第32章 口づけ
心琴と連覇は桃が取り込まれた後、すぐに公園を後にして走りだした。目指す先は、桃の伝言を遂行すべく朱夏の家だ。
心琴は助けを求めるために、走りながらスマホを取り出すと鷲一に電話をかける。しかしやはり、返ってきたのは無機質な音声だけだった。
「現在、電話に出る事はできません」
「あぁもう! 鷲一、やっぱり電話に出ない!!」
心琴は少し怒り気味に文句を垂れる。
スマホを鞄にしまった頃には朱夏の家が見えてきていた。2人はチャイムを乱暴に鳴らす。
ピンポンピンポンピンポン!!
後ろを振り向くとあの黒くて大きい物体は朱夏の家からも見えた。最早、建物の大きさまで膨れ上がったそれは徐々に人の形のように変わっている。
「早くっ! 早く開けて!」
連覇が大きな声を出した瞬間、ドアが開いた。驚いた顔で2人を見ていたのは白衣に身を包んだ三上だった。
「三上!! 朱夏ちゃんの所に入れて!! 早く!」
「どうしたんですか? もう7時近いのに」
気がつくと、夕日は沈みかけていてあたりは薄暗くなってきている。
「三上! あれを見て。やばいの。桃が取り込まれた!」
三上が不思議そうに外を眺めるとそこには夜の闇とは違う真っ黒の物体が空高く積み上がっている。
「なっ!?」
「桃が朱夏ちゃんを助けてって!!」
心琴のその言葉を聞くと、異常事態の理解者である三上はドアを全力で開いた。
「中へ!」
心琴と連覇はドアが開くなり、朱夏の部屋へ駆け上がった。大きめの扉を乱暴に開く。
そして、心琴と連覇は薄暗い暗がりの部屋で光る何かを感じた。
「心琴お姉ちゃん! 見て。これって!」
連覇が駆け寄ったのは朱夏ではなく、エリだった。
「エリちゃんの目……光ってる!?」
三上があとから部屋に入ってきて、閉じたままだったエリのまぶたを軽く開く。
瞼からは青い光が漏れ出ていた。
「コレって……待って。キングと紗理奈は? あの2人は?」
心琴はそう呟いてから、今いる部屋から出て、正面の部屋の中に入った。
そこには手錠で拘束されたままベッドに横たわる紗理奈とゲージに入れられたキングがいた。心琴は紗理奈の糸目をそっと開いてみたが目は光っていない。
「紗理奈は光って無い。って事は、まさか、みんなが眠っているのって!」
「エリの能力!?」
心琴と連覇はお互いの顔を見た。
「そうか! 海馬お兄ちゃんが襲われて……その時、何かが強く光ったの。それってきっとエリだったんだ!!」
「じゃぁ、じゃぁ! エリの目を覚ませば……」
「みんなが起きるかも!?」
「そしたら、朱夏ちゃんも目を覚ますかも!!」
そう言うと、心琴と連覇はすぐにエリの元へと戻った。
「エリちゃん! エリちゃん! 目を覚まして! お願い!」
心琴が声をかけても全くもって目を覚さないエリを、今度は連覇が揺さぶってみる。
「エリ! 起きてよ! ねぇ!!」
目を覚ますどころかピクリとも動かないエリに困り果て、心琴と連覇は顔を見合わせた。
「外部から刺激を与えても起きません。私達も何度も何度も声はかけました」
三上が悔しそうな表情をする。
「ど、どうしよう!? どうやって起こせば良いかな!?」
心琴は三上をみると三上は思いつめた様子でナイフを取り出した。
「時間がありません。痛みに訴えますか?」
目がマジだ。
「ダメだよ! 怪我しちゃう!」
心琴は真面目にそう言い出す三上を慌てて制止すると三上は少し納得していないような顔でナイフをしまった。しばらく腕組みをして考え込んだかと思うとふと顔を上げる。
「じゃぁ、鼻と口を塞いでみましょう!」
「息できなくするの!? もっと穏便な案は無い!?」
心琴はこの手の提案を三上に求めるのは間違いな気がしてくる。
けれども、三上はいたって真面目に外に向かって指を差した。
「でも、心琴さん。そんな事言ってる場合じゃないですよ!?」
三上の指を見ると、窓の外には巨大な黒い壁がついにはマンションほどの大きさに膨れ上がっていた。それを見て心琴は慌てた。
「やばい! やばいよね!?」
「ですから! 悠長な事は言ってられませんってば!」
三上も徐々に慌てて来ている。
そんな中、一番落ち着いていたのは連覇だった。
明るい声で心琴と三上に笑顔を向ける。
「ねぇ! 僕さ、エリに『ちゅー』して見る!」
突然そう言い出す連覇に心琴も三上もキョトンとした。
「へ!? 連覇君!?」
「どうして!?」
三上も心琴も目を丸くしてそう言うが連覇は至って真面目だった。
「この間、白雪姫でやってたもん。眠ってた白雪姫は王子様に『ちゅー』されたら起きたんだよ!!」
そう言われて、心琴も三上も頬が緩む。
「な、なるほどね! うん。連覇君らしいアイディアだけど……起きるかなぁ?」
「僕……王子様じゃないから、ダメかな?」
連覇が心琴が渋るのを見てしょんぼりとする。その様子に慌てて心琴は首を振った。
「いや、そう言う問題じゃないんだけど!」
「むしろ、エリ様にとっては王子様であってるような……」
「本当!?」
「まぁ、確実に喜ばれるかとは思いますが……。連覇様は良いのですか? その……『ちゅー』しても」
三上は連覇の心境が分からなくて連覇を覗き込む。
「なんで? 僕、ママとよく『ちゅー』するよ?」
連覇はさも当然のようにそう言って見せた。恋愛感情はそこには微塵もなさそうだ。
「……。き、聞かなかったことにしましょう」
「連覇君。『ちゅー』は本当に大好きな人が現れてからすればいいよ」
心琴が困った顔で連覇に言うと、連覇は首を大きく傾げるのだった。
「で、三上。どうする?」
「そうですね……」
心琴と三上が自分を差し置いて二人で相談を始めてしまうと、連覇は少しむくれた。
(二人共、僕の言う事信じてないんだ!)
あーでもない、こーでもないと言っている二人を横目に、連覇は布団の上によじ登り、エリの元に近づいていく。連覇はエリの顔を間近でじっと見つめた。そこには、すやすやと心地いい寝息を立てているエリがいる。
連覇は初めてエリをこんなに間近で見つめた。
(……? エリってこんなに肌真っ白だっけ?)
少しだけ、胸がトクンと音を立てる。
(……唇も柔らかそう……)
今までにない感情が湧き上がってきて、心臓がだんだん早く脈打つのを連覇は感じた。
(……エリって、実は……可愛いのかも)
そう思うと、少しだけ顔が熱くなった。
(……あ、あれ? なんだろうこの気持ち……。)
心臓がどきどきとして連覇は一瞬エリの顔から目を背けた。
横を見ると、心琴と三上が真剣に話し合っている。
「じゃぁ……気付薬を手配して……」
「それならまだ穏便かな!? でも、間に合う?」
空を眺めるとあの黒い物体は徐々に人の形を形成し始めている事に気が付く。
それは手となり足となり顔と体が出来上がる。
連覇は自分のどきどきする心臓を拳で一回だけドンと叩いた。
(今はそんな事より……エリを起こさなきゃ!)
今度こそ連覇は真剣にエリを向いた。
そして……
連覇の唇とエリの唇は音もたてずにそっと重なるのだった。