリは?」
部屋の窓をチラッと見る。先ほど体を起こしてくれた後スヤスヤと寝息を立てていたエリを思い出して朱夏は申し訳なさそうに連覇を向く。
「エリですか? まだ、寝ていると思います」
まだ朝の6時半前なので、小学生が遊びに来るには早すぎる時間帯だった。
「え!? やっぱりラジオ体操って今日、無いの!?」
そう言われて朱夏はなぜ連覇がここに来たのかを悟った。この少年はもう終わったラジオ体操の為にこんなに朝早くにここへ来てしまったのだ。
「ラジオ……体操? 確か8月31日までですよ?」
その一言が決定打となってようやく連覇は今日ラジオ体操がない事に納得する。
「えええええ……。やっぱりそうなのかぁぁぁぁ」
「ええっと?」
しょんぼりとした連覇にかける言葉を朱夏が懸命に探していると後ろから声がした。
「あ……! あれ? 連覇だ!」
その時、大好きな連覇の声が聞こえてエリが二階の窓から顔を出した。丁度起きてきて開いていた窓から聞こえた声に反応したのかもしれない。
「あ! エリ、おはよう! 連覇さぁ、ラジオ体操あると思って来ちゃった」
「え!? ……あはは! 連覇、バカだ!」
「あはは!」
エリが屈託のない笑みで連覇に笑いかけると連覇もまた楽しそうに笑った。
「こら! エリ! 友達にバカだなんて言ってはいけませんよ?」
朱夏はエリにそんな事を言うがエリは全く朱夏の話を聞いていない。
「エリ、用意する! ちょっと公園で遊ぶ、まってて!」
「やった! 流石エリ!」
二人は最早二人の世界にいる。エリは準備をする為屋敷の奥に入っていった。
「まったくもぉ……。連覇君、ここで待っていてくださいね。少ししたらエリが来るようですので」
「うん。朱夏お姉ちゃんもありがとう!」
連覇は笑顔で朱夏にそう言った。それを聞いて朱夏はようやく玄関を後にする。
「あ、海馬君!」
玄関の目の前には今の会話をそっと聞いていた長身の金髪男が朱夏の事を待っていた。服は先ほどのラフな格好ではなくいつも通りの派手なシャツだった。
「おはよう、朱夏ちゃん。って、山登るのにその恰好?」
「あら? 今日はフリルとかついてない歩きやすいワンピースですよ?」
「……そう言う問題なんだ?」
対する朱夏は相変わらずのひらひらとしたワンピースだった。
どう考えても山へ向かう格好ではない二人組はそう言うと仲良く並んで歩き始める。
2人……いや紗理奈と3人でたくさんの時間を過ごした秘密基地へと。