第40章 指切り
「マジですみませんでした!!」
鷲一の声が海馬の部屋全体に響き渡る。
「もう! マナーモードにするの止めたら!?」
珍しく怒っているのは心琴だった。その様子を朱夏と海馬が困った顔で眺めている。心琴がこれだけ鷲一に怒っているのを見るのは初めてだった。
「そ、そりゃそうしたいけど、仕事の時は音鳴らす訳にいかねぇし」
「それでも、仕事終わったら一回くらい確認してよ! 本当に本当にヤバかったんだから!」
衝撃の事実だが、鷲一はあの日心琴に電話をしてから事件の翌日である今朝まで一度もスマホを確認しなかったようで、今朝になり『どうなった?』などと言う呑気なメッセージが心琴の元に届いたのだ。それを見た心琴が怒るのも無理のない話である。
激怒した心琴を鎮められずに鷲一は海馬に助けを求めて海馬の家に転がり込むようにやってきた。困りあぐねた海馬はすぐに朱夏に家へ来て欲しいと連絡したのだ。
朱夏が海馬の部屋へ来るともう既にこんな状態で、怒り狂う心琴と謝り続ける鷲一を横目に、2人は少しだけ目配せしてからこう切り出した。
「まぁ、まぁ、心琴ちゃん、その辺にしておこう? 鷲一の馬鹿は今に始まった事じゃないんだから」
「グッ……」
海馬がため息交じりで鷲一を見ると、鷲一は口をへの字にして言いたいことをぐっと我慢している。
「そうですよ。私達も無事でしたし。……なんとかですけどね?」
「ググッ……!」
朱夏も目を細めながら鷲一の方をちらっと見た。鷲一は助けを求めに来たはずなのに三対一の構図になっている事に気が付いて慌てている。
「わ、悪かったって!! お前ら二人も怒ってるんじゃねぇか!!」
「あははははは」
「怒っていませんよ? そこまでは」
海馬も朱夏も能面のように笑っている。
「いや、二人にも悪いことをしたと思ってる! マジで思ってる! でも、わざとじゃないんだ。信じてくれ!」
手のひらを合わせて鷲一は海馬と朱夏にも謝り始めた。
「大丈夫。僕ら寝てただけだから。丸一日ね」
「怪我もありませんでしたし。家半壊ですけど」
二人のちくちくとした嫌味ったらしい笑顔の攻撃に鷲一の心は更に抉られた。
「やめてくれえええええ!! だぁー! もう、なんて言えば許してもらえるんだこの状況!!」
鷲一が頭を抱え始めたのを見て海馬と朱夏は目配せする。
2人は先程の能面のような張り付いた笑顔を止めて、クスッっと笑った。
「ふふっ。嘘ですって。本当は私たちはそこまで怒っていませんよ」
「朱夏!?」
朱夏の一言に鷲一は顔を上げるとそこには、いつものように表情豊かに笑う朱夏が居る。
「まぁ、鷲一が仕事で大変なのは僕らも知ってるからさ」
「海馬も!!」
海馬も呆れた顔で肩をすくめているがその表情は怒っているわけではなさそうで鷲一は安心した。
「二人共……本当に悪かったな。ちゃんとスマホ確認するからさ」
海馬は本当に謝っている鷲一の気持ちをくんで心琴の方を向き直った。
刺激しないようにそっと声をかける。
「心琴ちゃん、鷲一がこんなに謝ってるんだ。そろそろ許してあげたらどうだい?」
けれども、心琴の気は全然収まっていなかった。唇はぎゅっと結ばれて眉毛が吊り上がったまま今度は海馬と朱夏の方を睨んだ。
「全然良くない!! 二人も全然私の気持ちわかってない!!」
部屋の中に再び心琴の怒りが響き渡る。
怒りは飛び火して、朱夏と海馬にも向けられていた。
「で、でも心琴ちゃん……その……」
朱夏が口を出そうとしたその時、心琴の本心が飛び出てきた。
「私がどれだけ心配したと思ってるの!?」
心琴の言葉を聞いて、朱夏は怒りの本当の理由を悟った。
着信に気が付かなかったことには怒っているだろうが、根っこの部分はそんな小さなことではなさそうだ。
「ふふっ……鷲一さん。これは確かに鷲一さんが悪いかもしれませんね」
朱夏が鷲一にそう言うと鷲一は目をぱちぱちとさせた。
「鷲一さん。心琴ちゃんはスマホに気が付くとか気が付かないとかではなく、一番傍にいて欲しい時に、いてくれなかった事を怒っているみたいですよ」
朱夏が分かりやすく鷲一にそう言うと、鷲一の目は見開かれた。
心琴の吊り上がっていた眉はどんどんとハの字へと変わっていく。
「私ね? 3人が倒れて動かないのを目の当たりにして……一晩中心配で不安で……!! なのに、何回電話しても出てくれなくて!!」
心琴の目が徐々に潤んでいくのを鷲一はじっと見つめた。
「朱夏ちゃんも、海馬さんもそれにエリだって何回揺さぶっても声かけても全く起きなくて……」
心琴の声はどんどんとトーンダウンして、目には溢れんばかりの涙が溜まっている。
「本当に……死んだみたいだったんだよ。桃だって、取り込まれちゃうし……。それでも鷲一は電話に出てくれなかったし……二度と会えなくなるんじゃないかって……怖くて……不安で……ぐすっ」
怒りは涙となりこぼれ落ちた。その様子に3人は申し訳ない気持ちでいっぱいになる。とうとう、心琴は両手で顔を覆って俯いてしまった。
「皆、居なくならないでよぉ……。ヒック……グスッ……」
目の前には子供のように泣きじゃくる心琴がいる。
仲間を心配して、不安で、怖くて。
そんな時に一番大事な人は自分に気が付いてくれなかった。
その孤独や不安がボロボロと水滴となり床に落ちていく。
鷲一はそっと心琴に近づいた。
今度こそ、心琴の気持ちを受け取った鷲一は真面目で優しい顔をしていた。伏せたままの心琴に優しく触れると心琴の肩はビクリと動いた。
「心琴、本当にごめんな? 次は、絶対に傍にいる」
そう言うと鷲一は心琴の頭をそっと抱きしめた。
心琴も抵抗する事なく鷲一の胸に顔を埋める。
「鷲一のバカァ……」
心琴は鷲一の服にギュッとしがみついて泣きついた。
鷲一は少しだけ戸惑ったが、ゆっくりと心琴の頭を撫でる。怒りが収まっていくその様子に海馬と朱夏も安堵して微笑んだ。
「心琴ちゃん、僕らも居なくなったりしないよ?」
「ええ。もう心配をかけるわけにいきませんね」
海馬と朱夏も鷲一の後に続いて心琴にそう言った。
「ヒック……グスッ……絶対……だよ?」
目を腫らして心琴が顔を上げて3人を見ると、優しい笑顔がそこにはあった。
「ああ。約束だ」
「約束です!」
「僕も約束する」
3人が心琴を取り囲むようにして約束を交わすと心琴はようやく笑顔を取り戻す。
「……じゃぁ、指切りして!」
「は?」
心琴がそんな子供染みた事を言い出すので鷲一は呆れた顔をした。けれども涙で真っ赤に目が腫れてる心琴は強気に繰り返す。
「ゆーびーきーりー!!」
皆に向かって小指を突き出してくる心琴に、朱夏がそっと小指を重ねた。
「ふふっ! 仕方がありませんね。何かをしなくちゃ気が収まらない時ってありますものね」
優しいお母さんのような事を言いながら朱夏は柔らかく笑う。その朱夏の小指に海馬も指を重ねる。
「あはは。指切りなんて何年振りだろうね? これで心琴ちゃんの気が済むならどうぞ」
鷲一はただ1人気恥ずかしさに戸惑っている。
「いや、この歳で指切りとか! お前ら恥ずかしく無いのか?」
あからさまに嫌そうな声を出す鷲一に海馬と朱夏がじっとりとした目で鷲一を見た。
「いや、誰のせいだよ」
「そうですよ? これくらい付き合ってください」
「ぅ」
海馬と朱夏の正論に鷲一はため息をついた。そんな鷲一に心琴は焦ったくなりついには腕をガシっと掴んだ。
「鷲一!? ゆーびーきーりー!!」
「分かった! 分かったっつーの!! ホラ」
根負けした鷲一が心底恥ずかしそうに小指を絡めるとようやく心琴は満足そうな笑みを浮かべる。そして大きな声でお決まりの歌を口ずさみ始めた。
「ゆーびーきーりーげーんまーん! 今後、誰も私に心配かけないこと!!」
「ちょっと待て。なんだその横暴な指切りは!」
「う……ちょっと自分中心すぎ?」
鷲一が心琴の一方的な約束にツッコミを入れる。
呆れた顔を見て心琴は口を尖らせて一回仕切り直す。
「じゃぁ……ゆーびーきーりーげーんまーん、今後、お互いに心配かけないこと! 誰も居なくならない事! 狙われたら助け合う事!! ついでに、鷲一は私にパフェおごる事!」
「ぶふっ!!」
「うふふっ!!」
めちゃくちゃな内容の指切りに海馬と朱夏が思わず吹き出した。
「何個約束させるんだよ……!」
再び鷲一が突っ込みを入れると心琴は腫らしたままの目で鷲一をジトっとした目で見る。
「良いの!! 今日だけは良いの!! 私の我儘を皆に聞いてもらうの!」
「ふふっ。よっぽど不安だったんですね」
朱夏が普段以上に子供っぽい心琴に笑いかけている。
最早、同い年とは思えない。
「うーそついたらー針千本……は嫌だなぁ」
お決まりの歌では約束を破った人は針を千本飲まなくてはいけない。しかし、心琴はむしろ皆に傷ついて欲しくなくて指切りをしているので、この歌詞が気に入らないようだ。
3秒ほど考えてから心琴は歌の続きを歌い始めた。
「じゃあさ! うーそついたら特大パフェ1人で完食する事! 指切った!!」
「なんだよそれ……」
最後の最後まで無茶苦茶な指切りに鷲一はもう突っ込みを入れるのすら面倒くさくなった。
「でもまぁ、今回は心琴ちゃんと連覇君が頑張ってくれたもんね」
「……そういえば、連覇君は? 大丈夫だったのかな?」
海馬の一言に、心琴は急に真面目な顔をした。
昨日は夜が更けてしまったと言う事もあり、泣きじゃくっている連覇を、連覇のママに迎えに来てもらった。手にはしっかりとカッチの服を握りしめたまま、連覇のママに肩を抱かれながら帰って行く姿はいたたまれなかった。
「今朝がた、エリを連れて……山へ行きました。カッチと出会った山だそうです」
朱夏はそっとそう言うと窓の方を眺めた。
「お墓を作りに行く……って言っていましたよ」
朱夏は心中複雑な面持ちで秘密基地がある山を指さした。
「朱夏……」
海馬はそんな朱夏をじっと見ると思い立ったようにこう言った。
「朱夏……それに心琴ちゃんと鷲一?……あのさ。後でちょっとだけ時間良いかな?」
「へ? いいですけど?」
「ああ? まぁ、今日は非番だから構わねぇよ?」
「私も大丈夫だよ! でも、どうしたの?」
朱夏が振り返ると海馬は珍しく歯を見せて笑っている。
「海馬君……?」
朱夏はいつもよりも晴れ晴れとした笑顔に少しだけ驚いた。
「『あそこ』に、いこうよ」
海馬の言う「あそこ」とはもちろん例の秘密基地である。
朱夏は目を見開いた。
「え!! あ、あそこですか!?」
あの事件以来、海馬はあそこを避けていた事を朱夏はもちろん知っていた。
そんな海馬からの提案に朱夏は崩れた笑みを浮かべる。
「うふふっ!! もちろん良いですよ!!」
あの事件が終わりを告げたことを実感して朱夏は心から笑った。
その心にはもう、罪悪感のかけらも残っていない。
「今度は、心琴ちゃんと、鷲一と……それに紗理奈とキングもつれて! 連覇少年とエリがもうすでにいるなら向こうで合流すればいい! ちょっとだけ、お墓に手を合わさせてもらおう?」
「……ええ! 良いですね!」
海馬の提案に朱夏は大きく頷く。
「本当? 見て見たい!!」
「そこで、今回の事件の話を聞かせてくれると助かる」
「あー……。ま、丁度いいし、話するとするか!」
「では、飲み物やお菓子なども持って行って久しぶりにお茶会しましょう!」
「何それ楽しそう!!」
「また甘い物か……心琴、いい加減太るぞ?」
「いいのー! 食欲の秋だもーん!」
4人は思い思いに秘密基地でのティーパーティーを楽しみに立ち上がる。
秘密基地は若かりし3人の苦い思い出をも乗り越えて、再び憩いの場としてその扉を開くだろう。
秋の日差しが柔らかく、朱夏を照らす。
その笑顔はキラキラと輝いている。
こうして、夢の中で盛大に行われた人形劇はハッピーエンドと共に幕を閉じたのだった。
おしまい




