第35章 接吻
「兎にも角にも……朱夏を起こすことがあの怪物を止める唯一の手段って事だね……」
海馬は朱夏を揺さぶってみる。
「おい! 朱夏……朱夏!! 起きてくれ!!」
けれども、朱夏が目覚める気配はない。
「ねぇ! 朱夏っち!?」
「おい……起きろ。貴様が起きねば自体が悪化する一方だ」
紗理奈もキングも朱夏を起こしにかかるが、まったくもって起きる気配は無かった。
「むぅ……これは困ったな」
「もう、魂の力が弱まりすぎてるんじゃ……まずいっしょ!」
紗理奈が後ろを振り向くと、朱夏の魂の力を吸い取った大きな罪悪感の塊は、こちらに向かった歩き始めている。
「……げ……」
それを見て皆が固まった。
「ぐあああああああああああああああああああああ!!!!!!」
大きな咆哮が近所に轟いた。
辺りの住人は騒然として、逃げ出している様子がここからでもうかがえる。
「まずい」
公園から朱夏の家まで直線距離で1kmもない。
ゆっくりとだが着実に大きな影はこちらに向かって歩き出している。
「朱夏を狙ってるのか!? それとも紗理奈か? どの道早く起さなきゃ!」
海馬は焦って朱夏を揺さぶった。
「無理だ。魂の力が弱すぎる」
「じゃ、じゃぁどうすれば!?」
ドスン…ドスン……地響きはどんどん朱夏の家に近づいてきている。
「海馬お兄ちゃん……朱夏お姉ちゃんに……『ちゅー』して!!!」
その時、連覇が大きな声でそう言った。
海馬は耳を疑う。
「……はぁ!?」
突然の提案に意味が解らず海馬は首を横に振っている。
「エリは、『ちゅー』したら起きたんだ!!」
真剣な表情の連覇と、その言葉を聞いてビクッと震えた小さな女の子がいた。
「……マジ?」
エリが布団から出てこないので海馬は困惑しながら心琴と三上を見ると困ったように頷いている。
「ええ……。連覇様がキスをされたら……その……」
「エリちゃんが目を覚ましたんだよね……あはは……」
心琴はまだしも、三上は冗談を言うタイプではない事は海馬はよく分かっている。
周りの子の雰囲気と迫りくる地響きに海馬は焦った。
「確かに……一理あるかもな。魂は今、絶望で満ちているのだろう。その絶望が和らげば魂の力の流出を止めることが出来るやもしれぬ」
「大丈夫だって! 私達ちゃんと見ないようにしておいてあげるっしょ!」
キングと紗理奈までそういい始めて海馬は逃げ場を失った気持ちでいっぱいだった。
「い……いや!! ダメだって! 朱夏に悪いよ!! 悪すぎるって!!! ってかなんで僕なんだよ!?」
海馬がそう言って拒否しようとしたその時。
ドスン!!!
ひときわ大きな地響きが朱夏の家の屋敷を揺らして止まった。
窓一枚を隔てただけの目の前に、朱夏の罪悪感の塊が立っている。
「海馬さん!!早く!!!」
心琴が海馬を急かすと海馬はいよいよ困った顔で朱夏に向き直る。
「……っ!! ……朱夏、ごめん! 許してくれ!!」
そう言って海馬が朱夏に顔を近づけたその時……
ガッシャーン!!!!
朱夏の罪悪感は待ってはくれなかった。
朱夏の御屋敷めがけてその大きな手を振りかざし、特大のこぶしで朱夏の部屋めがけて縦に振り下ろす。拳は屋根に食い止められたが、その力の強さに天井の蛍光灯や天井の破片が割れて部屋に降ってきた。
「きゃああああああああああああ!!!!」
「うわああ!!!」
皆がその振動に叫び、頭を抱えてうずくまる。
見ると、罪悪感は次の一撃を繰り出すべく、既にもう一度手を振りかざしていた。
「やばいぞ、次が来る!!」
「海馬ちゃん!! とろいよ!!」
紗理奈は見かねて、海馬の頭を重いっきり後ろから小突いた。
そして、その勢いのまま、海馬は朱夏と唇を重ねたのだった。
海馬自身も思ってもみなかった形のキスにそのまま数秒固まった。
海馬はこんなに近くで朱夏の顔を見たことは無かったし、重なったままの朱夏の唇はとても柔らい。
フワッとした女性らしい香りが海馬の鼻をくすぐる。
そして、徐々に実感がわいてくると海馬は耳まで赤くして慌てて朱夏の唇から離れた。
「さ……さ……紗理奈! な、な、なんてことをしてくれるんだ!!」
海馬は焦点が合わないほど動揺して紗理奈に怒った。
一方で怒られたはずの紗理奈はニヤニヤとしている。
「海馬ちゃんがとろいのがいけないっしょ。それに、効果はあったみたい。ほら、アレを見るっしょ!」
皆がアレと呼ばれた朱夏の罪悪感を見ると、アレは腕を振り上げたまま動きを止めていた。
「と……止まった!?」
心琴が恐る恐る罪悪感をみるとピクリとも動いていないように見える。
「って事は朱夏ちゃんも……」
心琴が朱夏を見ると朱夏は海馬の腕の中で顔を真っ赤にして固まっていた。
その目は大きく見開かれたまま微動だにしない。
「あ。起きてる!!」
嬉しそうに心琴が叫ぶと三上も連覇も近づいてきた。その声を聞いて、エリも布団から朱夏の元に駆け寄った。
「あら……起きたままフリーズしてるみたいですね」
「おーい! 朱夏おねえちゃーん!」
お目覚めのキスはお嬢様の朱夏には刺激が強すぎたらしく口をパクパクとさせて言葉が出てこない。そんな朱夏を海馬も見れないまま顔を真っ赤にしている。周りのみんなだけがニコニコとしていた。
「危機一髪だったな……」
キングが窓の方にむかって歩き出す。
「本当、もう一回この拳で殴られてたら部屋が割れてたかもしれないっしょ……」
紗理奈もキングの後を付いて歩いた。
そこには大きな罪悪感がただ存在しているだけ……のはずだった。
けれども、事態は再び悪い方向に動き出す。
「さっ……紗理奈……!?」
朱夏が紗理奈の姿を目撃したのだ。
「あぁ、朱夏っち……私ね? 謝らなきゃいけない事が……」
紗理奈は朱夏がこちらを向いたことに気が付いて、さっそく夢で見た劇の話をしようとしていた。
偽物の朱夏と紗理奈が居て、自分達を罠にはめようとしていた事実を知ればわだかまりは解消されるだろうと。
けれども、朱夏は紗理奈の事を見るなりあの光景が頭をよぎった。
あの日、紗理奈が崖に落ち、木に刺さったあの時の事を。
それを皮切りに、罪悪感は動き出す。
「紗理奈!! 危ない!!!」
キングが紗理奈を庇って勢いよく押しのけた。その瞬間、振りかざされた罪悪感の腕は再び朱夏の部屋めがけて振り下ろされた。
ガッシャアアアアアアアアン!!!ゴゴゴゴゴゴゴ……。
「きゃあああああああああああああ!!!」
「うわああああああああああああああ!!!」
けたたましい音が鳴り響く。
みんなの悲鳴が響き渡る。
朱夏の部屋は罪悪感の巨大な拳によって屋根を突き破って半壊した。