第5章 残された日記
とある木に囲まれた小屋の中。
薄暗い小屋には糸目で白衣の三つ編み少女と気味の悪いマントを被った男がいた。
「大事に取り扱うっしょ」
不気味に木々がざわめく夕暮れに白衣の少女紗理奈はそのマント男と話をしていた。
布でくるまれた物体をマント男に差し出す。得体のしれない布の塊からは血の匂いが漂っている。
「ヒッヒッヒ……これがオリジンの足……ですね?」
男は奇妙な引き笑いをしながらその布でくるまれた物を受け取る。布をめくってみるとそこには人間の足があった。
「向井鷲一の足……確かに受け取りました。それにしても、力を使い果たして作動しなくなるなんて、アナタは飛んだ役立たずですね」
皮肉たっぷりにマント男が紗理奈に言うと紗理奈は唾を吐き捨てた。
「ペッ……アイツらを舐めてかからない方が良いっしょ」
紗理奈は男を睨みつける。その男は黒いシルクハットにマント、そして白い髭を蓄えていた。その服装はマジシャンそのものだ。
「まぁ、アナタもS-04も深傷を負わされたようですねぇ。例の向井鷲一達に。そろそろ何か手を講じなくては行けませんね?まぁ、この足があれば、あのボスがようやく動き始めることが出来ますねぇ。その事だけは褒めてあげてもいいですかねぇ?」
白髭を撫でながらボヤくようにシルクハットの男は言う。紗理奈はそんな男のボヤキなんてどうでも良さそうに、睨みつけている。
「おや、連れないですねぇ。」
「ボスに、伝えるっしょ。私たちはしばらく動けない。だから、自由にさせてもらうっしょ」
元から会話をする気のない紗理奈は、自分の要件だけを言って去ろうと思っていた。けれども、それを聞いた目の前のマント男は表情一つ変えずに薄気味悪い笑みを浮かべている。男は被っているシルクハットを紗理奈の前に差し出した。紗理奈は不信に思ってそれを覗き込む。
「……何?」
紗理奈がシルクハットの中まで覗き込むと、突然そこから白いハトが飛び出してきた。
「クルックー!!」
「キャッ!!」
マジックショーでよく見かける手品が急に繰り広げられて紗理奈は驚いて小さく悲鳴を上げた。
「ヒッヒッヒ……自由に動くのは……自由ですねぇ。けど……この鳩が貴様らを……監視しますね。お忘れなきようお願い申し上げますねぇ?」
丁寧に頭を下げるとシルクハットを再びかぶりなおす。
「……全然自由にさせる気は無いって事っしょ……」
面白くなさそうに紗理奈は白いハトを睨みつける。
「ヒッヒッヒ……。どうとらえるかはあなた達次第ですね」
「さっさと行くっしょ。鮮度が落ちると培養が難しくなる」
吐き捨てるように紗理奈は男にそう言った。
「では、わたくしめはこれで失礼しますね」
マントを翻して引き笑いの男は去って行った。
「……」
紗理奈はそいつを睨みつけたまま、歯をギリギリと噛み締めるのだった。
◇◇
焼肉パーティーの後、海馬は自宅へ真っ直ぐ戻ってきた。
怪我をしていたのと、両親が経営している病院というのもあり、海馬はこの3日間病院で寝泊りしていた。つまり、家に帰るのも3日ぶりだった。
「なんか、久しぶりだ」
狼となり自我を失って、部屋を窓から抜け出した話は朱夏から聞いていた。しかし、自室のドアを開いて海馬は愕然とする。
「な、何これ?」
部屋は、狼が暴れ回った跡がそのまま残っていた。本棚は倒れ、机の上にあった物は床に散らばっている。一番酷かったのはドアだった。そこには野太い爪痕が何本も残されていたのだ。
「こ、これ。僕がやったのか?」
疑問形で口から言葉が出る。しかし、自分でやったとしか回答は出てこずに、深いため息が出た。
「これは……かなり迷惑かけたな」
予想を遥かに上回る暴れように海馬は頭が痛くなった。ため息がもうひとつ否応なしに出てくる。
海馬は仕方がなく倒れている本棚を元に戻し始めた。本棚の物と机の上にあった物とが混ざり合って床にぐちゃぐちゃと散乱していて顔を顰める。元から綺麗好きな一面がある海馬は混ざってしまったそれらを分別して机に移動した。
すると、机の上のど真ん中にキッチリと置かれている自分の日記が目に入ってきて動きを止める。それだけがこのぐちゃぐちゃな部屋でただ一つ綺麗な配置をしていた。
「日記……ペンダントに気がついて誰か読んでくれたのか?」
海馬は手の荷物を一度脇において机に座った。目の前の日記にはペンが一本挟まっている。
「ペン?どうして?」
疑問に思い、徐にペンが挟まっているページを開いてから海馬は目を見開いた。
「こ、これって!?」
日記には自分とは違う細い文字がつらなっている。女性らしいその文字は海馬に宛ててのメッセージのようだった。
「朱夏……なのか?」
状況を考えるとそれしかない。心琴は捕まっていたし、あの日に動けた女性は朱夏くらいだ。桃や杏が部屋に入ったり母親が家に戻った時に自分の日記をわざわざ読むなんて事はしないだろう。
海馬は部屋の片付けもほっぽり出して、その文章に目を通し始めた。
◇
海馬君へ
私は今、貴方に言いたい事が山程あります!でも、時間もありませんから少しだけ。
ひとつ。
こんな風に置き手紙で大事な事を伝えるのはズルいですよ!ちゃんと目を見て話して欲しいです。
ふたつ。
海馬君はいつだって抱え込みすぎです。もう少し私や仲間を頼ってください。
みっつ。
私は今、貴方のことを死ぬほど心配しています。今日を乗り越え生き延びても、貴方を狼から人間に戻れる方法をこれから探さなきゃいけないんですよ?でも、私、絶対に諦めませんから。生き延びて見せます。だから、安心してください。もう二度と殺してなんて言わないでくださいね。
って……これを読んでるって言う事は海馬君が生き延びた後になるんですよね。
まぁ、いいです。私の今の心境が伝われば。
鷲一さんが怪我をしてまで情報を掴んでくれました。そろそろ私も行かなくてはなりません。また、海馬君と並んで勉強出来る事を信じて、戦ってきます!
◇◇
全ての文章に目を通して、海馬は少しだけ愛おしそうに日記の文字をなぞった。
「ふふっ。やっぱり朱夏ちゃんだ。心配かけたんだよね……ってあれ?」
海馬は文字をなぞった指の先に更に文字が書いてあることに気がついた。さっきまでは罫線に沿ってきれいに描かれていた文章とは別に海馬が書いた文をまるで囲んで右に矢印が記されていた。矢印の先には空いたスペースに小さく文字が書かれている。
まるで囲んである文字は「あの時、朱夏は紗理奈を信じないで」の部分だった。
矢印の先にはこう書かれている。
追伸 私、『紗理奈を信じないで』なんて言った覚えがありません!勘違いしていませんか?
その文章を見て海馬は目をパチクリとさせた。
「ん? 何だって?」
海馬の中ではとても印象深い言葉だっただけに、記憶違いではない自信があった。
「まぁ、二年も前のことだし、朱夏が忘れただけ……かな?」
朱夏は記憶力が良い方だが、会話の内容なんて誰でも忘れる。取り分け2年も前の事なら尚のことだ。
「でも、どうしてこんな事をわざわざ書いたんだろ?」
海馬の中でその文章だけが違和感を残した。
「……まぁ、今は良いや。片付けしなきゃ。ってか、この量今日中に終わるかなぁ」
海馬が後ろを振り向くとまだまだ床が見えそうにない。海馬は再び大きなため息をつくとせっせと部屋を片付けたのだった。